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お見送りの文化

今回は箸休めということでライトなものを。
日本に来てカルチャーショックだったことの一つ。

タイトル通り、「見送る」について思うこと。

それじゃ

日本に来て友人と遊んだ時の帰りのこと。
改札を超えてそれぞれ違う電車に乗るために「それじゃ」と一瞬手を挙げ、踵を返し人混みに消えていくお見送りを何度もしたことがある。

それが当たり前であり、それじゃと言い合ったあとどちらもそそくさと電車へ向かうという光景を何度も見てきたわけだけど、それがとても不思議で面白い。

見えなくなるまで

私が育った環境では転勤や引っ越しが多く、遊んだ後は次いつ会えるかわからないような環境だった。
今日遊んだ後急遽移動が決まるかもしれない。ようやく仲良くなったのに一カ月後には違う土地で過ごしているかもしれない。
親戚一同もみんな飛行機に乗らないと会えないぐらい遠くに住んでいて、合えても年に一回。
そんな自分にとってお見送りはとても大切な瞬間で、相手の姿が見えなくなるまで見送るというのが当たり前だった。

またすぐ会えるじゃん

このカルチャーショックを経て、日本の友達に一度相談したことがある。
「だってまたすぐ会えるじゃん?明日死ぬわけじゃないし。」
なるほど。確かに連絡すればまたすぐ会える距離にいるし、日本ではそんな頻繁に移住するような文化はない。
逆にそこで見えなくなるまで見届けるのはまるで明日死ぬかのような重さを感じると言われれば確かに。

どちらが正しいかを問いたいわけではない。
ただ、私はいつ人がいなくなるかわからないと思って過ごしてきた。
どこか遠くへ行ってもあなたのことを忘れないよという気持ちの表現。

その思いを抱いて今日もあなたを最後まで見送ります。

いってらっしゃい。また会おうね。

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