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現象と実存(哲学:六日目)

以下の本を1日1ページ読むだけで、世界の教養が身につくらしいので、本当かどうか試してみます。

六日目は現象と実存について。

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「現象と実存」ということで、いよいよ教養的な話が飛び出てくるのかと思いましたが、むしろメインはソクラテス以前の哲学者についてでした。

たとえば、紀元前625年〜547年頃の哲学者タレスはすべてのものの根源(アルケーと呼ばれる)は、水だと考えました。すべてのものが水からなり、水へと還っていく。そんな循環的な世界像を説いていたと言われています(彼が直接書き残した文献は残っていないので伝聞でしか語れません)。

一方、同じような時代の哲学者ヘラクレイトスは、万物のアルケーは火であると説いたと言われています(こちらも著作は現存せず、引用のみが伝わっているだけです)。

水と火は対称的な存在ですが、少なくともこの世界は目に見えているものだけでできているのではなく、その背後に根源と呼びうるものがあると着想している点は共通していますし、もちろんその眼差しは現代の原子や粒子という概念とも一致します。

さらに、ヘラクレイトスは「万物は流転している」と考えたようです。自然界は常に変化している。しかし、その背後に決して変化しないもの(ロゴス)がある──この考え方は、プラトンの洞窟のたとえにも通じています。

哲学者のはしりと言えば、私たちはまっさきにソクラテスを思い浮かべますが、彼以前にも、タレス・アナクシマンドロス・アナクシメネス・ピタゴラス・ヘラクレイトス・パルメニデス・クセノパネス・レウキッポスなどたくさんの哲学者がいたようです。しかし、タレスとヘラクレイトスの例からわかるように、彼らの著作は現存していません。だから、彼らの思想の詳細を知るのは難しいのです。

その点、ソクラテスは書き言葉を残すことを嫌ったものの、プラトンがその思想を書き留めています。だからこそ、私たちは哲学者としてのソクラテスをよく知ることができ、思い浮かべることすらできます(プラトン以外の手によって対話させられているソクラテスは山のようにいます)。

もちろん、プラトンが描き上げたソクラテスは、ソクラテス本人とそっくり同じであるとは限りませんが、私たちが物自体を知り得なくても、物を知り得るように、プラトンの手を通して語られるソクラテスは、いくつかの意味において間違いなくソクラテス的であろうと推測できます。



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