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Cahier 2020.07.24

コロナ禍に加えて長梅雨と、今年の6、7月は鬱々とした空模様が続く。

増える感染者数(もう数の読み方の指針を見失ってる)、混沌を極めた行政政策(国難?)、新幹線N700s(デビューのタイミング悪かったね)、国家安全法の成立(・・・)、南九州の豪雨。春から停滞していたものが一気に大地を割って蠢き出したように目まぐるしい日々。

そんな世の中を背に、まるで短編恋愛小説の一篇のような日々を過ごしたひと月だった。

恋をするときに幸せだな、と感じるのは、その人と連れ立って歩いているときの風景がひとつの情景として自分の中に流れ込んでくる瞬間だ。

無機質なビル群がひとつひとつ有機的な点と線で結ばれ立体として浮かび上がり、ひとつのランドスケープとして広がっていることに目が開かれていくとき。わたしの手を引く恋人の手がカメラを回すように次々と新しい風景を切り拓いていくとき。一篇の映画のように完成されたそのヴィジョンは、一度脳裏に焼き付くと二度と離れていくことがない。

銀座通り、永代橋河岸、日本橋髙島屋、コレド室町アネックス、東京駅丸の内中央口のドーム、浅草の仲見世通り。

見慣れたはずの風景も切り取り方によっては全く違った様相を見せる。

東京で生活するようになって、もうすぐ14年。

あちこちにそんな情景が生まれていくたびに、この街をどんどん好きになっていく。恋人もわたしも誰ひとり登場人物のいない街の風景、純粋なひとつのヴィジョン。その掌サイズのショートムービーが心の中で再生されるたびに、わたしはこの街を好きになる。

この街では一日に数えきれないほどの人とすれ違う。

ふたりの足跡は雑踏の中、ものの数秒でかき消されていくけれど、もうそんな不安に惑わされたりすることはないだろう。

顔を上げて目を見開いてみれば、そこにはいつもランドスケープが広がっている。

わたしたちはこの街で生き、すれ違い、やがて別れ、それぞれ次の目的地へと歩いていく。



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