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本の紹介特別回(アニメ・漫画もあるよ)

Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~2020/05/04 第499号

はじめに

はじめましての方、はじめまして。毎度おなじみの方、ありがとうございます。

499号です。

499は95番目の素数であり、当然のように500の一つ手間の数字でもあります。つまり、プレ500回ですね。

というわけで、今回はプレ500回を記念して、本の紹介特別回、いや、メディア紹介特別回にしたいと思います。まるまる一号本(やらなんやら)の紹介となっています。

というわけで、今回は中身が詰まっているので、「はじめに」もそこそこに本編にはいりましょう。

ゴールデンウィークに限らず、家にこもっているときのメディア摂取選びの一助になれば幸いです。

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2020/05/04 第499号の目次
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○「堅めな本リスト」
○「やや堅めな本リスト」
○「やや柔らかめな本リスト」
○「知的生産の技術の本リスト」
○「仕事術・実用書の本リスト」
○「エッセイ・小説の本リスト」
○「アニメリスト」
○「ライトノベルリスト」
○「漫画リスト」

※質問、ツッコミ、要望、etc.お待ちしております。

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○「堅めな本リスト」

わりと堅い内容の本たちです。

1.『腸と脳』(エムラン・メイヤー)

腸内環境と脳って強い影響関係にあるよ、ということを教えてくれる本です。私たちが一般的に考えているよりも腸は複雑な器官で、しかも腸内微生物が健康上のさまざまな要因になっていることが示唆されます。本書を読んでから、私は発酵食品(ヨーグルトとかキムチとか)の摂取に積極的になりました。

あと、人間という一つの閉じた系の中に「微生物」という外部性が入り込んでいて、それでエコシステムがうまく回っている、という構図は、概念モデルとしても面白いと思います。閉じているように思えるものがそうではない、ないしは「自分」は自分以外のものによっても構成されている、といった視点です。

2.『遅いインターネット』(宇野常寛)

まず民主主義がヤベーぜ、ということが示されて、その上で「民主主義を半分あきらめること」で民主主義を守るというスタンスが提示されます。

中盤あたりまでは、プロ市民でも大衆でもない、職業人が政治に参加する回路をつくる必要性が議論され、最後はそのための個人をどう育成するのかの話に移って、著者が運営する有料で参加できるコミュニティーと、これまでのWebマガジンと似た形式をとりつつ、スロージャーナリズムのような「遅さ」を意識したコンテンツを展開する「遅いインターネット」が紹介されます。

いくつか突っ込みたい点もありましたが、現状のインターネットを「改めて」考える上で有益な示唆が得られました。

3.『プレイ・マターズ 遊び心の哲学』(ミゲル・シカール)

プレイ、つまり「遊び」に関する論考です。

現代では、「遊び」というとすぐに「ゲーム」が思い浮かびますが、本書は「ゲーム」を扱いつつも、「遊び」をより上位の概念において議論を進めていきます。

遊びは、遊技でもあり、また「ハンドルの遊び」(Handle play)のように、余裕(margin)をも意味します。もちろん、この二つは重なり合う概念です。

ゲームですら、「最速攻略」「効率的なプレイ」が求められる現代において、「遊び」を取り戻すためには、意識的な行為が必要になってくるのでしょう。

4.『情念論』(デカルト)

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デカルトと言えば、『方法序説』が有名ですが、こちらもすごい本です。私はアランの『幸福論』でやたら本書が言及されていたので手に取ったのですが、想像していた本とまったく違っていました。

デカルトは、一方で情念というものの性質を分類しつつ、もう一方ではそれを「体の中の働き」として説明してもいます。ある種の心身論です。

デカルトがこの本を著したのは、1649年のことですが、その時代からこんな考え方があったんだなとびっくりしました。

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○「やや堅めな本リスト」

少しだけ堅い内容の本たちです。

5.『デジタルで読む脳、紙の本で読む脳』(メアリアン・ウルフ)

