見出し画像

自粛騒動でいま私たちが体験していること

それは過剰な不安だ!
という楽観論者が正しいのか。

それは責任感がなさ過ぎる!
という安全管理論者が正しいのか。

もう、だいぶ、その正しさを取りあう論争にも、
ちょっと飽きてきたのではなかろうか。

お互いが、こうであって欲しいという要望を突きつけて、意にそぐわない人種を、内心、攻撃しているという点では、共犯だ。

人類が繰り返してきた、差別と戦争の火種を見ている。

加害者であり、被害者である、
そこに当事者として留まって、
もう、飽き飽きしてきたら、
暴露療法的にみたら、
脱感作が起こっており、
回復への良い徴候とも考えられる。


目に見えない微生物は、
目に見えない、人の感覚レベルの個体差を、
対立として、顕在化させた。

その抗争の先にあるものは。

一人一人まるで異なる脳内世界を生きていて、
正しさ、という次元では折り合うことはできないけれど、

脳内世界を抱え持つ体験をしているもの同士として、
共感し共存できる、別の次元があるという可能性を学ぶ、

という人類経験であるように、
僕は当事者として、体験しています。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?