読まれる描写、読まれない描写の違い
みんなどうしたら読んでもらえるか、めちゃくちゃ悩んでる。おれも悩んでる。
今日はその中から、描写の重要な点について話そう。
Noterが好むのは情緒に富んだ表現
仲さんの以下のエントリーを読ませていただいた時に、一転腑に落ちない点があった。批判ではなく純粋な疑問だ。
エッセイではなく、小説の話になるが小説であれば大抵は冒頭になんらかの描写が入る。
しかして読まれる描写と読まれない描写には、明らかな違いがあると感じていた。
であれば、ただ描写が入れば良いという事ではなく、明確に描写の印象を左右する何かがあるはずだ。現時点の結論としては、それは情緒の有無だった。
評価の伸びる文章には情緒がある
個人的な好みなのだが、自分は情緒に富んだ表現は少々苦手で、読むのも書くのももっぱら感情を押さえ込んでいるような、まるで鉄を舐めているかのごときタフな表現を好む。
それは裏を返せば無味乾燥な文章と取られやすく、おもしろみに欠ける印象を与えることにつながりうる。また、ハードボイルド的表現であっても、やはり情緒の機敏は存在するのでまだまだおれは修行が足りないという訳だ。
比較的評価の伸びが早い方の表現を分析すると、情緒に富んだ文体が多い。好みの問題ではあるが、Noteでは情緒に富む表現が好まれるのだろう。
実際、自分で書き分けていても上品な、情緒のある文章の方がじゃっかん受けはいい。
冒頭のフックとして情緒のある文章にする
以上のことから、Noteで少しでも読まれやすい工夫として情緒の感じられる表現を冒頭に持ってくるのが一つの選択肢といえるだろう。
ここにショッキングなイベントと連動させてシナジー効果を狙ったりすることも出来るし、知識としてそういうのが好まれるのは知っておいて損はないだろう。自分にとって好ましくなければ、使わない自由だってあるのだから。
文章の情緒の濃淡についても、やはり先人の作品に学ぶのが大事だろう。知らないものは書けないものである。インプットだいじ。
まとめ
・読まれる描写には情緒がある
・そこから、必要に応じて情緒の濃淡を変えると良い
・情緒のある文章を学ぶ為に、先人に習う
戦場へ
また一つ、成長の為の指針が手に入って自信がついた形だ。思考するきっかけをいただいた仲さんには感謝します、まことにありがとうございます(平伏)
今回はここまでだ。またな。
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