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二軸でプロジェクトを挟み込む/メメント・ヒト/笑顔の力と自己啓発のバージョンアップ/想像の力、自分という牢獄

Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~ 2019/06/17 第453号


はじめに

はじめましての方、はじめまして。 毎度おなじみの方、ありがとうございます。

先週のR-styleでは、iOSのショートカットについてずいぶん書きました(というか、それしか書いていません)。

ひょんなことから、iOSのショートカットを作ることになり、そのために試行錯誤&検索を結構したので、それをシェアしておこうと記事を書き始めたのですが、これがなかなかのボリュームになっています。

で、記事を書いているうちに、徐々に「これって本になるんじゃね?」という気持ちが湧いてきました。二週間前までは、そんな企画などまったく考えていなかったのですが、『すぐできる!iOSショートカット超入門』のような解説書を書いてみるのも面白いかな、という気持ちになっています。

で、この「これって本になるんじゃね?」という感覚を分解してみると、

・解説を必要とする程度には難しい
・しかし、本を読んで実践すれば理解できる程度には優しい
・マスターすればiPhoneが便利に使える実用性がある
・様々なアクションを組み合わせ、自分の求める機能を作り上げる行為そのものが楽しい

というような部品から構成されていることがわかりました。このうちのいくつかが欠けていると、「面白そうだけど、弱い」という企画案になり、着手される見込みはぐんと薄くなります。逆に、今回のようにたっぷりつまっていると、「ちょっとやってみっか」という気持ちになり、実現される可能性も高まります。

まあ、実際に書くのかどうかはわかりませんが、有力な寝たとして、ネタ帳には記録しておきたいところです。

〜〜〜説明の素振り〜〜〜

先ほど、「実際に書くかどうかはわからない」と書きましたが、たとえそうであっても、もし執筆するとしたらどんな本になるだろうか、とつい考えてしまう癖があります。

・導入部分はどうすればいいか?
・どんな風に話を展開していくか?
・どの要素を取り上げるか(とりあげないか)?
・理解しやすい話の順番はどうか?
・どうすれば楽しく読み進められるだろうか?
・どういう構成ならくじけずに続けていけるだろうか?

みたいなことをネチネチと考えるわけです。執筆しているわけでもないのに。

でもってこれは今回だけの話でなく、日常茶飯事です。なにかにつけて、「これを他の人に説明するならどう説明するだろうか?」みたいなことを常々考えてしまっています。そんなことを考えても、実際に誰かに説明するわけでもないのに。

言うなれば、これは素振りのようなものでしょう。実際に誰かに説明するわけではない、頭の中だけで組み上げられる説明。

私は、何かを説明するのが得意な方だとは思いますが、もちろんそれは説明が好きだからです。でも、その「好きだから」というのは感情面の話だけでなく、このように「なにかにつけて」説明をいつも考えている面も強く影響しているのでしょう。説明のシャドーボクシング。

ことわざには、「好きこそ物の上手なれ」と「下手の横好き」という相反するものがありますが、おそらく「必要とされていない場面でもその行為をついやってしまう」という点に、上達の差が隠れているのでしょう。

好きだけど、練習はしたくない、というのでは上達は難しそうです。ついつい素振りしてしまう。しかも、本番と同じような心構えでそれをやってしまう。そういうところにヒントがあるのかもしれません。

〜〜〜目覚めさせない時計〜〜〜

言葉遊びが好きなので、目に入った(耳に届いた)言葉をいじくり回して楽しんでいます。

たとえば、以前「目覚まし時計」という言葉を目にして、それをひっくり返してみました。「目覚めさせない時計」。

言葉が専攻し、概念がその後を追います。

「目覚めさせない時計とはどのような時計か?」

・起きたい時間になったら、逆に子守歌が流れる。
・アラームと止めるボタンに毒針が仕込んであり、そのまま(永久の)眠りに就く

概念に続き、シチュエーションが模索されます。

「その時計は何のために使われる?」

・働きすぎを抑制するため
・殺人事件

ほんと〜〜〜に益体もない言葉遊びではありますが、私が小説を書くときは、似たようなプロセスを踏むことがあります。

これもシャドーボクシングなのかもしれません。

〜〜〜競合する価値観〜〜〜

たとえば、「今の社会は○○でよくない。□□な方向に向かうべきだ」という意見があったとしましょう。もちろん、そうした考えを持つことは別に悪いことではありません。

もう一つ、同じ人が「自分は△△のように生きたい。××のようなものは避けたい」と意見を表明したとしましょう。もちろん、そうした考えを持つことは別に悪いことではありません。

で、それぞれの意見は、単独でみれば全然問題ないにしても、それをつなげてみると綻びが生じることがあります。

どういうことかと言うと、個々人が△△のように生きていると、結果として社会が○○な方向に向かってしまう、ということが起こりえるのです。

というよりも、個々人が△△のように生きたいと考えているまさにそのことが、社会に○○な方向をもたらしている、と表現できるかもしれません。

で、そうした整合性の無さが出てくること自体は構わないのですが(なにせ人間は不完全な存在です)、なぜそうなるのか、どうすればそれを解消できるかは気になります。

・自分の意見の整合性について注意を払っていない?
・当事者意識が欠けている?(雑に意見を持っている?)
・情報の扱いが断片的すぎて別の自分の意見がどういうものか覚えていない?

