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アイデアメモを管理する要点/インターネットの知識の流れ/何を書くのか-セルフパブリッシング入門

Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~2020/06/15 第505号

はじめに

はじめましての方、はじめまして。毎度おなじみの方、ありがとうございます。

先週はポッドキャスト三昧な一週間でした。

さらに、まだ放送されていませんが、やままさんの「しゃべりたいことやまやまです」にもゲストとしてお邪魔しております。

というわけで、先週は二ヶ月分くらい声帯を動かしました。普段はなかなかたくさん話す機会がないので、こういう機会にしっかり喋っていきたいと思います。

〜〜〜私の知的生産の技術〜〜〜

Twitterのタイムラインで、『知的生産の技術』が「100刷」を迎えたというツイートを見かけたので、いろいろな人が自分の『知的生産の技術』の刷を見せあったら面白いのではないかとつぶやいたところ、以下のようなツイートをいただきました。

なんと、公式アカウントです。で、このツイートに触発されて、いろいろな人が『知的生産の技術』の奥付をシェアされておりました。ハッシュタグを追いかけてみると、その様子が確認できますし、また以下の記事でもまとめていただきました。

こうやってまったく違う世代の人たちと、共通の話題を構築できる点が、長く読み継がれている本の大きな魅力だと思います。

〜〜〜宣言してから学習する〜〜〜

前々から「ちょっと勉強しようかな」と思っていたプログラミング言語Pythonの勉強を始めることにしました。で、私が一番最初にとった行動が「noteでマガジンを作ること」です。

こうして宣言してしまったら「後には引けない感」が出てきますし、学んだことを記事にしていけば私の復習になりますし、その記事が公開されていれば私と同じように独習する人の手助けになりますし、仮に私が忘れてしまってもこのマガジンをチェックすればいつでも思い出せます。

いったい一石何鳥になっているのかわからないくらいにお得です。せいぜいデメリットと言えば、こうやって宣言したにも関わらず途中で挫折してしまったときに若干恥ずかしい思いをするくらいですが、メリットの大きさを考えれてみればとるに足らないものでしょう。

というわけで、皆さんも自分の勉強過程を、人が読める場所に公開していくのをお勧めします。もちろん、全過程ではなく、要所要所であってもぜんぜん構いませんので。

〜〜〜ランダムに作業記録を振り返る〜〜〜

Evernoteに作業記録を書き、その共有URLをnoteのサークルで共有するようになって、100日以上が過ぎました。そうなると、かなりの「ストック」感が出てきます。

そこまで数が多くなると、単純に振り返るのは難しくなるので、共有したURLからランダムに一つ選んでそのページにジャンプするためだけのページを作り、そのページへのブックマークをWebブラウザのブックマークツールバーに設置しました。

これで、クリック一つでランダムな日付の作業記録を表示させることができます。手帳とか日記のページを適当にめくるのに似ていますね。

で、手帳を読み返すのが楽しいのと同様、「他人が読むように書かれた」作業記録を読み返すのもやっぱり楽しいです。

これまでのデジタルの記録には、こういう要素が欠けていたんだなと改めて痛感しています。

〜〜〜過去のノートにあった企画案〜〜〜

ひさびさにアナログノートに書き込もうとモレスキンを取り出して、そのままの勢いで過去書いたページをパラパラと眺めていたら、2011年の記述に「仕事術の言葉を整理する」という企画案をまとめたページが見つかりました。一つ目の項目は「タスクリストとToDoリストの違い」とあります。なんだか見たことがありますね。

結局、この企画案は『タスク管理の用語集』というセルフパブリッシング本につながり、それが『「やること地獄」を終わらせるタスク管理「超」入門』へとつながりました。

なんというか、ある時点で咲いた花の種は、もっとずっと前に埋められていたんだなと思った次第です。目先に囚われていると見逃してしまうかもしれない、大切なことです。

〜〜〜今週見つけた本〜〜〜

今週見つけた本を三冊紹介します。

基本的に辞書は読み物ではありませんが、本書は”文章に魅力をつける技を文学作品から選りすぐった実例をもとに表現の方法と効果を考えた「読む辞典」”とのこと。たとえば、こんな魅力的な章題があります。「韻律の快感」「雄弁な沈黙」「多様な比喩」「引用の濃淡」。こうしたものも、ライティング・パターンの一種と考えられるでしょう。

