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Scrapbox知的生産術05 / タスクとプロジェクト / 何と比べるかを選ぶ

Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~ 2022/05/30 第607号

「はじめに」

ポッドキャスト、配信されております。

◇第百五回:Tak.さんと「プロジェクト」について 作成者:うちあわせCast

今回の話はいろいろ反響がありました。改めてタスク管理について考えるきっかけになりそうです。

〜〜〜コンフリクトに慣れること〜〜〜

イアン・レズリーの『CONFLICTED(コンフリクテッド) 衝突を成果に変える方法』に、「衝突」について面白い指摘がありました。

私たちが話し合いの中で「衝突」することに慣れていないと、無難な立場に落ち着いてしまうか、あるいは激しく相手を攻撃しはじめるのかのどちらかになってしまう。

これはたしかにその通りでしょう。前者は日本社会のリアルな(つまりネットではない)場所でよく見かける風景で、後者はインターネットの(特にSNSの)の中でよく見かける風景です。

まず前者ですが、誰かの意見に対して波風を立てることなく「そうですよね」と頷くことでその場はうまく収まるのですが、同時に心の中に反対意見も収めてしまいます。すると、徐々に「我慢している」というネガティブな感じが強まってきます。さらに、本来ならブレストによって鍛え上げられたような意見の向上も望めません。これなら、たくさんの人を集めて話し合う意味はほとんどないでしょう。

一方で後者は、反対意見を口に出されることに慣れておらず、相手が自分に敵意を持っていると勘違いして頭に血が上ってしまい、本来言うべきでない言葉が口をついてしまう、なんてことが起こります。当然そこでは建設的な意見など望むべくもありません。

私がポッドキャストをやっていても思うのですが、お互いに相手に敬意を払いながらも、「それは違う」と思ったことについてはきちんと口に出せる関係が気持ちよいですし、話し合いも面白くなります。

とは言え、これは一種の能力であり、訓練が必要でしょう。少なくとも、決意したらすぐにできるものとは思えません。だからこそ、ある程度若いうちから「衝突」に慣れておくのは有効だと思います。立場が固まってしまってからでは、なかなか難しいでしょうから。

〜〜〜読了本〜〜〜

以下の本を読了しました。

『脳は世界をどう見ているのか 知能の謎を解く「1000の脳」理論』(ジェフ・ホーキンス)

最近読んだ脳関係の本では一番面白かったです。

前半は人間の知能がどう構成されているのか、という「1000の脳」理論の紹介で、まずこの話が非常に興味深いものでした。特に、概念的なものの理解にも脳は「座標」を使っているのではないか、という話は私たちがデジタルツールで「迷子」になりがちな点と関わっている気がします。

もう一つ、本書の後半ではそうした「知能」の話から波及して、人工知能の問題へと飛び、さらに「私たち人類が後世に残すべきものは何か」といういささかSFめいた話に展開していきます。そこでは遺伝子か、それとも知能かという難しい二項対立が提示されます。こちらの話は非常にエキサイティングでした。

私の視点で言えば、著者は「愛」をどのように考えているのかだけがちょっとだけ気になりました。おそらく本能と強い関わりのある、しかし知能も関係してそうな「愛」は、人類が残すべきものなのでしょうか。

難しい問いです。

〜〜〜Q〜〜〜

さて、今週のQ(キュー)です。正解のない単なる問いかけなので、頭のストレッチ代わりにでも考えてみてください。

Q. 「プロジェクト」とは何でしょうか。あるいはどのようにそれを扱っておられますか。

では、メルマガ本編をスタートしましょう。今週は、Scrapbox知的生産術の05と、二つのエッセイをお送りします。

「Scrapbox知的生産術05」

アイデアとは、「どう扱うのかその時点では決められない」情報である。そうなると、その「整理」が非常な困難となる。

一般的に整理とは、物事を秩序立って整えることであるし、その目的は「使うときに、適切に取り出せる」状態を作ることと言える。

たとえば、包丁はキッチンに収納しておくだろう。決して、押し入れの布団の奥ではないはずだ。なぜなら、包丁は日常的にキッチンで使われるからだ。

それを使うときに、取り出しやすい場所に置いておく。

こういう「整理」については、難しい話はぜんぜんない。

一方で、アイデアは「どう扱うのか」わからない。つまり、どういう状況のときに「使う」のかがわからないのだ。こうなると、上のような整理なんてやりようもない。少なくとも、既存の「整理」と同じやり方をしても、その目的が達成される可能性は低いだろう。

