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第四回:情報・行為・着想

前回の最後に以下のように書いた。

少なくとも、多くの人が手帳というツールを通して行おうとしている情報整理とはそのような目的を持つと言える。その原則は「情報を適切に配置し、必要に応じて取り出せるようにする」であるのだが、なぜそれをするのかと言えば、社会的な関係性を維持し、ある組織や共同体の中での立ち位置を失わないためである。

手帳というツールを通して行う情報整理の原則は「情報を適切に配置し、必要に応じて取り出せるようにする」であり、その目的は社会的な関係を維持することだ、という話だ。

さて、手帳に書く内容として、「スケジュール」や「ToDo」が挙がってくるのはそう珍しいことではない。むしろThe・本道という感じすらする。ビジネスパーソンにとってごくありふれた使い方であろう。

そのように、手帳にスケジュールを書く行為は「スケジュール管理」と呼ばれる。ToDoを書くなら「ToDo管理」(あるいはタスク管理)だ。

一体、これらの関係はどうなっているのだろうか。つまり、情報整理/情報管理とスケジュール管理/ToDo管理の位置づけはどのような配置なのだろうか。

情報管理について

自分のスケジュールを把握し、適切に配置していく行為は「スケジュール管理」と呼ばれるだろう。その対象がToDoになればToDo管理だ。

その考え方を延長すれば、「自分の情報を把握し、適切に配置していく行為」は情報管理と言える。ここで問題となるのが「情報」という言葉の含意である。

その〈情報〉が、資料といったより純度の高いinformation/dataのみを指すならば、これらは排他的に配置できるだろう。

一方で、その〈情報〉がより包括的な対象を指しているならば、むしろ階層的に配置されることになる。

一番大きな枠組みに「情報管理」があり、その下位により具体的なカテゴリーとして「スケジュール管理」や「ToDo管理」が存在する、といった具合である。

こうした差異は、非常に細かい話に思えるが、指し示す対象が違っているなら、管理方法自体にも違いが生じるので存外に無視できないポイントである。

スケジュールは情報か?

では、考えよう。スケジュール管理で管理される「スケジュール」は情報だろうか、そうではないだろうか。

まず、スケジュールの内容そのものは「行動」である。これはToDo/タスクについても同様だ。それは明らかに行動や動作に関する内容である。一方で、それらは間違いなく情報である。少なくとも、情報として管理ツールに記録される。

そうなのだ。この点にややこしさがあるのだ。

私たちがそれらを実行する段では、スケジュールやToDoはたしかに「行動」である。行動は行動であり、情報ではない。一方で、資料はそれが参照されるとき、間違いなく「情報」である。「資料を読む」は行動でも、資料そのものは情報である。この二つ、つまり行動と情報は明瞭に峻別されうる。

一方で、それを「管理」する段階ではどうか。カレンダーにスケジュールを書き込むとき、ToDoリストにToDoを書き込むとき、それらは純然たる「情報」である。情報として、スケジュールやToDoを管理しているのだ。でもって、それらの情報を適切に閲覧したり、引き出したり、検索できたり、リマインドされたりするように調整・工夫・小細工をすることは、はっきりと「情報管理」をしていると言える。あるいは「情報整理」を行っていると言える。

つまり、〈情報〉を包括的な意味にとらなくても、情報管理は結果的にさまざまなものを包括してしまうことになる。

だからこそ、デジタルノートではこうした管理を包括的に行えるのだ。それはスケジュールやToDoなどが「情報」の形において管理されるからなのである。言い換えれば、(資料的な)情報を扱うツールであっても、スケジュールやToDoが「情報」の形を取るので、区別なくそれらを扱えてしまうのだと言える。

この点はある種の利便性をもたらすが、一方で「自分が何をどう管理しているのか」を不明瞭にしてしまう問題も含む。まったく別の対象を管理しているのに、その違いが感覚としてわかりにくくなってしまう事態が生じるのだ。デジタル化が進むについて、そうした混乱は深まっていくだろうと推測される。

もうひとつのターム

話はもう一段ややこしくなる。

先ほどは、管理のターム(term)と実行のタームの違いを指摘したが、実はもう一つタームがある。それが着想(思いつき)のタームである。

何かについて自分が考える、思いつく、気がつく、発見する、という事態がまず起こり、その後でようやく私たちはその対象を管理・操作できるようになる。つまり、管理のタームの前に、この着想のタームがあるのである。

このタームにおいては、「実行」と「情報」の区別がない──すべてが「情報」である──だけでなく、そもそも頭の中に思い浮かんでいるだけなので、「情報」なのかどうかも判別しづらい。多くのタスク管理システムが、「まず書き留めよう」と説くのは、管理を実行するためにまず対象を「情報化」しなければならない、という前提があるからである。

つまり、情報整理/管理を行うためには、まず対象を「情報化」するという行為が求められる。そうしなければ始まらないのが情報整理/管理なのである。

情報整理/管理の見取り図

ここでいったん本連載の見取り図を素描しておこう。

まず私たちは、情報整理/管理において「情報」を扱う。その情報には、資料的なものも含まれているし、スケジュール的なものも含まれている。すべては「情報」の形をとって、私たちの前に提示される。

そうした情報を操作/整理/管理することで、私たちは何か別の目的を達成しようとする。たとえば、スケジュール情報の管理を通して、スケジュールの管理を行う、といったことだ。基本的にこの二つはペタリと重なっているので普段は峻別されないが、ここまで検討してきた議論を通してみると、ひとつの行為に多重の要素がひっついていることがわかる。

もちろん、情報管理の視点では「いかに情報を管理するのか」が主眼となる。スケジュールについては、それを参照したり、編集したりするその手つきが注目される。一方で、「待ち合わせに遅れないために15分前に出発する」は情報管理ではなく、スケジュール管理の視点である。つまり、スケジュールの管理活動においては、情報管理的な側面と純-スケジュール管理的な側面が含まれることになる。

もちろん、それ以外の要素も含まれうるわけだが、とにかくここでは単一の原理性だけで駆動しているわけではない点を確認してもらえればそれでいい。本連載ではそのような原理性の重なり合いに注意を向けつつ話を進めていくとしよう。

(つづく)

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