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得意でも苦手でも他者の気持ちなんて理解できない

みなさん、こんにちは。(こんばんは。)(おはようございます。)
久しぶりに記事を更新します。1週間くらい記事の更新しない時期があったのですが、毎日noteの記事を見てくださった方がいることに感謝しています。


※この記事は少し前に書いて、そのまま下書きにしていた記事で少し寝かせておきました。

書いた時よりも感情が落ち着いたので公開します。

ブーメラン記事になってると読み返して思いますが笑、モヤモヤを吐き出せてるなぁとも思います。


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なんか思い立ったので、勢いに任せて今日の記事は書きたいと思います。
これもあくまで個人的な意見ですが、勢いに任せて書いているので語気が強くなってしまうことをご了承ください。


いきなりですが、

自分は運動が好きですし、どちらかと言えば得意です。



大学の専攻も体育ですし、部活も中学、高校、大学と続けてきて、社会人でもクラブチームに入り、これは自慢ですがクラブチームでは県代表として3年間連続で全国大会でもプレーしました。

※ちなみに自分が部活を続けてきたからと言って、部活推進派ではありません。


学校の授業も、やっぱり体育授業が好きですし、こちらもどちらかと言えば得意な方だと思います。


しかし、ここに関してSNSで見たことに関して不満に思っていることがあります。

(自分に向けてじゃないのに、完全に情緒面を振り回されています)


それは、


運動の得意な人は苦手な人の気持ちが分からない


と一括りにされていたことです。


(もちろん自分の捉え方の問題もあるし、一部の人の声だとも思っていますが)


もしかしたら、そんな先生と出会ってきて嫌な想いをしたのかもしれませんし、そのような様子が見受けられる先生が目の前にいるのかもしれませんが、一括りして嫌悪感を抱いていることを感じたのです。


(まだまだ自分のSNSリテラシーも低い)


そして、極め付けのもう一つの言葉は、



私は苦手だったからこそ苦手な子どもの気持ちがわかる。



と言う言葉です。


いや、この言葉の全てを否定するつもりはないのですが、「得意な人は苦手な人の気持ちは分からない」との言葉とセットになると、ものすごく憤りを感じてしまいます。



そもそも、人間が他者の想いを完全に理解しようなんて無理ですし、しかも、それを自分の経験からこうだろうと想像で語っているだろうから余計に危険だとも思います。


(ちなみに今、ブーメラン刺さっています。)


確かに想像することは大切ですし、自分の経験と重なるところもあるのかもしれませんが、完全に一致することなんてそうそうあり得ないことです。


それに、それを想像だけで武器にすることになったらおかしな話です。


本当に苦手だったから、その子のつまずきやすい部分が見えるし、そこに気をつけて教えられることができるのでしょうか?


嫌いだったから、その子に合わせて好きになるように教えられるのでしょうか?


おそらくそんなことができるのは、
苦手とか得意とか関係なく、その子どもがどうなりたいかをしっかり目の前の様子や対話から汲み取るような観察眼があり、その子のつまづきと精神状態に合わせてマッチする手だてを生み出せるような多くの引き出しを持っている人だと思います。


ちなみに、これは体育に限らずですが、つまずきやそれを解消する手だてを目の前の事実から見出すには、専門的に学ばないと難しいと思っています。



苦手だったというバックボーンが強みになることは否定しませんが、その後に懸命に学んでいる事実が無ければ子どもたちを伸ばす武器にはなりません。


また、苦手な子だけでなくクラスには得意な子もいます。
苦手な子に過度にコミットすることで、得意な子の伸びを制限してしまうこともあるだろうし、先ほどの理論が成り立つならば苦手だった人は得意だった人の気持ちも分からないことになります。


もしかしたら、それが好きだった人や得意だった人を嫌いな側や苦手側に引き入れてしまうリスクがあることも考えなければなりません。



いろいろ書いてきましたが、この記事で伝えたいのは、教える側のもつ得意とか苦手とかの有用性を自分の経験だけを頼りに勝手な想像で決めつけることの危険性です。


そこに捉われすぎずに目の前の子どもたちの事実を中心にフラットに考えていく方がいいのではないかということです。



もちろん得意だった人は、楽しく達成感を味わったという経験のバックボーンを強みにしても、そこに甘んずることなく、楽しめない子や苦手な子のつまずきに目を向けて、どんな手だてをできるか、工夫していかなければならないとも思っています。



小学校は特に教える教科が多いので、全ての教科の授業で完璧な授業をすることはまず難しいです。
それに授業以外の仕事も多くて限られた時間しかありません。



しかし、自分の過去の経験だけでこうだと決めつけて授業をするのではなくて、上に書いた通りに、目の前の子どもたちに合わせてフラットな目で授業をつくり、進めていくことが大事かなと思います。
(これは自戒でもあります)



本音を言えば、しっかりと授業準備する時間や引き出しを増やすための学ぶ時間をしっかり確保していけるような仕組みがあればなぁと思います。

自分自身もまだまだ苦手な教科もたくさんあるので。



さて、感情的に書いてしまった部分もありますが、時代は常に変化しています。普遍的なこともありますが、変わり続けていることを自覚して、常に視野を広く持っていきたいなと思います。


ということは、前半の憤りの勢いで書いた部分は、自分も改めていかなきゃいけないですね。

おそらく自分も決めつけている部分があると思いますし、


やっぱり他者の気持ちを完全に理解することなんて無理なのだから。



ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

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