さようなら週次レビュー / Scrapboxのオブジェクト / 考えること、考え続けること
○「はじめに」
ポッドキャスト、配信されております。
◇第百十四回:Tak.さんと面白い記事とは何かについて 作成者:うちあわせCast
今回は「ブログ」や「記事」について、いろいろお話しました。個人的には、性急なブームが過ぎ去り、一週回ってまた落ち着いたブログの(あるいはそれに類するメディアの)時代がやってくればいいな、と期待しております。
〜〜〜ビュー・デザイン〜〜〜
最近、「ビュー」のデザインに凝っています。
自作のTextboxというツールは、事実上「あらゆる見せ方」が可能であり、それこそがこのツールの醍醐味だという点もありますが、それ以上に「見え方・見せ方」によって自分の気分がずいぶん変わってくることに気がついたからです。
たとえば、以下をご覧ください。
「プロジェクト」を管理するページです。3つの「見せ方」が使われています。
・箱を横に並べる見せ方
・箇条書きリストの見せ方
・円を用いた見せ方
「プロジェクトの情報」という点では、この三つは等価ですが、私が受ける感触はまったく違います。でもって、一番しっくりくるのが「円を用いた見せ方」です。自分にとっての「優先順位」がうまくビューに反映されている感覚があるのです。
ポイントは項目の均一感でしょう。箱を使う見せ方と箇条書きリストの見せ方は、基本的に「すべての項目は均一」のように見えます。優先順位は、項目の順番でしか表せません。
一方で、円を使った見せ方だと、「かなり重要」と「やや重要」のような微妙なニュアンスを持つ優先順位が表現できます。これがけっこう大切なのです。
もちろん、リストでも、
・最重要プロジェクト
・次重要プロジェクト
という大項目を作り、その下にそれぞれのプロジェクトを配置すれば、優先順位の異なりは表現できますが、そのためだけに階層を深くしなければなりません。「見てわかる」という用途には不向きです。
こうした感覚は、もしかしたらアナログ時計とデジタル時計の違いに似ているのかもしれません。どちらも示す時刻の情報自体は同一ですが、それを受け取る人間の感覚には違いが現れます。
で、これまでのパソコンの管理では、基本的に「リスト」ベースのやり方が主体で、最近少しずつ「箱形」(≒付箋、ボード型)のものが出つつありますが、案外に「円」などの図形を使った視覚を重視した管理手法は使われてこなかったのかもしれません。
たしかに、先ほどのような円を使った表現は、パソコンではわりと面倒です(先の例ではHTMLのcanvas要素を使っています)。でも、その面倒さを乗り越えられるならば、いろいろ試してみる価値はありそうです。
特に、画面が広く使えるパソコンでこそ、リストではない図的な表現による管理の可能性が広がるような気がします。
〜〜〜観た映画〜〜〜
以下の映画を観ました。
『ペンギン・ハイウェイ』
森見登美彦さんの小説が原作の映画です。監督は石田祐康さんで、制作はスタジオコロリドです。
小学四年生のアオヤマくんが主人公なのですが、まず彼の話し方がとても良いです。おそらく森見登美彦さんの文体なのでしょうが、古風で理性的な「話し方」をします。しかし、小学生ならではの実直さもあります。実に好感が持てます。
でもって、アオヤマくんと仲良くしているお姉さんがヒロイン的ポジションなのですが、彼女もとても良いです。開けっ広げでありながらも、ミステリアスな雰囲気があり、つい気になってしまいます。
で、作品はアオヤマくんが住む町で起きる不思議な現象が発端となり、その謎を彼が解明していくというミステリー的な展開をとります。その謎はかなりSFな雰囲気をまとっています。
アオヤマくんが、現象の謎に迫る姿勢もきわめてSF的です。つまり「サイエンス」的です。事実を観察し、記録し、考察し、記録し、実験し、記録し、という姿勢を愚直に貫いていきます。「なんて、科学マインド啓発的な作品なのだろう」と驚きました。
でもって、彼が使っている記録媒体が、これまた素敵です。ハードカバーのノートなのです。名前は出てきませんが、おそらくはモレスキンでしょう。それに加えて、ツバメノートらしき姿も見えます。
彼はそうしたノートを駆使しながら、不思議な現象の謎に立ち向かおうとします。そこには淡い恋心と呼べるようなものも複雑に混ざり合います。
