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「美術館女子」論議に隠された、 あの問題

最近の話題で気になったのは、「美術館女子」問題です。

新聞社と美術館の団体がタイアップ(?)して、美術館でインスタ映えする写真を撮ろうと呼びかけるような企画。映像は、実際にはカメラマンがアイドルとアートや建築物を被写体として撮影しているので、厳密にはインスタ的ではありません。むしろアイドル写真集に近いものです。

今回紹介された美術館は、実際に撮影OKの場所も多く設定されているらしく、集客の戦略であることは間違いないようです。

まずは、美術館側と、企画展をよく主催する新聞社の、営業戦略であることは間違いないのですが、しかしこれが、ジェンダーや美術史の見地からすると、大変問題のある企画であると批判を浴びているのです。

この論議の大きなキーワードは、「無知」です。美術について「無知」であることの典型として、「女子」が選ばれていることに、批判が浴びせられています。

また、美術史の見地から、女性が描かれる側とされてきた歴史をふまえず、ジェンダーバイアスのいまだ強い美術界の状況を助長するような企画を、美術館側がすることは見識に欠けるとも言われています。

うーん、、RCは唸ってしまいます。ジェンダーも美術史も門外漢で「無知」である私は、この論議に参加する資格がありません。でも、なぜかRCはこの展開に違和感を感じてしまうのです。

RCは、日頃から違和感というものを大事にしたいと思っています。それを感じるとき、なにかそこに隠されているものがあるからです。ここでは、ジェンダーや美術史のほかに、隠れた論点があるように感じます。

それは、階級の再生産ということです。経済的なことに言われることが多いですが、ここでは知識階級というようなもののことです。

「無知」な者は弱者です。これは疑いようがない。反対に、知識階級は、社会的には強者と言えるでしょう。もちろん、今回も論陣を張っているのは強者である知識階級の人たちです。そしてSNSで騒いでいるのは、ある程度の見識を備えた市民なのでしょう。

ここで考えてほしいのは、強者は弱者に対して何をすべきなのかということです。RCが危惧するのは、強者がムラを作り、ムラのための論を展開し、弱者のチャンスを奪い、階級の再生産を行なっている可能性があることです。

「無知」な人が何の前知識もなく優れたアートに接し、ワーッと感動する。この企画ではそんな姿が描かれています。そこに、「知」へとつながるチャンスがあると言えないでしょうか。インスタが目的だったとしても、そこへ足を運ぶことで得られるものを、知識階級が奪うことは許されないのではないでしょうか。

また、何の知識も持たない人をも感動させるということは、アートのクリエイターたちが一番望んだことではないでしょうか。知識のある人が、それを確認するために美術館に足を運ぶより、何千倍も価値のあることだと、RCは考えます。

「無知」であってもインスタ目的であっても、堂々と美術館に行って、規則やマナーを犯さない範囲でどんどん楽しめばいいのです。そこで必ず人生を変えるくらいの出会いがあるはず。アートというのはそういう力を持っているのです。

「美術館女子」問題がこれからどんな展開をするのかは、まったくわかりません。RCの問題意識は、的はずれなものかもしれません。ただ、違和感を感じる論議に、黙っていることはできません。サイレントであることは、何かに不本意に加担することになるからです。

現代の日本において、階級の再生産は、最も重要な問題のひとつであると、RCは考えています。

RC

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