脳が読字のための回路を独自に発達させるとき、その回路は他のさまざまな知的行為に用いられるようになる、とすればその読字回路がデジタル媒体によって変質するとき、私たちの脳はどのように変わっていくのだろうか、そして私たちはその事実とどのように付き合えばよいのだろうか、という本です。

ポイントは、単に紙の本をデジタル端末で読むことだけでなく、デジタルメディアの生態系の中でコンテンツの性質そのものが変わってしまう可能性にあります。それは、現代で流行りの(つまりバズる)コンテンツの傾向を見ていればよく実感できる話です。

この話を考えるためには、まず私たちが社会生活と個人生活を送っていくために、どのような知的能力が必要なのかをボトムアップで考えていく必要があるでしょう。

6.『ミシェル・フーコー: 自己から脱け出すための哲学』(慎改康之)

フーコーは著名な哲学者で、さまざまな本でたくさん引用されていますが、その著作に直接当たったことはありません。でも、なんとなくその考え方を知っている(と感じられる)哲学者でもあります。

とは言え、やっぱり「なんとなく」の範囲からは出られていないので本書を読んでみました。本書はフーコーの著作活動を追いかけながら、そこにある「手つき」の共通性に注目します。

哲学とは、新たな視座に立ち、それまでの「当たり前」を揺さぶる試みだと言えます。一方で、「フーコーという哲学者は、こういうスタイルの哲学者である」ということも、一つの「当たり前」になりえます。フーコーはその当たり前すらも乗り越えようとしたのでした。

言い換えれば、フーコーは「フーコーらしさ」から常に逃れようとしていた、ということです。それは「こういうスタイルで書いておけば、仕事として成立するよな」というなあなあなスタンスとはまったく逆の、厳しい、しかし常に新しい風が吹いてくる仕事のスタイルだったに違いありません。

7.『ブレイン・ルール 健康な脳が最強の資産である』(ジョン・メディナ)

高齢者になっても、活き活きとした脳を維持するための方法論を提示した本です。よって、内容のいくらかは高齢者向けになっていますが、中年にさしかかろうとしている私のような年代でも役立つ知見は多いでしょう。

第一のルール「友だちを作ろう。友だちになってもらおう」
第二のルール「感謝する習慣を身につけよう」
第三のルール「マインドフルネスは脳を静めるだけでなく改善する」
第四のルール「学ぶのに、あるいは教えるのに、遅すぎるということはない」
第五のルール「脳をテレビゲームで鍛えよう」
第六のルール「"わたしはアルツハイマー病になったのか?"と疑う前に、探すべき兆候」
第七のルール「食事に気をつけて、運動しよう」
第八のルール「思考を明晰にするためには、十分な(しかし、長すぎない)睡眠をとろう」
第九のルール「永遠に生きることはできない、少なくとも今のところは」
第十のルール「引退は絶対にやめよう、そして、郷愁を大切にしよう」

これを見ていると宗教というものが、もっと言えば宗教が結びつける地域的な共同体が、人間の健康性の維持に大きな貢献をしていたことが伺えます。

どのルールも大切ですが、個人的には第一のルールが一番大切かと思います。こればかりは一人で完結できないので。

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○「やや柔らかめな本リスト」

もっと柔らかい内容の本たちです。

8.『教養の書』(戸田山和久)

教養ってなんじゃらほい、というところから始まって、現代的な教養の意義、本を読むことについてなどが語られます。

面白いのは、「教養の敵は何か、それとどう戦うべきか」という問いで、たしかに教養に向かう道というのはトラップだらけなのです。「専門性」にどっぷりつかって視野が狭くなったりとか、なまじ知識が増えたばかりに周りの人を見下したりとか(どう考えても教養ある人の態度ではありませんね)。そういうトラップを避けながら進んでいかなければいけないのが教養への道です。