さらに、彼をお父さんが手引きします。そのお父さんも素敵なのです。アオヤマくんに提示されるお父さんのアドバイスの数々は、知的生産者・研究者の心構えとして額縁に入れて飾っておいてもよいくらいです。
というわけで、全般を通して良い映画でした。この手の話題が好きな方ならば、きっと楽しめる作品だと思います。
ちなみに監督の石田祐康さんは、最近公開された『雨を告げる漂流団地』も監督されており、今から観るのを楽しみにしております。
〜〜〜Q〜〜〜
さて、今週のQ(キュー)です。正解のない単なる問いかけなので、頭のストレッチ代わりにでも考えてみてください。
Q. 管理ツールにどんな「見え方」を使っておられるでしょうか。
では、メルマガ本編をスタートしましょう。今回は、倉下の仕事術の続きとして「レビュー」についてと、二つのエッセイをお送りします。
○「さようなら週次レビュー」
今回は「週次ビュー」について。
週次レビューについては、書きたいことがたくさんあります。その概要を簡単に述べれば、
・まず週次レビューと出会い
・つぎに週次レビューに挫折し
・やがて週次レビューを再開した
という流れとなります。できるだけ手短にこの流れを語っていきましょう。
■週次ビューとは
まず、週次レビューとはなんぞや、という方もいらっしゃるでしょう。これはデイビッド・アレンによるGTD(Getting Things Done)に含まれる一つのメソッドです。
GTDでは、自分の「気になること」を各種リストに配置し、必要に応じてそのリストを参照することで、物事を前に進めて行くアプローチを取ります。
しかし、人生が静的ではないように、そのリストも静的であっては困ります。つまり、一度作ったら、二度と変更されないようでは状況に対応できなくなっていくのです。
そこで週次レビューの出番です。
一週間に一度程度の頻度で、自分の「リスト」と「気になること」を再点検し、適切な状態になっているのかを確認していくのです。
■コアとも言える週次レビュー
この週次レビューの存在こそが、GTDと他のタスク管理手法を切り分けていると言っても過言ではありません。それくらいに重要なメソッドです。
他のタスク管理手法においても、「気になること」をリスト化することは提唱されています。リストを複数作ったり、とにかくメモしておいたり、次にやることをはっきりさせる、といったGTDを構成するパーツと同様の提言は多いのです。
しかし、そうして作ったリストをレビューし、再構築しましょうと述べているものは(しかも、そのようなレビューをシステムとして定期的に実行しましょうと述べるものは)ほとんどありません。
むしろ、この週次レビューが実行されるからこそ、GTDは一つの「システム」になりえると言えます。レビューがあるからこそ、フィードバック・ループが閉じるのです。作りっぱなしではなく、作り、実行した結果が自分の「やり方・進め方」に反映されるのです。
■真面目な週次レビュー
そのようにGTDにおける週次レビューの重要性を理解した私は、週次レビューを神聖化していました。あるいは偶像化していました。何か特別なもの、神々しいものだと感じていたのです。自分の理解に、自分が縛られていたのだと言えるでしょう。
よって私は週次レビューを「真面目」に実行していました。アレンが、その著作で述べている通りに、すべてのリストをチェックし、トリガーリストで「気になること」をすべて拾い上げていったのです。
うまくいっていたのは、二ヶ月ほどだったでしょうか。あるいはそれよりも短かったかもしれません。なんにせよ、そのような週次レビューは続きませんでした。時間がかかりすぎるのです。「こんなの、やってられるか」という気分になってきます。
しかも、週次レビューをしたところで、何かが好転するわけではありません。むしろトリガーリストで「気になること」を拾い上げてしまったがゆえに、「やること」の項目や「プロジェクト」がますます増えてしまうような状態にもなりました。自分自身で厄介事を拾い上げているような、本末転倒な感覚があったのです。
結果的に、そんな綿密な──真面目な──週次レビューは、やらなくなりました。一年に一回、その年を振り返る。それくらいで十分ではないかと思ったわけです。
だいたい、私は毎日同じようなプロジェクトに着手していますし、そんなものを細かく管理する必要なんてまったく感じられません。必要性が感じられない行為を実行し続けるほど虚しく、苦しいことはないでしょう。
だからもう、週次レビューなんていいんだ、とそのときの私は思いました。
■随時レビュー(頓服レビュー)