■デジタルにおける整理

「整理」についてもう少し考えよう。

デジタルツールを使うなら、上記のような「整理」は、相当に融通が効く。

たとえば一年に一度しか使わない情報でも、キーワードで検索するなり、タグを使えば、一発で取り出せる。紙の書類ではなかなか考えられない状態だろう。

また、定期的に参照される情報であれば、「ブックマーク」を作ったり「テンプレート」化しておくことで、より短いアクセスルートで目指す情報にたどり着けるようになる。

紙などの物理的な情報法の整理に関しては、物理スペースが持つ距離や要領の限界が強い影響を持っていたが、デジタル情報ではそうした制約を考える必要がない。その意味で、デジタルツールの方が情報は扱いやすいのだ。

しかし、「アイデア」に関しては同じことが言えない。それは「情報を扱うならデジタルに限ります」という理解が持つ盲点と言えるだろう。その視点には、見えていないものが存在しているのだ。

■「超」整理法では?

資料や情報の「整理」であれば、優れた整理術がたくさん存在している。有名なのは、野口悠紀雄の「超」整理法だろう。一見トリッキなーことを主張するこの整理法は、実に実用的である。

「一度使ったものを、一番手前に置いておく」

という簡単なルールで構成されるこの整理法は、「一度使ったものは、直近で使われる可能性が高い」というシンプルな原則に基づいている。そして、「資料」などの情報に関しては、この原則が非常によく当てはまる。

しかし、アイデアは頻繁に参照されるものではないし、一度利用したものは、一般的にもう二度と使われないものである。この性質を考えても、アイデアの「整理」に、「超」整理法が使えないことが分かる。

■袋ファイル・システムでは?

山根一眞による「袋ファイル・システム」でも、結果は変わらない。

ひとまとまりの情報を封筒にまとめ、その封筒にインデックスを書き込んで、それを「あいうえお」順に並べるこの整理法は、資料の保存には適しているかもしれないが、アイデアの整理には向いていない。

そもそも、アイデアを「ひとまとまりの情報」として扱うのが困難だし、仮にうまくそれができても、その封筒をどんな状況で引っ張り出せばいいのかはまったくわからない。

たとえば、Evernoteに関するアイデアを「Evernote」という封筒に入れておき、Evernoteについて何か書くことになったら、その封筒を空ける、という使い方がイメージできる方法だろう。

これはイメージとしてはうまく成立するが、実際の運用はそううまくはいかない。なぜなら、アイデアとは、「既存の要素の異なる組み合わせ」であるからだ。

素晴らしい着想とは、むしろ「Evernote」の封筒に入っている情報と、何か別の封筒に入っている情報を「組み合わせる」ところに生まれるものなのだ。

しかしながら、こうした整理法では「Evernote」の封筒以外のどの封筒を開ければいいのかの示唆はまったく与えられない。根気があれば、一つひとつの封筒を無作為に開けていくことは可能だが、根気が必要な整理法は、根本的に続かないものである。よって、この道は行き止まりなのだ。

■アイデアは探せない

重要な点が確認できた。

デジタル環境では、情報はキーワード検索で見つけられる。探す対象が1000であろうが1万であろうが、キーワードでばしっと絞り込むことができる。アナログで1万の書類が目の前に広がっていたら、ほとんど絶望するしかないが、デジタルではそうした規模の問題を易々と超えられるわけだ。

しかしながら、「探せば見つかる」ということは、裏を返せば「探さないと見つからない(目に入らない)」ということである。

ここでアイデアの性質が問題になってくる。アイデアは探さないのだ。もっと言えば「探せない」のである。

アイデアが「既存の要素の異なる組み合わせ」であるならば、必要なのは既存の要素と一般的に結びついていない要素を提出することだろう。Aと思ったときにBと返ってくるのが一般的であるならば、そこにDやFを返すこと。それがアイデアの生成においては重要になってくる。