最後には「教養への道の歩き方」として実践的な話もされているので、実用書の側面もあると言えます。

9.『「無為」の技法』(スティーブン・デスーザ、ダイアナ・レナー)

このコロナによる自粛生活が続いている中で、一番キラリと光るのが本書でしょう。

ビジネス書では、とにかく「行動すること」が重視されます。多動力みたいな本もあるくらいです。行動すること=価値を生むこと。これが前提のようになっています。

しかし、何もしないこと(≒能動的な動作を加えないこと)によって生まれる価値もあるのだと説くのが本書です。まったく何もしないのではなく、そこにある流れに身を任せることが本書が言う「無為」で、まさにそれが今の状況で求められている考え方でしょう。

10.『デジタル・ミニマリスト』(カル・ニューポート)

上の本と似た雰囲気を持っているのが本書です。この本では、デジタル環境がもたらす「騒がしさ」から距離を置くことの重要性と、そのための方法論が語られています。

私もTwitter中毒なので、本書が指摘する話は非常によくわかります。Webで遊んでいるときは、時間が満たされている気がするのですが、その時間が過ぎてみるとひどく空虚なことに気がつきます。それってやっぱり、健全な時間の過ごし方とは言えません。この辺の話は、後で出てくる『時間術大全』と重なる部分も多いです。

とりあえず、現代の情報ツールは私たちの注意を奪うことにひどく長けているので、無防備に使い始めるのは結構危険なことは間違いないでしょう。

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○「知的生産の技術の本リスト」

知的生産の技術に関係しそうな本たちです。

11.『読書と社会科学』(内田義彦)

かなり古い本です。1985年が初版。岩波新書の黄色ですね。

タイトルからすると本を読むことと社会科学の関係性が語られている予想が立ちますが、比重はずっと「読書」に偏った内容です。

人が何かを認識するときには、概念装置(あるいは単に概念)を使います。そして、本を読むことを通して、人は頭の中に概念装置を作り上げます。ここで重要なのは、概念を暗記することではなく、概念装置を頭の中に作り上げる、という点です。

いくら正確に概念の定義を暗記したところで、何かの事象を理解するときに、その概念装置が駆動しないのでは意味がありません(だからこそ、概念ではなく概念装置という言い方がなされているのでしょう)。

では、どうすれば概念装置を頭に組み上げられるようになるのか、というのが本書を通して明かされる本の読み方です。

12.『段落論』(石黒圭)

こちらは新しい本ですね。2020年2月出版です。

本書には二つの側面があって、一つはタイトル通り「段落」というものの学術的な論考です。上の話を引きつげば、概念装置としての「段落」の捉え方となるでしょうか。これ自身がかなり興味深いものです。

で、もう一つの側面は、執筆における「段落」の使い方という実践的なノウハウです。こちらは読みやすい文章を書く上で参考になるでしょう。

なんにせよ、最近の知的生産系書籍の中では、かなり面白い本でした。

13.『できる研究者の論文生産術』(ポール.J・シルヴィア)

やや古めの本です(原著初版が2007年)。そして、ほとんど無慈悲とも言えるくらいに救いがなく、現実的な助言をしてくれる本です。

「まとまった書く時間ができたら書く」
「インスピレーションが降りてきたら書く」
「資料が十分に集まったら書く」

という態度では、いつまで経っても論文をたくさん書くことなど不可能だ、と高らかに宣言してくれます。

時間をつくり、約束を断り、机に向かって、書き仕事を進めること。それしか、「たくさん」書く方法はありません。至極当たり前の話ですが、私たちが言い訳にまみれて見えなくなっている事実でもあります。

本書はその「当たり前」をはっきりと突きつけてくれます。あくまで論文についてなので、小説など文芸作品には当てはまらない部分もあるでしょうが、そうはいっても書く時間を作ろうとしない限り、書く時間など生まれない、というのは明瞭な真実ではあるでしょう。

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