松岡正剛さんによる日本論、というか日本という方法論かもしれません。「第一講:柱を立てる」、「第三講:イノリとミノリ」、「第七講:型・間・拍子」あたりが気になります。

安定的な構造の中で破滅的な金融危機がなぜ生じるのか、技術はそこにどう関係しているのか、その中で私たちはどのような役割を演じているのか、といったことが論じられている本です。景気とバブルは連動し、その後に金融危機が待っている。それが予定調和であるとしたら、どうしたらそこから抜け出せるのかを考えることが必要なのでしょう。

〜〜〜Q 〜〜〜

さて、今週のQ(キュー)です。正解のない単なる問いかけなので、頭のストレッチ代わりにでも考えてみてください。

Q.『知的生産の技術』は、現代ではどのように読まれるのがよいでしょうか。

では、メルマガ本編をスタートしましょう。

今週も「考える」コンテンツをお楽しみくださいませ。

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2020/06/15 第505号の目次
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○「アイデアメモを管理する要点」 #知的生産の技術

○「インターネットの知識の流れ」 #やがて悲しきインターネット

○「何を書くのか」 #セルフパブリッシング入門

※質問、ツッコミ、要望、etc.お待ちしております。

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○「アイデアメモを管理する要点」 #知的生産の技術

引き続きメモシステムについて考えていきます。

■多すぎると破綻する?

以下の記事を読みました。

◇RoamResearch:PoIC、Scrapbox:豆論文 - book scrapbook
https://scrapbox.io/choiyaki-hondana/RoamResearch%EF%BC%9APoIC%E3%80%81Scrapbox%EF%BC%9A%E8%B1%86%E8%AB%96%E6%96%87

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 そういや[Workflowy]も、[情報カード]の代わりとして使い始めたのが最初やったなぁ。蓄積しすぎると、やっぱ破綻するのかしら。
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メモについて考える上で、「蓄積しすぎると、破綻する」問題は避けて通れません。私もEvernoteやWorkFlowyに大量にアイデアメモを並べて、結局活用もできないまま死蔵させてしまった苦い経験があります。

一方で、光明もあります。

今私の「発想工房」には、2700を超えるページが存在していますが、それらは「破綻」している感覚はいっさいありません。むしろ「2700」というボリュームでページを管理している感覚を持たないまま使い続けられています。

「死蔵」に関しても、必要なものはすぐに呼び出せる状態になっており、「あっ、あれ」と思ったら即座にそのページへのリンクが追記できますし、検索で見つけだすこともできます。

情報の状態を「アクティブ」なものと「非アクティブ」なものに分けた場合、Scrapboxに保存されている情報たちは「非アクティブ」ではありつつも、いつでも「アクティブ」に移行できるという、活性待機状態になっていると言えます。二項対立から抜け出しているのです。

では、なぜEvernoteやWorkFlowyではアイデアメモが爆発し、結果として死蔵につながったのに、Scrapboxではそうなっていないのでしょうか。

二つ理由があります。

一つは、EvernoteやWorkFlowyに書き留めていたメモが「見出しメモ」(一行だけの書きつけ)だったのに対し、Scrapboxに書き留めているものが「文章メモ」(タイトル+本文で構成されるいわゆる豆論文)だからです。

では、「見出しメモ」と「文章メモ」の何が違うのかと言えば、それは「処理感」です。「見出しメモ」は処理を待つものであり、「文章メモ」は処理を施されたものです。言い換えれば、見出しメモがずらっと並ぶリストは(ある意味で)「タスクリスト」であり、文章メモがずらっと並ぶリストは(ある意味で)「ブログ記事一覧」なのです。

認知的に言えば、「見出しメモ」のリストは、それを見るたびに「俺たちを何とかしてくれ〜」と迫ってくるゾンビの群れのようなものです(ひどい喩えだ)。当然、それを見た私はすぐに逃げ出したくなります。

しかし、「文章メモ」のリストは、浄化されいつでも転生可能な死体群です(これまたひどい喩えだ)。それを見た私は安心し、必要とあらば強力な仲間たちがそこにいることを確認できます。