何が原因なのかは判然としませんが、「思考の技術」としてこの問題にアプローチできたらいいな、と最近考えています。

〜〜〜見つけた本〜〜〜

今週見つけた本を三冊紹介します。

 >>
 ドゥルーズが最後に達した(光)とは何か。究極のドゥルーズ論を核心に据えて最も戦闘的にして根源的な哲学者の原点と到達点をしめす
 <<
 >>
 クリプキのウィトゲンシュタイン解釈を斬り、ロールズ正義論の曖昧さを突き、ハイデガーの政治性を問い、核戦争の不安にカントの声を聞く、米国哲学の重鎮の重厚な思索。
 <<
 >>
 デモや政治への違和感から、校則や仕事へのモヤモヤまで、
意見を言い、行動することへの「抵抗感」を、
社会学の研究をもとにひもといていく、中高生に向けた5つの講義。
<<

〜〜〜〜〜〜

さて、今週のQ(キュー)です。正解のない単なる問いかけなので、頭のウォーミングアップ代わりにでも考えてみてください。

Q. 「わがまま」を定義してみてください。

では、メルマガ本編をスタートしましょう。

今週も「考える」コンテンツをお楽しみくださいませ。

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2019/06/17 第453号の目次
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○「二軸でプロジェクトを挟み込む」 #BizArts3rd
 次に着手するプロジェクトの「決め方」について。

○「メメント・ヒト」 #知的生産の技術
 デジタルツールとの付き合い方を少し見直したい今日この頃です。

○「笑顔の力と自己啓発のバージョンアップ」 #エッセイ
 コンビニの接客から自己啓発の問題点へ。

○「想像の力、自分という牢獄」 #エッセイ #自分の研究
 自分という価値をいかにして見出すか。 

※質問、ツッコミ、要望、etc.お待ちしております。

○「二軸でプロジェクトを挟み込む」 #BizArts3rd

かーそる制作が一段落したので、次に取りかかるプロジェクトを選ぶ作業を行いました。今回は、そのやり方について書いてみます。

■プロジェクト状況

まず、メインストリームは決まっています。『僕らの生存戦略』の執筆です。現在は、アウトラインの整理中であり、その後、本文の執筆が待っています。どう楽観的に計算しても2ヶ月、実際は4〜5ヶ月くらいは時間予算を計上することになりそうです。

時間がかかること自体は構わないのですが、そうなると本が完成するまでの期間、本の売上げからの収入がなくなってしまいます。実際はこれまで発売したセルフパブリッシング本からの売上げがあるのですが、もちろんそれだけで生活できるほどの金額にはなりませんので、計算に入れない方が賢明でしょう。

となると、もう少し短いスパンで「完成」する本も、並行して取りかかった方が時間をうまく使えるのではないか。まず、そういう思いがありました。

■実行の現場感覚

とは言えです。

「メインストリーム」というネーミングは伊達ではありません。基本的に、一日のうちの大きな執筆資源(時間と脳的体力)の投下を余儀なくされます。

よって、並行して取りかかれるプロジェクトには、いくつかの制約がつきます。なんでもOKとはいきません。特に、本文を一から書き下ろしていく作業は、メインストリームとガチンコでぶつかるので、盛大に却下されます。

となると、できることはせいぜい以下です。

・メモを書き出していく
・アウトラインを整理する
・すでに書いてある原稿をまとめる
・すでに書いてある原稿を読み返して手を入れる

逆に言えば、上記のような作業であればメインストリームと並行して走らせることが可能だ、と予想できます(あくまで予想です)。

■それでも多すぎる選択肢

では、どんな企画案でそれを行うか?

この自問が簡単ではありません。なにせ、企画案のストックは山盛りです。誇張表現なく100個以上はあります。その中から、どれを選ぶのか。

結局、これについて長い時間考えました。サブストリームで行う作業の内容自体は決められたのに、どの企画でそれを進めていくかが決められなかったのです。

結局それは、価値判断の評価軸が1つしかなかったことに起因するのですが、そのことに気がついたのは、悪戦苦闘をしばらく続けた後でした。が、その結論に飛びつく前に、その悪戦苦闘について振り返ってみましょう。

■四つのフィールド

あまりにも決められない状態が続いたので、手持ちの企画案のうち、「今書きたい気持ちが強いもの」だけを20個ほど選りすぐって、それについて考えてみることにしました。

どう考えたのか?

