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「生きてりゃオッケーの国」ベトナムでは、まだ誰も死んでいない


2018年8月からベトナム・ホーチミンに住んでいる私が、この感染症に対峙するベトナムの人々を見て思ったことを書いていく。
ちなみに本日(5月14日)時点のベトナムの感染者数は288人、死者はゼロだ。外出自粛要請は4月1日から22日まで出されていたが、現在は解除され、カラオケ、ディスコ以外は営業が再開している。

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■生きてりゃオッケーの国(必要以上に貯め込んだり、精神的無理をしない)

ベトナムのことは元から「生きてりゃオッケーの国」だな、と思っていた。なんというか、彼らは非常に気楽で、よく言えば楽観的、悪く言えばあきらめが早い。

例えば、ベトナム人には、受験や就活に失敗して「ダメだ、死のう」と思う日本人のことは理解できないそうだ。
私は日本企業に就職したいベトナム人に日本語を教えているが、彼らは就職活動において、日本の学生と違って、非常に諦めが早い。「志望業種にぴったりマッチしなくてもとりあえず面接を受けてみる」とか「履歴書の細部までこだわって書く」みたいなことをあまりしない。
「次のチャンスはいつあるか分からないよ!」と私がせっついてもイマイチ通じず、いつまでも「次があるさ~」と思っている。さすが、自然の恵みが豊かでほっといても果物(チャンス)がぼとぼと落ちてくる国の人である。

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(路上では1キロ100円とかで果物が売られている)

もう一つ例を挙げると、先日、私の部下のベトナム人教師が泥棒に遭い、パソコンやら財布やら携帯やら、家じゅうの貴重品を盗まれてしまった。「大丈夫!? 給料前借りしてもいいよ?」と非常な心配する私をよそに、教え子たちは「けががなくて、よかったですね~」とヘラヘラしていた。まあベトナムには異様に泥棒が多いという事情もあるだろうが……。そして何より、月給2ヶ月分ほどの損害を受けた彼自身も、意外と落ち込んでいないのだった。私だったら寝込んでしまう。

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余談だが、ホーチミンの名物と言えば、バイクの群れだが、日本人からすると信じられない密度で走っており、当然バイク事故が多いにも関わらず、ほとんどのベトナム人は保険をかけていないそうだ。

■「果物が勝手に落ちてくる国」「外で寝ても死なない国」

対して日本人は飢えてもいないのにやたら将来を不安がって貯金したり、手に職をつけたがる気質があるように思うが、これは多すぎる災害と寒すぎる冬のせいだと思う。たとえ現代になり、インフラや経済力などの国力でこれらを克服しようとも、大昔に津波や飢饉で多くの人が死んでしまった記憶が、おそらく消えていない。
「油断すると死ぬんだよ、ここでは」というマインドが、民族意識に刷り込まれていると思う。

ベトナム(に限らず南国全般に言えることだと思うが)、自然の恵みが非常に豊かだ。どれぐらい豊かかと言うと、誰も世話していない路上の木に勝手に実がなって、ボトボト落ちるが誰も拾わず、バイクに轢かれまくっているぐらいだ。
ねずみもゴキブリもイージーモードで暮らしてガンガン繁殖している。

そしてこれが大事なのだが、外で寝ても死なない。つまり、あくせく働いて寝床を確保しなくても、最悪死なない。

日本ではいまだに毎冬ホームレスの人が寒さで死んでしまうし、ホームレスでなくとも酔っぱらってうっかりその辺で寝てしまったら誰でも死ぬ可能性はある。

しかしベトナムは、外で寝る人を多く見かける。ホームレスの人もそうだが、日常的に外で寝る職業の人がいる(警備員など)。来越直後の私は、二者の区別がつかず「なんか外で寝てる人が多いけど暑いからかな?」ぐらいに思っていた。もちろん防犯の観点からは、家の中で寝るにこしたことはないだろうし、外で寝ることが不本意な人が多数であろうが、それぐらい、外で寝ることはありふれた光景だ。

■「生きてりゃオッケーの国」(一度死にかけたことがあるから)

ベトナムが、「生きてりゃオッケー」なスタンスである理由のもう一つは、ベトナム戦争という地獄を見たというのがあると思う。たった40年前かそこらに戦争が終わったばかりなのだ。

私が日本語の授業の際、月日の言い方の練習のために、
「おとうさんの たんじょうびは いつですか?」
と学生に聞いたところ、
「分からない」
という回答が連発して驚愕したことがある。戦争のごたごたの中で生まれた子供は、生年月日がはっきり分からないらしい……

もちろん、日本人も戦争の記憶は持っているが、だいぶ薄れてきてしまったと思う。対してベトナムでは今の子供の父母が戦中生まれだったり、祖父母が戦争の記憶を語れたりするのだ。それだけ戦争の記憶が新しければ、おそらく「あの時よりまし」と思って多少の日常の不便には耐えられるものなんだろう。

このように、「南国であり、そう簡単に死なず、いくらでも恵みがあること」「戦争の記憶が新しいこと」は、ベトナムを語るうえで大事なファクターだという話だった。それが「生きてりゃオッケー」という気楽さを形作っているというのが私の仮説だ。

