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「モルグ」⑥

河川敷を一面覆っていた、人の背丈ほどもあろうかの雑木たちが、一掃されていた

週を挟みながら、数日かけて行われたようだった

丸裸にされたようにぽつねんと建つ小屋と、押しやられたズタズタのブルーシートが際立って見えた

小屋はさらに小さく所在なく見えた

一斉伐採は、これが目的だったかのように思われた

ブルーシートが絡まる小屋は、二三、点在していた

小屋同士、決して歩み寄れるほど近くはなかった

衆人環視の中でいたたまれず、時代に取り残されたような小さな砦は、撤去を待たず風に吹き倒されそうな気がした

伸び放題の雑木が取り払われると、河川敷は一層低く沈んで見えた
雨でも降れば水量が増し、河川敷の野原に平行した川に、間違いなく小屋は呑まれるはずだった

(誰か人は住んでいたのかしら。それともまだ人が。もぬけの殻であってほしいわ)

小夜子は正視するのも悪いような気がして、素知らぬふうに自転車を漕いだ

向こうから半袖半ズボン、サングラスにヘルメットのサイクラーが、右手を横に振った
左に寄って過ぎ去った後で、ああ、わたしったら右走行。逆走していたんだわ。

まるで、しっしっしっと追い払われた気がした
サングラスの無表情の、無言のあしらい

(ちょっと傷つくなー。左走行だよー、ごめんねー、くらいに笑顔で言えないかしら。それならわたしも、あっ、すみません~って笑って返すのに)

小夜子は気を取り直すように髪を振り払うと、また前を向いて漕ぎ出した

(今日はあーちゃんと姉さんにクリスマスのプレゼントを見に行くのよ。手芸コーナーのプラ板で、簡単マフラー編んであげたいのよ。あーちゃん喜ぶかしら。あーちゃんにはまだ早いかしら。振り回してポイッね、きっと。首に巻き付いて危ないかしら。まだスタイが必要なくらい食べこぼすのよね、あーちゃん。でもプラ板で、たったひと玉で作れるのよ。ずぼらなわたしでも、せめて手作り感を出すのよ!もちろん章ちゃんにも編んであげよう)

(そういえばあの二人組の刑事さん。クリスマスには程遠い、縁のなさそうな顔をしていたわ。家庭に縁のなさそうな寂しさがなんとなく伝わってくるような・・)

小夜子は身長差が20㎝はあるだろう、小鉢東署の安積・伊丹刑事を思い出していた

小夜子の脳内では、二人はもこもこのマフラーをして嬉しそうに笑っていた

(結局のところ、人違い)

古い町で年若い娘が引きこもるように、親子よりは若く見える男の世話をして暮らしていたら、隣近所の噂になるに決まっている

義兄には長兄の娘で、数人いる姪の一人だった
その姪が世話をするのは、末弟で学者崩れだと聞いていた

趣きや心持ちが似通っていた

その姪は小さな頃から末の叔父になついていたと言う
大恋愛の末に結婚した教え子の妻を亡くしてから病気がちで、姪は進んで世話を買って出た

それが間違いだったのだろう

寝起きを同じ家で、食卓を囲めば、情も湧くだろう

あからさまに色眼鏡で品定めをするような、卑猥な言葉を吐いてくる、下卑た親類など田舎には珍しくない

病質的なのか、偏執的なのか、脆弱なのか、破滅的なのか、まさに見越していたのか小夜子にはわからないが

(なぜ、叔父と姪でなくてはならなかったのか。なぜ、よりにもよってその人だったのか)

(愛別離苦の耐え難さを転写してまで、よそ様の娘に一生の生苦を背負わせる。寂しければ、辛ければ、何をしても許されると言うのかしら)


小夜子は、もうひと月前にはイルミネーションライトが取り付けられていた広場通りまでやって来ると、自転車を降り歩道を押し進んだ

黒張りのウィンドウに映る自分

女にも、妻にも、母にも、何者にもなれないでいる自分が映る

娘、でいられた時は短かった

だからこうして似た者同士のような、分身かのような姉の水穂子と、敦彦を玩具のように可愛がり、ままごとの続きをしている

(ただでさえ、未熟な体と頭で出産をして、路頭に迷っているのじゃないかしら)

(突然すべてがわからなくなり、意識をなくしながら夢遊病のように、外に走り出る)

(夜な夜な、電灯の下で、月明かりの下で、獲物が通りかかるのを待っている。弱った猫を見つけたかのように、自分が獲物だと知らず拾い上げる)

「そして自分が連れ込んだつもりの安宿で、男は頸動脈を切られて死んでいるのを、発見されるんですがね。それがなぜかたいてい午前九時過ぎ。老婆やバイトの女子大生が掃除の日には、昼まで気付かないこともある。それがどうもフードを目深に被った若い女との目撃証言がある。つい最近もこの辺りで、いや貴女のお姉さんのお宅の前で、目撃が多発しています。どうにも不気味で、声をかけたら刺されそうで声かけ出来ないとね。いや、中には足首の腱を切られてから頸動脈を切られたガイシャもいます。お心当たり、ありませんかね?」

小夜子は安積に対して

「そんな情報、わたしのような一般人にお話していいんですか?初耳ですよ、わたし。そんな事件も、フードの女性が噂になっていることなんて、聞いたことありません。公開されていない事件なんじゃありません?
いいんですか?そんなの話回っても」

「だから貴女に聞いているんですよ。我々は広域捜査34号とその女を呼んで探しています」

やっぱり冴えない朝の、冴えない頭のせいだと思った

小夜子は早く玄関に上がって、キリッと冷えたカプチーノの缶を一息に飲み干したかった

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