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深い根に霜は届かない

 お年寄りには敬語をつかいましょうと言われます。分かりやすい理由としては人生の先輩であるということが挙げられるでしょう。とはいえ経験とは単純に年数では測れないものです。凝縮したような人生を歩む人もいれば、毎日が淡々と進んでいくという人もいるでしょう。誰もが尊敬できる人とは言えないかもしれません。姿や形を変えて私たちの意識が受け継がれていくのだとしたら、また考えも変わってきます。「〇〇がすごい」という個人の特性は素晴らしいものですが、人として必要以上にへりくだることもまた野暮というものでしょう。それぞれが自らの探求心をもとに日々を過ごし、欠けた部分を補い合いながら前に進んでいきます。能力には差があっても、人としては対等です。
 言葉というものは伝わることに意味があります。敬語を使う行為は相手を敬う意思表示としてのものでしょう。しかし、敬語で話していても酷く冷たく聞こえる人もいます。根っこの部分では相手を軽蔑しているからです。反対に酷く雑で田舎くさい言葉遣いでも暖かみのある言葉を使える人もいます。敬語を使えばトラブルが少ないということはあるのかもしれません。ただ人の心とは見抜かれるものです。綺麗な言葉に悪意が込められていれば余計に不快に感じることでしょう。気持ちが伝わることを求めることから始まり、その手段として言葉があります。どの言葉であれば相手に伝わるのかを思いやることから人の繋がりは広がっていきます。
 人の姿をしていれば人なのかというと、そうではありません。人の姿をしていても中身が違う時があります。妬みや嫉みが感じられる時、あなたの目の前にいるのは人ではありません。対象的に人としての形がなくても若しくは崩れていても人であったり人以上の存在であることもあります。言葉はないかもしれません。それでも人を慈しむ心が、私を包み込むのです。
 
 「金はすべて光るとは限らない。放浪する者が皆迷っているとは限らない。年老いても強いものは枯れない。深い根に霜は届かない。」

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