それを踏まえて今回の感染症の話をすると……

■「生きてりゃオッケー」精神により、ハードルをサゲサゲに出来る

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感染症対策において、
「生存しつつ、国民の自由度を下げず、経済を停滞させない」
「生存のために自由が制限されたり、経済的に停滞するのは仕方ない」
大まかに2つの方向があるとして、前者をとったのが日本、思い切り後者をとったのがベトナムだったと思う。

(ベトナムの感染症対策とそれに関する私の所感は、こちらに詳しく書いた)

なぜそんな策をベトナムが取れたかと言うと、何よりもまず、ベトナムが一党制の社会主義国家だったことは大きい。それにより、日本では出来ないような迅速な決断、罰則を含む強硬な政策を打ち出せた。

しかし、それとは別に、私には、ベトナム人が生存に対して日本と異なるこだわり方をしているように思えた。

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ベトナム人は、ふだん「生きてりゃオッケー」なスタンスであり、それは我々日本人の目には「気楽さ」として映ることが多い。
しかし、有事には
「生存のためなら、日常生活の自由度をあっさり下げられる諦めの良さ、そしてそれを維持できるしぶとさ」
として立ち現れる。

例えば、

ベトナムで外出自粛要請が出たのは4月1日だが、3月には既に、自主的に疎開したり、外出自粛する人がいた。
私が毎週通っているボードゲームカフェでは、3月24日の営業停止命令を待たずとも、みるみるうちにお客さんが減り、半分以下になっていた。
3月中旬に予定していた、日本へ行くベトナム人学生の送別会も、本人の希望により中止となった。

個人レベルではそんな感じで、危機意識高く動く人が多かった。
更に店レベルでは、3月中旬ぐらいから、スーパーが自主的に検温、消毒液常備、ソーシャルディスタンスのレジ、マスク着用義務化などをしていた(マスクは27日に政府により義務化)。

ベトナムは3月24日から4月23日まで美容院が営業停止になっていたが、普段は暑い南国らしく短髪をよしとして月に2回床屋に行く男たちが、よく耐えたと思う。

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(ホーチミン名物の路上床屋)

もちろんこういった意識の高さは、自国の医療への信頼の低さ、社会保障の低さ(つまり病気や事故になった時に自己責任の度合いが大きいから自衛するしかない)なども関係すると思う。

しかし3月と言えば、日本は感染者2000人を超えたにも関わらず割と平常運営していて、オリンピックをやるのやらないの言っていた頃である。(同時期、ベトナムの感染者数は200人そこそこだった)。

私は「日本は意識が低い」と言いたいわけではなく、ベトナムと日本の様子を比べながら、ただ「日本人は『経済が回らないと死ぬ』と思っているんだろうなあ」と感じたのだ。実際、日本でベトナムばりの急な強硬策をとったら、収入を失って路頭に迷う人(比喩でなく文字通り、家を失って道で寝ることになる人)、そして本当に外で凍え死んだり、自殺する人は後を絶たなかっただろう。(もちろん、今ですらそういう人はいるだろう)
そうしたら、感染者数は少なくて済んだとしても、別の意味での死者が増えたのだ。


■中国に滅ぼされず、アメリカに勝った国

今までベトナムのことは(多くの発展途上国がそうであるように)、命が軽く、ドカドカ生まれてドカドカ死ぬ国だと思っていた。
どう見ても過密なバイクの群れがいつまでたっても改善されず、交通事故で毎年一万人近くが死んでいる。

子供も妊婦も毎日見かけるが、その分申請時の生存率は日本よりずいぶん低い。

「生きてりゃオッケー」どころか、「死んじゃってもオッケー」「どうせ次あるし」にまで突き抜けてしまった気楽さを感じることすらある。

(ベトナムの死生観についてはこちらに書いた。葬式は来世への門出ということで明るく送り出す風習がある)

ただ、ベトナムは、自分の大事な生活が脅かされる具体的な「外敵」が現れたら、サッと今ある日常生活を諦めて、万全の体制で戦える国なんだろうなと思った。例えば、戦争とか。

(たった40年前にあのアメリカに勝っただなんて、信じられるだろうか。さすが、大昔から中国に侵略され続けても、いまだ滅びていない国だ)

ちなみにベトナムは、防衛戦は非常に強いが、侵略戦争は下手らしい(カンボジアに進行して失敗したことがある)。そりゃそうだよな、「生きてりゃ果物が落っこちてくる国」だもんな、と思う。別にわざわざ領土を拡大する必要がない。領土拡大しないと飢えるとか、侵略しないと侵略されるという危機感が無いと戦えないだろう。

対して日本は災害には超強いが、戦争とかそんなに強くないだろうなあと思う。今回の感染症対策を見ていて、そう思わざるをえない。

■収束後の世界で

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若い人口が多く、小回りの利くベトナムは、収束後の世界でも経済回復が早いのではないかと言われている。
「人々の自由と経済を優先する、資本主義が終わるかも」
「社会主義がクるかも」
「北国の支配が終わり、南国の時代がクるかも」
と考えるのはめちゃめちゃ面白いし、もしそんな時代の節目にベトナムにいるとしたら、私の人生も面白くなるかもしれない。



渋澤怜(@RayShibusawa

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トップ画像のプロパガンダ調のポスターは、ベトナム人の若手デザイナー、Le Duc HIepさんが作ったものだそうです。 https://yeah1music.net/sao-viet/loat-sao-viet-dong-loat-lan-toa-thong-diep-o-nha-la-yeu-nuoc.html

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