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第十回: されど人はスーパーマンを目指す

前回書かれたように、体力に限りがあるように、MPにも限りがあります。

そして、MPの有無は、私たちの行動や思考に強く影響を与えます。有名な調査としては、仮釈放決定でしょう。

イスラエルの仮釈放審査委員会が仮釈放を許可するのがもっとも多かったのは、一日の最初の審問時と昼食休憩後だったそうです。つまり、元気な時間ですね。そして、そこから時間が経つほど仮釈放は出にくかった、という若干悲しいデータが観察されています。

MPの量が決定に影響を与えているのです。

ある人を仮釈放するかどうかを決めるのは簡単な作業ではありません。社会への影響と、本人の人生の可能性の両方を天秤にかけてじっくり検討する必要があります。

しかし、もしその検討を行うための力が疲弊していたら? 

今までの状態で問題なかったのですから、これからもその状態を続けておけばやはり問題は起こらないでしょう。よって、詳しい検討は避けられ、「現状維持」という判断が下されます。

MPは、いわば脳の体力です。よって、MP不足であれば、意思決定・自己制御・発想が弱まります。物事がうまく決められなかったり、感情や行動を制御できなかったり、良いアイデアを思いつきにくくなるのです。

もし、「明日は明日の風が吹く」的に自由奔放かつ刹那的に生きていくのならば、そうした状況でもぜんぜん構わないでしょう。しかし、自分をある種の方向に向けたいと思うならば、このMPとうまく付き合っていくことが肝要です。MPなければ、セルフコントロールなし、とまで言えるくらいです。

では、どうすればいいのでしょうか。

MPを有限の資源だと捉えるならば、いくつかの指針が思いつきます。

・MPを底上げする
・MPの無駄遣いを避ける
・適切にMPを使えるようにする
・MPを回復させる手段を持つ

本連載では、これらの指針に関する実際的な方法を紹介していくことになるかと思いますが、とりあえずそうした指針全体を包括する概念を「MP戦略」と呼ぶことにしましょう。

指針が一つしかないのは心許ないものです。ある状況ではうまく機能しても、別の状況ではうまく機能しないかもしれません。そこで、複数の指針を持っておき、状況に合わせてそれを選択できるようになること。それが「MP戦略を持つ」ということです。

たとえば、RPGにおいてチームメンバーへの指示が「ガンガン行こうぜ」しかないならば、それは戦略とは言えません。単に突撃しているだけです。状況に合わせ、ほどほどの力で戦ったり、体を大事にしたりするからこそ、戦略は戦略たりえます。つまり、指針の束こそが戦略を形成するのです。

「これだけをやっていれば、うまくいきます」という話は、MP負荷的には優しいのでしょうが、現実適応的に言えば、「ガンガンいこうぜ」一択とたいした違いはありません。それが通じる環境ではうまくいく。そうでなければうまくいかない。以上。……。

本連載では、そうした方向は避けたいと考えています。いくつかの指針を示し、そこから選んで使えるようになること。それが一応の目指すべき地点ではあります。

ただし、最初に問題点を提示しておきましょう。

前回「スーパーマン」が出てきました。

とは言え、技術を獲得すればするほど、「2」の仕事は減っていって、最終的には「1」に大半をまかせてしまうことができるようになります。

ならば「あらゆる技術・知識」をそのようにして獲得すればいい、と思う人もあるわけですが、実際にそうできることは希です。

この「あらゆる技術・知識」を身につけた存在がスーパーマンなのでしょうが、人間という生物はそうしたものを目指すようには生まれついていない、という話です。たしかにそのとおりでしょう。しかし、私たちはついついそれを目指してしまいます。悲しい性(さが)です。

たとえば、上の記事を読んだ後に、「スーパーマンを目指さないようにしないと」と思った方もいらっしゃるかもしれません。まさにそれこそが、スーパーマンを目指しているわけです。

否定形なのでわかりにくいですが、言い換えてみれば「スーパーマンではない人間を目指す」となり、今の自分とは違った状態に至ることを意味します。つまり何かしらの技術・知識・行動(習慣)を新しく身につけることを目指すわけです。当然そこにもMPの要請が発生するわけですが、そのことはたいてい考慮されません。「やればできる」ような気がするものです。

もし、今仕掛かり中のタスクやプロジェクト(広い意味で捉えてください)がたくさんあり、MPが目一杯行使されているならば、「スーパーマンではない人間を目指す」ことはおそらく達成されないでしょう。MPが有限である、というのはそういうことなのです。

このことは、「やらないことを決めることもやることだ」という話と少し似ています。MPといかに付き合っていくかを判断するためにもMPが必要である、という循環構造は、毎日念仏のように唱える必要はなくても、心の奥にしっかりと書き留めておく必要があります。

もう一つ、別の大きな問題があります。

私たちはついついスーパーマンを目指してしまう。それは、ある程度は仕方がないことです。「言葉」という道具を持ってしまった人類には避けがたいのかもしれません。

しかし、スーパーマンではない自分に落ち込んだり、陰鬱とするのは避けたいところです。なぜなら、そうして成れもしないものについて悩むことそのものにもMPが使用されるからです。

よく「デザートは別腹」という表現がありますが、残念ながら「悩みは別脳」とは言えません。意思決定や自己制御、発想を行うその脳と同じ脳で悩みは起きているのです。ですから、そうした悩みは抑制できると望ましいでしょう。

これは別に「悩んではいけない」という話ではありません。苦悩は人生の色彩の一部です。明るい色だけが色ではありません。

しかし、スーパーマンを基準として、今の自分を評価して悩むのは詮ないことです。なぜなら、スーパーマンなどこの世のどこにもいないからです。

もちろん、このスーパーマンは単なるメタファーです。身近な言葉で言い直せば、「理想の自分」「完璧な人間」「平均的な人間」となるでしょう。つまり、頭の中だけにしか存在しない人間のことです。

そうした存在と、今実際に存在し、生命体として「生きている」人間を比較して、その生きている方が落ち込むのは、簡潔に言ってエネルギーの無駄遣いです。

前回の佐々木さんの記事のタイトルは「人はスーパーマンになるために生まれてきたのではない」でした。では、人は何になるために生まれてきたのか。

もちろん人(人間)です。そして、今この記事を読んでいる方は、かなり高い確率で人間として生きておられるでしょう。実はそれだけでも、たいした達成なのです。

と、そんな風に考えれば、多少はMPの消耗が抑えられるかもしれません。そうであったらと願うばかりです。


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