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アイデアの扱い方 / Webで稼ぐ4 / 改めて教養について

Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~ 2022/12/12 第635号

はじめに

ポッドキャスト、配信されております。

◇ゲスト回BC052『私たちはどう学んでいるのか』

今回は、tksさんをゲストにお迎えして、『私たちはどう学んでいるのか ――創発から見る認知の変化 (ちくまプリマー新書)』をご紹介頂きました。

たまたま三人が同じ本を読んでいたということで、いわゆる「読書会」っぽい感じが強く出た回だったと思います。ゼミでの輪読などはやったことがないのですが、たぶんこういう雰囲気なのでしょう。

今後もこうしてゲストをお迎えして、本の紹介を続けていければと思います。

〜〜〜『ライフハックの道具箱』プロジェクト〜〜〜

続報です。

去年のRe:VIEWに変わって今年からPandocを使いはじめた、という話を前回はしました。でもって、その中で自作のスクリプトを噛ませたという話もしました。

この「自作スクリプトを噛ませる」が入ってくると、可能なことが飛躍的に増えます。たとえば、ナンバリングの自動設定がそれです。

『ライフハックの道具箱』は内容がsectionごとに分かれているのですが、ごく当然のようにそれぞれのファイルにsection01やsection02などと書かれています。

一番最初の2020年版はsectionの順番を決めてから番号を振っていったので問題はありませんでした。2021年版は多少の追加で済んだので手間も小さく済みました。

しかしです。sectionの並びを変える作業が少しでもおおごとになればsectionのナンバリング変更もかなり面倒になってきます。2と3の間にsectionを追加したら、3を4に、4を5に、5を6に打ち変えなければなりません。

なにより最悪なのが、その作業がどう考えても判断力を要しない機械的作業である点です。そういう作業をチマチマとやっていると、ちゃぶ台をひっくり返したくなります(家にちゃぶ台はありませんが)。そういう作業こそプログラムの出番でしょう。

というわけで、散らばったマークダウンファイルから統合的なマークダウンファイルにまとめる際に、 section {n}という表記にぶつかったそれを数字に置き換えて、その数字を加算していく、という処理を書き加えました。

これでどのように原稿の順番を並び替えても、ナンバリングの整合性は保たれます。

こういう機能はScrivenerが得意とすることですが、簡易なものであればちょっとしたプログラミングで実現できます。

たぶん重要なのはそうして得られる効率性なのではなく、目の前の問題・課題を自分なりに解決できたという達成感なのでしょう。これはかなりメンタルヘルスに貢献していると思います。

〜〜〜アンビバレントな解決策〜〜〜

予想はしていましたが、12月は忙しいです。いまだかつてないとまではいいませんが、それでもとびっきりの忙しさです。作業が多いことに加えて、作業時間がなかなか取れないもどかしさもあります。

こんなとき、昔なら腕まくりして「よ〜し頑張るぞ」と気合いを入れていたことでしょう。早起きして作業に取り組み、遅くまで起きてパソコンとにらみ合っていたと思います。

しかし最近はそういう「夜更かし」は止めるようにしました。タスクが残っていても、夜は寝る。忙しいときほど、ゆっくり休みを取る。そういうアンビバレントな解決策が選べるようになってきたのです。

今日明日の頑張りで切り抜けられる程度の忙しさであれば、そういう気合い打破も一つの選択肢でしょうが、一ヶ月やそれ以上かかる物事では到底続きませんし、続けようとしたら目に見えない代価を支払うことになるでしょう。

ちびちびであっても、着実に進められるようにすること。

おっさんくさい感覚なのかもしれませんが、最近はその重要さを強く感じています。

〜〜〜Q〜〜〜

さて、今週のQ(キュー)です。正解のない単なる問いかけなので、頭のウォーミングアップ代わりにでも考えてみてください。

Q. あと一ヶ月、何に取り組みますか。それをどのように取り組みますか。

では、メルマガ本編をスタートしましょう。今週は倉下の仕事術としてアイデアの扱い方を紹介します。加えて二つのエッセイをお送りします。

アイデアの扱い方

前回は倉下のミニノートへの書き込みを振り返りながら、メモとして書き込まれるものの性質を検討しました。

そこで私たちは二つの性質を発見しました。一つは、「タスク」を代表例とするように何かしらの「処理」が要請され、しかもそれが可能な情報です。これらの情報はいわゆるタスク管理の手法で管理するのが適しています。Do(あるいはDone)に向けた情報──D系情報と呼びましょう──と言えるでしょう。

もう一つの情報は、「アイデア」を代表例とするような、処理が要請されるにしても、その時点ではそれが不可能な情報です。あるいは、どういう処理が要請されるのかすらその時点では不明な情報もそこに加えてよいでしょう。

こうした情報の扱いは、いわゆるタスク管理の手法ではうまくいきません。もっと言えば、こうした情報は「管理」という概念やその手法に適さないとすら言えます。そのような用語空間とは別軸の空間を持ち出してくる必要があります。

言うまでもなく、それが「知的生産の技術」と呼ばれる技術群が構成する空間なのですが、そこで行われるのは「管理」でイメージされるような機械的・官僚的・支配的なアプローチではなく、有機的・遊技的・放牧的なアプローチです。基本的な原理が異なっているのです。

