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自宅以外の聖域を用意する――ベトナムの何も無い島・フーコックに月イチで泊まり、ホテルにこもる。

またフーコックへ行ってしまった。

(1回目の記事はこちら 



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フーコックは良い。
まず、島だ。しかも、何もない島だ。あれも見なきゃこれも見なきゃと思わなくていい。
そして、ビーチフロントのホテルがたくさんある。(海しかないから)
だから、ホテルにこもって海に集中するのに最適なのだ。

気付いたのだが、私はタイムマネジメントとタスク組みがうますぎて、旅行でも「完ぺきなスケジュールを作ってこなす」ような行動をしがちだ本当は、todoリストをスカスカにしておいて、寄り道したり、ダラダラしたりする余裕がある旅の方が好きなのだが、ちょっとした時間が空くと、持ち前のタスク処理脳が稼働し始め、つい「あ、この近くにガイドブックで見たカフェがあるぞ」とか「次はあの電車に乗った方が次の目的地に早く着けるぞ」とか考えだしてしまう。のんびりできない。

だからフーコックのように、特筆すべき観光スポットがない場所は、思いっきりホテルでダラダラ出来て良い。

ずっと、「自宅以外の聖域を用意する」というテーマがあった。


自宅でくつろげないことがあるから、自宅以外のくつろげる場所が欲しいと思っていた。
在宅で仕事をすることが多く、最強の作業場にカスタマイズされている自宅は、過ごしやすいのだが、そこにいるだけでは完ぺきな「休みモード」に入れないことがある。

「カフェでほっこりする」という人は多いが、私は過敏気質なので他人の音や動きが気になりがちだ。誰もいないところが好きだ。

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カミーノ(スペイン巡礼旅)へ行く中で「自分は自然が好きだ」と気付いたから、人があまりいない、自然が多い場所に行ければ理想だ。でも近場にあまり自然は無いし、あったとしてもベトナムは暑いし虫が多いから、あまり長く滞在したいと思えないだろう。

となると、「海が見えるホテルの個室でダラダラする」というのは、「個室×自然」という意味において、私にとって理想で、自宅に次ぐ聖域になりつつある。

フーコックならホーチミンから飛行機で1時間、往復5000円で行けるし、プライベートビーチを持ったオーシャンビューの宿も、5000円ぐらいからある。
毎月飛行機に乗って島に旅行するなんて、日本にいたらなかなか考えられない贅沢だが、物価マジックがかかる今ならできないこともない。

ジャーゴンチックな日本語が通じる、気心知れた友人との言語空間を失い、書く方もめっきりスランプな私にとって、これぐらいの心の癒しを求めてもいいのかなと思う。


フーコックに着いたらホテルに直行し、何もせずだらだらする。好きに食って寝る。
どうやら私は「部屋」が好きみたいで、部屋が好き過ぎて「へや」という小説を書いたこともあるし、SUMOで賃貸部屋を見る趣味がたたって不動産屋でバイトしたこともある(めちゃ楽しかった)。

オーシャンビューの部屋で海を眺めながら、いや眺めさえせず、波の音だけ聞きながら、いつもどおりダラダラTwitterするのが、最高だ。

いつも通りのことをしても、違う部屋というのは違う「感じ」を与える。
その「感じ」を味わうのが好きだ。

(だから、わざわざホテルに泊まらずとも、友人宅に泊まるのも、私は非常に好きだ)

しかし、前回の記事とも関係するが、ホテルは掃除も洗濯も勝手にやってくれるから、
かなり好き勝手に行動できるのが魅力だ。
ベッドの上でポテチを食ったり、
タオルをバンバン使ったりできる。
そして最高の贅沢だと思うのが、ルームサービスだ。
部屋でゴロゴロしながら、めちゃくちゃな姿勢で豪勢な食事を食べられるのが良い。

時としてホテルは逆に不便だったりする。
気心知れた自室とは異なり、
ホテルでは電気のスイッチが見つからなかったり、シャワーのお湯の出し方が分からなかったり、鍵がうまく閉められず何度もガチャガチャしてしまったりする。

ルームサービスを頼んでも、塩胡椒が手元になくてフラストレーションを感じたりもする(言ったら持ってきてくれるだろうけど)。

でもまあ、便利さを得るためにここに来ているわけではないし、時間はたっぷりあるのだ。というか、波の音を聞いていると時間の流れ方が変わってくる。

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今回泊まった、海の見える部屋は、海が見える全面ガラス張りの面が入り口になっていた。
外出時、波の音を聞きながらカギをがちゃがちゃやっても全然閉まらず、あきらめて
「むしろ全開にしておけばまさか外出中には見えないだろう」
と思って、扉を全て開け放して、部屋に海を見せたまま出かけた。


村上春樹の「ダンス・ダンス・ダンス」という小説に出てくるホテル従業員の女の子が、
「ホテルは、やって来て去る場所だから良い」
ということを言っていた。
「自分の人生は、ホテルのように、誰かが来ては去る。誰もとどまってはくれない」とをむなしく思っている主人公は、ずっと、人生において、何ともいえぬ何かを待っていた。そんな中わりと唐突にハワイに出かけた。

猫が死んで無気力になっていた私は、そのくだりを読んだ翌日、初めてフーコックへ飛んだ。

今回は二回目だ。また行くだろう。私も何かを待っている。



渋澤怜(@RayShibusawa

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