残念ながらキーワード検索はこれをやってはくれないし、情報をまとまりごとに封筒に入れるようなやり方も同じだ。

「アイデアはどう使うのかはわからない」とは、こういうことなのだ。ある秩序で整理して、それに沿って情報を見つけている限り、予想外(理を超えた)の情報と遭遇することはない。常に求めているものが見つかるだけだ。

これはアイデアの扱い方としてはまったくうまくないと言える。

■アイデアの「整理」に関する勘違い

私がこの問題に本格的に取り組む前までは、アイデアの整理とは、先ほど出てきたように、Evernoteに関係するものを一つの箱に入れておき、「必要に応じて」それを取り出す行為だと思っていた。

そのような行為であれば、まさにそのEvernoteが適しているだろう。ノートブックを作り、そこに放り込んでおく。それだけで事足りる。あとは、「必要に応じて」検索されるのを待つばかりだ。

この手法は、ある限定的な状況のときには役に立つ。それは「書くテーマがあらかじめ決まっているとき」だ。

たとえば、「よし、Evernoteの本を書こう」と決めてから、そのためのノートブックを作り、そこにEvernoteに関することを集めていく、というやり方は文句の付けようもなくうまくいく。

しかし、思い出して欲しい。こうしたやり方をするとき、そこに集められるアイデアは、「すでに目的がはっきりしている」のである。つまり、そのノートブックの実体は「ネタ帳」なのだ。

言い換えれば、「どう扱うのかその時点では決められない」情報ではない、ということになる。

よって、本の執筆活動においてこうしたアイデアの扱い方(ネタ帳的運用)がうまくいくとしても、それ以外の範囲までカバーしてくれるわけではない。

むしろ上記のようなやり方を「アイデアの扱い方」だと勘違いして、すべてにこの方法を適用してしまうと、うまくいかない結果となる。私のように、貯めるだけためるけども死蔵されるか、そもそも貯められない、という状況になるわけだ。

■予想外の遭遇が面白い

自分の経験から言えることだが、アイデアに関しては予想外の遭遇こそが一番面白い。

たとえば、パソコンで文字入力をして、その後漢字変換をしたら、「思っていた」のとは違った漢字に変換されてしまうことがある。もちろん、それは失敗なわけだが、そのような誤変換からインスピレーションが湧いてくることは珍しくない。

同じように、特定の記述を探そうと本のページをめくっていたら、ぜんぜん関係ない記述が、ぜんぜん関係ないテーマと結びついた、という経験もある。これなどまさに、ヤングが言う「既存の要素の異なる組み合わせ」であろう。

上記のような状況で起きているのは、意図していなかった情報との接触であり、そこから生まれるインスピレーションである。

「アイデア」を扱う上でのポイントは、そのような力学をいかに発揮させるかにかかっているであろう。

その意味で、ネタ帳的な運用は、あらかじめ用途が決まっている情報を、その用途の中で「思い出し」ているだけだ。新しいインスピレーションが生まれているのではなく、インスピレーションによって生まれた着想を想起(再生)しているだけなのだ。

そこには予想外の遭遇はほとんどまったく生じない。

■アイデアを運用する

つまり、アイデアを「整理」することとは、ある秩序において情報を並べておき、必要なタイミングでそれらを引っ張り出せるようにすることではないと言える。

もちろん、ネタ帳的な運用では適切に参照できたら便利ではあるので、言い直せば、「引っ張り出せるようにするだけでは足りない」となる。

むしろアイデアの「整理」において必要なのは、いかに新しいインスピレーションを生み出していくかが重要となる。

そのように考えれば、これはもう「整理」という言葉はふさわしくないだろう。むしろ「運営」とか「運用」とか、そうした言葉の方が似合っている。

アイデア運用。

それが、「どう扱うのかその時点では決められない」情報が必要とする営為である。

(つづく)

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