しかしながら、まったく「レビュー」を行わないと、モヤモヤが溜まってきます。まるで、掃除していないエアコンのフィルターに埃が溜まってしまうような感じです。
日々、思いついたことは書き留め、やったことも記録しているにもかかわらず、頭の隅っこに拾い上げられていない「何か」が蓄積していく感覚が生まれるのです。
そこで最初は「プロジェクト・レビュー」というセクションを設けました。一つのプロジェクトが終わるタイミングで、自分の手持ちのプロジェクトを振り返るのです。
私のように、カレンダーとは無関係に仕事をしている人間にとっては、四半期ごとの切り分けよりも、「プロジェクトの切れ目」の方がしっくりきます。このやり方はなかなかうまく機能し、今でも定着しています。
しかしながら、「プロジェクト」がまだ終わっていない時点でのモヤモヤも当然起こります。というか、まさにプロジェクトが終わっていないことによるモヤモヤがあるのです。
そこで、そうしたモヤモアを感じたタイミングでレビューしようと思いつきました。定期ではなく、臨時のレビュー。あるは、随時のレビュー。
私はこれを『「やること地獄」を終わらせるタスク管理「超」入門』の中で、「頓服レビュー」と呼びました。定期的に飲む常服薬に対して、必要になったら飲む頓服薬から拝借した概念です。モヤモヤが高まってきたタイミングで行うレビュー。それが頓服レビューです。
この頓服レビューも、私の「タスク管理の道具箱」にきっちり収まっています。最近は「ストレッチ・ライティング」という名前にもなっていますが、やっていることは同じです。
自分が抱えているプロジェクトについて振り返り、適切(だと思える)次の行動を考えること。
こうしたレビューです。
ポイントは、場合によっては「次に取る行動」を決めるだけでなく「プロジェクト」の休止や停止を決めることもある、ということです。つまり、一つ上の視点から各種「プロジェクト」について考えること。それが頓服レビューであり、ストレッチ・ライティングです。
■整理との共通点
さて、考えてみると、「モヤモヤが高まってきたタイミングで行うレビュー」は、あるものに非常に似ていることがわかります。それは「机の上が散らかってから片づける」という整理法です。
世の中には細かい整理整頓ができずに、ある程度散らかり度数が上がってから「えいや」と片づける人がいますが(もちろん、私もその一人です)、それと同じことを「気になること」でもやっているのが頓服レビューだと言えるでしょう。
逆に、定期的に実施される週次レビューはモヤモヤが溜まって高まる前に、それを整理整頓する行為だと言えます。
で、ここは意見がわかれるところだと思いますが、ある程度散らかった机を「えいや」と片づけるとかなりの達成感が得られるのに対して、あまり散らかっていない机を整理整頓しても、たいした達成感は得られません。
人間の知覚の「ピーク・エンドの法則」を援用すれば、どちらがより好ましく感じられるかと言えば、これは前者(散らかってから整理)なわけです。
もちろん、達成感が得られているということは、裏を返せばそこでは労力が使われているわけです。つまり、しんどいことをやっています。一方で、微散らかりの机を片づけるのはたいした労力がかかりません。つまり、しんどくないわけです。
合理的な判断では、しんどいことではなく、しんどくないことを選択するべきでしょう。
しかし、人間の知覚はそうなっていないわけです。この辺が、面白い点であり、難しい点でもあります。
ともあれ、ここで強調したいのは、合理的に考えれば少しずつ整理整頓するのがよいはずだが、人間の知覚としては──そして達成感を重視する価値観の人にとっては──、なかなかそうはいかない事情がある、という点です。
一度でも、たくさん散らかったものを片づけた経験があるならば(そしてそこで達成感や爽快感を感じたならば)、またその経験を求めて同じようなことを繰り返してしまう、ということは起こりえるでしょう。
それを踏まえた上で、それでもやはり定期的に「整理整頓」を行った方がよいと、今は考えています。つまり週次レビューの必要性を認めています。なんなら、実際に週次レビューを行っているとも言えるでしょう。
ただしその週次レビューは、私が一番最初に抱いたイメージとはかなり違った内容になっています。
(次回に続く)
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