さまざまな角度から考えましたが、もっとも有効だったのが「方向性」における分類です。

最初に思いついたのは、『僕らの生存戦略』と『断片からの創造』という企画案についてでした。この二冊は、「時間をかける本づくり」という方向性を持つのだという直感が湧いてきたのです。

時間と手間をかけて、より大きなコンテンツを育んでいく。これまではある程度決められた執筆スケジュールに間に合わせる形で本を書いてきたが、それとは別の時間軸において行われる本作り。それが『僕らの生存戦略』と『断片からの創造』の二冊で私がやりたいことです。

そして、「時間をかける本づくり」という方向性に気がつくと、「じゃあ、他の企画案はどうだろう?」という疑問が立ちます。今度はそれについて、考えました。

すると、次の四つの「フィールド」が出てきました。

四つのフィールド
・時間をかける本づくり
・売上げをつくる本づくり
・実験的な本づくり
・場をつくる雑誌づくり

それぞれ解説します。

■四つのフィールド

「時間をかける本づくり」:既出

「売上げをつくる本づくり」:売上げが見込めるテーマでの本作り。人気のジャンル、人々が欲しいとすでに口にしている情報に関する本。たとえば、『Evernote豆技50選』はここに位置する。

「実験的な本づくり」:既存の本がやっていないテーマでの本作り。あるいは、自分の表現を広げるための本作り。たとえば、ライフハック・ライトノベルの『Dr.Hack』はここに位置する。

「場をつくる雑誌づくり」:あるテーマのもとに人を集め、交流を促すための本(雑誌)づくり。「かーそる」の出版はここに位置する。

上記の四フィールド以外もありえるかもしえませんが、そこまで精緻な分類は必要としていないので、これくらいで十分でしょう。とりあえず、これで自分の活動にグッと見通しがつくようになりました。

ちなみに、上記の四つのフィールドは排他的なものではありません。「時間をかける本づくり」と「実験的な本づくり」の両方に位置する本の企画案もありますし、「実験的な本づくり」と「場をつくる雑誌づくり」の両方に位置するものもあります。

だから、四象限のマトリックスではなく、フィールドという表現を用いました。フィールドであれば、二つの領域に足を置くこともできますし、その企画案が三つ足を持っているなら、三つの領域にまたがることもあります。

と、考えておいた方が、厳密に分類するよりも、実際的な判断を下しやすいように思います。

■下される経営判断

とりあえず、上記の「四つのフィールド」という視点に立つと、現段階で私がコミットしているのは、

・『僕らの生存戦略』
・『断片からの創造』
・『かーそる 第四号』

の三つであり、それぞれ「時間をかける本づくり」(メインで処理中)「時間をかける本づくり」(サブで処理中)「場をつくる雑誌づくり」(サブで処理中)であることがわかります。

となると、「売上げをつくる本づくり」と「実験的な本づくり」から企画案を選べばバランスがとれそうです。

というように、ここまで見通しが立てば、選択肢はずいぶんと減り、実際的な決定が可能となります。

一応の選択として、「売上げをつくる本づくり」には、Evernote系の本を、「実験的な本づくり」には、ライフハック・ライトノベルの第二弾を選択しました。状況次第では、この決定を変えることもあるでしょうが、その場合でも、すでに考え方の軸が決まっているので、今回のように長く悩むことは避けられそうです。

で、よくよく考えてみると、世間一般の出版社は、意識的に上記のようなバランスを取っているのでしょう。売上げを作る本があり、赤字覚悟でも文化を育てるための本があり、その他さまざまな意図で作られる本がある。その総合が、出版社としての活動です。

でもって、私はセルフパブリッシャーの一員であるのですから、やっぱり私も同じようなことを考えていく必要があるのだと思います。そのことに、改めて気づいた次第です。

■さいごに

最初に私がなかなか決定できなかったのは、評価軸が「工程」しかなかったからです。企画案の総数は多く、たいていの本がその「工程」を持っているので、十分には絞り込めませんでした。

変化が生まれたのは、そこに「経営視線」が入ったことです。「意欲的な本作りは結構だが、でも、売れなきゃ話にならんよ」という経理課の(あるいは財務省の)声が出てきたことで、選択が可能となりました。つまり、「方法と収益」という二軸によって、企画案を絞り込んでいったわけです。

おそらく、どちらか一つの軸だけでは十分な決定は行えなかったことでしょう。両方の軸があるからこそ、企画案の選択肢が減らせるのです。

発想法の分野でもよく言われることですが、アイデアに対する制約は、必ずしも少ない方がいいとは言えません。それは「なんでもいいから、自由に考えてください」と言われたときを想像してみると非常によくわかります。あまりにもとっかかりがなさすぎて、逆に考えるのが難しくなってしまいます。

それよりも、「予算100万円でできる、パン屋さんの売上げをアップさせる企画を考えてください」と言われた方が、アイデアは考えやすいでしょう。制約が発想のフィールドを限定し、それがところてんのように思考を一点にぎゅっと押し出す力を発生させてくれます。

という脱線はさておき、選択肢が多すぎてうまく決められないときは、別の評価軸を持ち込んで、二軸で選択肢を絞り込む、という戦略は「企画案」を考える場合以外でも有用でしょう。

もちろん、その評価軸を、どこから・どうやって持ってくるのか、というのはまた別の問題としてあるわけですが、少なくとも評価軸を探そうという指針があれば、まったくの無手よりは見つけやすいのではないかと思います。

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