前回「メタ・ノート」と「情報カード(システム)」が扱う対象の違いに言及しましたが、その話を引き継げば、「メタ・ノート」で管理されるようなネタが、「見出しメモ」リストに相当します。

ネタとは、「〜〜について書くこと」というタスク性を帯びているわけで、それが増えれば認知的に負担になることは容易に想像できます。それは、楽しみで見ているはずのアニメシリーズが、録画が溜まってくると「消化すべきもの」に認知的変容を遂げてしまうことに類似します。

つまり、私がEvernoteやWorkFlowyで行っていた「見出しメモ」を書き留めていく作業は、タスク管理の文脈で言えば「受信箱」に入ってきたメールを処理することなくそのまま蓄積して仕事をした気になっていた行為に相当します。もちろん、破綻するのは必定でしょう。

■もう一つの理由

二つ目の理由、つまりEvernoteやWorkFlowyだと爆発したのに、Scrapboxではそうならなかったもう一つの理由が、「全部が目に入るわけではないから」です。たとえば、WorkFlowyのある項目を開いたときに、そこに2700個の項目がずらっと並んだらかなり鬱陶しいでしょう。Evernoteでも同様だと思います。

しかし、Scrapboxにはそのような「ビュー」がありません。画面の最初に十数個のページだけが掲載されており、以降は下にスクロールするたびに追加で読み込まれていく格好です。一番下の項目にたどり着くためにはかなり長くスクロールする必要がありますが、そもそもScrapboxはそのような「目視」で情報を特定のページを探すことを想定していません。基本的には、検索&リンクで目的のページを見つけることが想定されています。

でもって、これが可能なのも、「見出しメモ」を「文章メモ」に変えているからです。「見出しメモ」だけならばあまりにも情報(=フック)が少なく、検索で見つけ出すのも一苦労ですが、文章を書き、その内容に整合したタイトルをつけると情報(=フック)が増え、検索で見つけ出しやすくなります。

別の言い方をすれば、「見出しメモ」から「文章メモ」へと昇華させることは、「それについて考えること」であり、その「考え」がフックとなって、検索で見つけ出せるようになる、ということです。

■いかに処理するか

ここまでの話を振り返ってみると、私のメモ管理が破綻していたのは、EvernoteやWorkFlowyといったツールのせいではなく、私のメモの処理の仕方がいかにも杜撰だったからということが見えてきます。まるで奥さんにまかせっきりで着ていた服をその辺に脱ぎ散らかしていたら勝手に片づいてくれることを期待している家事放棄な旦那さんのように、何の処理もしていないアイデアメモを積み重ねていけば、それで何か素晴らしいものができあがると期待してたわけです。もちろん、うまくいくはずはありません。

たとえば、EvernoteやWorkFlowyであっても、そこに書き留めた「見出しメモ」をきちんと文章化しておけば、検索で見つけ出せやすくなりますし、そうなれば「一覧」する必要もありません。普段は見えない場所(ノートブック、項目、フォルダ)の下に配置しておいてもいいですし、分散して置かれていても構わないわけです。

実際、今は私はEvernoteの毎日の作業記録に日々の文章を書き下ろしていますが、何か「あっ、あれ」という思い出し方をしたら、tag:”作業記録” hoge という検索をしてそれを見つけ出しています。私が当初イメージしていた形(→見出しメモのリスト)ではないものの、私のEvernoteには、たしかに私の「アイデア」たちが日々蓄積されています。文章化された形で。

もちろん、ツールのせいではないといっても、ツールの影響がまったくないわけではありません。特にScrapboxでは、本文を書くように促すUIと、それを快適に行えるUIが両方実装されているので、文章メモが残りやすい形になっています。かくいう私が、文章メモにしておくといくらたくさんあっても破綻しないと気がついたのは、そうしたScrapboxの促しがあったおかげです。
#Scrapbox知的生産術

よって、ツールの選択は馬鹿にはできません。しかし、それは絶対的な制約でもありません。必要なことさえ見極められているならば、どんなツールでも実行できるはずです。

■決定的に足りないもの

というわけで、「アイデアメモ」の管理において必要なのは、見出しメモのまま保存するのではなく、それを文章メモとして保存すること、言い換えれば、書き残した見出しメモについて考え、その考えを文章化することです。