慌てて追記しておきますが、「アイデア」を扱う際にタスク管理の手法がまったく役に立たないわけではありません。何かしらがインボックスに入って、「これはタスクではなくアイデアだな」と判断することは、タスク管理の範疇ではあるでしょう。そこでは「気になること」が「アイデア」へとプロセスされています。

しかし、上記がやっているのはそこまでです。「気になること」からプロセスされた「アイデア」をさらにプロセスする工程には、タスク管理(D系)とは違ったアプローチが必要なのです。

ここではそれをI系と呼ぶことにしましょう。Ideaや、Investigationの頭文字をとった言葉です。

今回はそのI系のプロセスにおいて何が必要なのかについて考えてみます。

■情報とそのプロセス

I系のプロセスにおいて何が必要なのかを考えるには、そこで扱うのがどのような情報なのかに加えて、何のためにプロセスを駆動させるのかも合わせて検討する必要があるでしょう。両方を意識して議論を進めましょう。

まず、どのような情報なのかですが、これは先ほど述べたように「アイデア」に代表されるような情報群としてよいでしょう。思いつきや着想といったことです。

私はより限定的に「その時点で位置づける先が見つからない情報」としていますが、この段階ではまだそこまで絞り込む必要はないでしょう。できるだけ広く取っておきます。

では、そうした情報にプロセスを加えるとして、そのプロセスは何を目指すものになるでしょうか。

一般的に「アイデア」に対してよく使われる動詞は「育てる」でしょう。「思いつく」もありますが、これは自動的というか受動的な感覚があるので、目指すプロセスではありません。そうやって思いついたアイデアにどう手を加えるかという文脈では「育てる」がよく口にされます。

ここで先ほど登場した語彙を再び参照しましょう。有機的・遊技的・放牧的の三つです。

「有機的」とは、複数の部分からなりそれが全体を構成していることを意味します。さらに、それぞれの部分が独立的ではなく関連的であることも意味します。もう一歩進めれば、それらは変化に開かれているものである、とも言えるでしょう。

「育てる」という言葉にぴったりのイメージがこれです。何かが有機的に育まれていくイメージ。単に体積が大きくなるといったパラメーターの増加に留まらない変化がそこではイメージされています。

逆に「タスクを育てる」という表現は一般的ではないでしょう。むしろタスクはさっさと処理済みにしたい対象をなはずです。このように、私たちが普段使う言葉のイメージから、それらを扱う手つきの違いが浮かび上がってきます。

■遊技的

語彙の参照を続けましょう。

「遊技的」とは、非目的的な営みであることを意味します。それ自身が目的になっているような行いです。言い換えれば、何かのためにそれをするわけではない、という点です。

ここは反論の余地があるでしょう。たとえば「企画案を育てる」と言った場合、明らかにその行為はその企画案の完成を目的としており、さらに言えばそれによってビジネスで成果を出すことがより大きな目的として存在しています。

であれば、「企画案を育てる」と「アイデアを育てる」は別の行為を指しているのでしょうか。

ここで「遊技的」のもう一つの側面を検討しましょう。それはルールの存在です。ルールがないゲームはゲームとは呼べません。遊技的であるとは、何かしらのルールに乗っ取った行いをすることを意味します。それは世間の規範というよりは、自分(たち)が定めた取り決めといった意味合いが強いでしょう。

たとえばアイデアを考える場合でも、「人の道を外れる案を採用しない」や「自分で為せないことは却下する」といった「ルール」が働いているはずです。

もし、何一つ制約を持たないのであれば、何かを「思いつく」ことはそもそも難しいでしょう。無限の思いつきが生まれて、そこから何かを選び取ることができなくなるはずです。

何かを選んでいるという時点で、そこには選択のための基準(ルール)が存在していることになります(たいていは無意識のルールです)。

このようにアイデアに関わるときに、ルールが伴うというのであれば、企画案を考えることは「この企画で役立つアイデアを考える」というルールが入った特殊なゲームをしているのだと考えられます。

もちろん、その結果としてビジネスの成果につながることはあるでしょうが、しかしその行為の最中はむしろそのアイデアの可能性と制限に目を向けているはずです。その意味で、フォーカスしてみればそれは非目的的な行為だと言えるでしょう。
*逆にビジネスの成果に注意を払っていると否定されたり評価が下がりそうなことは発案しなくなるので、アイデアを育てることは不可能になります。

■放牧的

最後の「放牧的」は、制御や管理の度合いを意味します。

一挙手一投足まで精緻に管理するわけでもなく、かといって何も柵を設けずにただただ自由なわけでもない、その中間的なあり方です。

たとえばそれが「遊技」であったとしても、絶対の攻略法があってすべてその手順通りにするのは放牧的ではありません。逆に、勝つことをまったく意識せずただ無意識にプレイするのも放牧的ではありません。ある戦略の範囲内で、自分のベストを尽くそうとすることが放牧的なアプローチです。

アイデアで言えば、それがどう育っていくのかを逐一管理をすることはせず、かといってただ思いつくままに展開していくわけでもない。つまり、ある程度方向性をもってまとめようとするけども、それを計画の名のもとに実行しない、というあり方です。

上記のような要素(あるいはイメージ)を持つのが「アイデアを育てる」ことでしょう。

では、なぜアイデアを育てる必要があるのでしょうか。それについては次回とします。

(次回に続く)

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