それが理解できたら万事OKかというと、別の問題が立ち上がります。それは「メモの処理ばかりはしていられない」という問題です。

書き留めたメモについて考え、それを文章に起こすのには、それなりの時間と認知力が要求されます。というか、それなりの時間と認知力が必要だからこそ、「とりあえず」見出しメモとして書き留めているわけです。言い換えれば、見出しメモを書いているそのときには、他にやることがあるわけです。

原稿を書いているときに、「あっ、そういえば」と思いつく。しかし、今は原稿を書いているからとりあえず一行だけメモしておいて、それについては後で考えるようにする……

日々の中のそうした「とりあえず」の蓄積が、見出しメモのリストを形成します。つまり、時間の余裕がないのに、メモの処理には時間の余裕が必要なのです。

これは困った。

この問題については長らく考えていました。文章化することが大事だとわかっても、見出しメモをすべて文章化するのは困難なのです。

結局、出した答えは、一見乱暴なくらいにシンプルなものでした。

「全部文章化できなくても、気にしない」

できる限り見出しメモを文章化しようとはするけども、全部できなくても気にしないようにする。むしろそのことを肯定的に捉える。そんなスタンスです。

まず、そもそもとして今の私は書くことに困っているわけではありません。むしろ、書きたいことは山のようにあります。つまり「資源不足」ではないのです。よって、必死に資源を集めなくても仕事に支障はありません。思いつく着想の一部だけを文章化するだけでも十分役に立ちます。

また、限られた時間の中で「これは文章化しよう」と判断することは、それ自身がフィルタリング行為でもあります。つまり、一度書き留めてみたものの、文章化する意欲までは起きないものは、さほど面白くない着想だということです。そうしたものは、放置されていたとしても、そう困ったことにはならないでしょう。

この「文章化を行うかどうかによるフィルタリング」は、「メタ・ノート」と「バレットジャーナル」の合わせ技と言えます。「メタ・ノート」は、時間が経ってもなお面白いものだけを別の場所に移すフィルタリングですし、「バレットジャーナル」は、ノートを次の代に移すときに面倒なものはそのまま古いノートに残しておくという面倒さによるフィルタリングです。

私の場合は、まず「見出しメモ」だけを書き並べたリストを作り、その中から「これは文章化しよう」と思えるものだけを別のノートにペチペチと書きつけていく、という手順を取っています。その労力がかけられないものはしばらくはそのリストに滞留していますが、時間とともに「まあいいか、保存だけしておこう」リストに移されます。

そのリストは、かつてのEvernoteやWorkFlowyのアイデアリストと似通った様相を呈してしますが、まったく問題ありません。私には文章として書き留めた(選別していてもかなり数が多い)「文章メモ」たちが、転生可能な死体のように待機しているからです。

ちなみに、この手法とメタ・ノートやバレットジャーナルとの違いは、単に書き写しているだけでなく、「知的作用」を与えて相を変えている点にあります。見出しメモリストに記載されたものと、それを文章化したものは、情報形態学において別ものなのです。その違いは、最初に述べた認知的な違いや検索のしやすさの違いとして現れてきます。

特に検索のしやすさの違いは、デジタルツールの運用において極めて重要事項となります。

■おわりに

というわけで、今週もメモシステムについて考えました。

簡単にまとめれば、必要なのは、ネタ帳(見出しメモリスト)ではなく、豆論文集(文章メモカタログ)であり、後者を作成するためには「それについて考える」(→対象に知的作用を与える)ことが必要だ、となります。

もちろん、ネタ帳的なものがまったく不要なわけではありません。たとえば私はHonkureで紹介したい本のリストをEvernoteに作っています。用途がはっきりした情報の場合は、そうしたネタ帳的管理が必要なのは間違いありません。ただし、それはタスク的性質を帯びてくるので、メンテナンスが必要なことは覚えておいた方がよいでしょう。

加えて言えば、そうしたネタ帳とは異なる在り方の「アイデアノート」が考えられ、その運用はネタ帳と同じであっては破綻する、ということです。これらの素材は、ネタ帳と違って「使われて消える」ものではないので、時間と共に数が増えていくことが前提でなければいけません。でもって、デジタルツールでの管理は、まさにそうしたものの管理に向いているのです。

今回も結構長くなりましたが、この話はまだまだ続きます。

(つづく)

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