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【ちょっと上まで…】〈第六部〉『夢の船』


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〈第六部〉『夢の船』


あの時

「行ってあげなよ……。どんな姿だって、親が生きてるんだから。話ができるんだから。話、してあげなよ……」
 言葉を選び選びし、つっかえながら僕は言った。
 だいぶ時間を置いて、リリクは小さな声で答える。
「……うん。いってくる」
 つづけて、「ありがとう、ショーゴ」と聞こえた気がした。
 実際には言葉になっていないけれど、目でお礼を言われた気がしたんだ。
 でも、言われたとしても、僕はそんなお礼は受け取れない。
 なぜならば、あの言葉は、そりゃもちろんリリクのためになるだろうと思って選んだ言葉だけれど、それよりも、僕自身の利益になるように慎重に計算して発した言葉だったのだから。
 リリクはいつだってまっすぐに、感情のまましゃべり、行動する。
 それがうまく出来ない僕は、いつだって間違いのないよう計算してしゃべるんだ。
 どこで知ったのか、前にリリクから「昔のコンピュータみたい」なんて言われたっけ。その時は「ま、いいんじゃないの。それがショーゴなんだから」とフォローされてだいぶ楽にはなったけれど、でも、やっぱり、他人(ひと)と話すのは難しい……。

 コールドスタート。
 ビルトイン自己テスト開始……EAXレジスタゼロセット。
 基本入出力システム起動。
 メモリーチェック……OK。
 ハードウェア基礎チェック……OK。
 デバイスコントローラチェック……OK。
 ……。
 …。

 これは昔のSF小説の冒頭シーン。何度も何度も読み返して、僕はすべて覚えてしまっていた。
 コンピュータ達が死んでしまったスマートボム・インシデント以降、こんな小説に書かれていることは、文字通り絵空事なのだ。
 他人から虐められたり、からかわれたりする度、嘘をつかない機械相手なら僕だってうまくやり取りできただろうにと思ってしまう。
 なぜ、今のコンピュータ達は沈黙してしまったのだろう。
 できることなら時をさかのぼって昔の世界にいきたい。そうでなくても、コンピュータ達を再び動くようにしてやりたい。彼らと嘘のない正直なやり取りをしたい。
 ずっと、そう夢に思っていたんだ。

ブリッジのドアごしに

 そして、僕を虐めない唯一の幼馴染み、リリクとともに準軌道まで昇ってきて、いま、彼女の人生の一大イベントに遭遇している。
 幼馴染み。そうだ、僕は小さい頃からリリクといつも一緒だった。
 だから、彼女のことは何でもわかるのだ。親父さんに怒鳴られている時も、落ち込んでいる時も、何を考えているのか、僕にはばっちりとわかる。
 今は、彼女の人生に存在しなかったはずのお母さんと出会えて、とても舞い上がっていて、うれしくて仕方がないんだろう。もしもお尻に尻尾があったらブンブンと振りまわしていそうだ。
 やっぱり、あのロボットはリリクのお母さんだったんだな……。
 良かったな。とは頭では思うのだけれど、なぜだか心の奥のほうに冷たい固まりがある。
 なぜそんな気持ちになるのか、僕は考える。
 なぜ? という疑問は、(リリクは別として)僕の唯一の友達なんだ。いつだって不思議なことがあると、なぜなのか、どうしてなのか考えてしまう。
 したがって、この胸の痛みも自己分析してみるわけだ。
 なぜこんなにリリクが幸せにしているのが苦しいのだろう。
 うらやましい? そうかもしれない。そして、もしかすると、妬ましいと思っているのかも。
 もちろん、お母さんがロボットだからかっこいいなんて子供っぽい理由じゃあない。母と父があたりまえにそろっていることが、きっと悔しいのだ。
 リリクには母さんも父さんもいて、居場所まであるんだ。僕と違って。
 リリクが幸せになれるんだから、それでいいじゃないか。と自分で自分に言い聞かしてみる。でも。やっぱり、頭ではわかっていても……、思考の上では明るく考えようとするのだけれど、心の奥のほうは、感情は、重く、冷たく沈んでしまう……。
 ブリッジの扉の影に潜む僕、そして、隣の影はリリクの親父さんだ。
 物陰にふさわしげな小声で、僕はつぶやいた。
「感動の、親娘(おやこ)の対面だね」
 あ、また失敗したかもしれないな。暗い気持ちが口調に乗ってしまった気がする。
 隣にいる親父さんはどう思ったのだろう、リリクと違ってこの人のことはよくわからない。いつもぶっきらぼうで、体格もがっしりしていて、筋骨隆々。よく鍛えた鉄や硬い岩のような人だ。鉄や石が何を考えているのか、僕には理解できない。
 いつも無口なのに、さっきは長い昔話をしていたっけ。
 もしかしたらリリクとお母さんを出会わせたくなかったのかもしれない。ずっと秘密にしていたわけであるし。
 親父さんにとっても嬉しいことにちがいないのに。
 僕は、わからないなりに近くの人の顔色を伺う癖がある。今も隣の親父さんを気にしてしまう。リリクには気の小さい奴って言われるけれど、だってしょうがないじゃないか。ずっとそうやって生きてきたんだもの。
 その親父さんは何も言わずに僕の頭に大きな手をやって、ぎゅうと押さえつけ、ぷいとそっぽを向く。見れば、肩を小刻みに震わせている。
 やっぱり何を考えているのか、よくわからない。
「あれ? 親父さん、泣いてるの?」
「うるせえ、静かにしろ! 気づかれちまう」
 そんな声をだしたらもっと気づかれちゃうんじゃ? と言い返そうか、それとも言葉にしないほうが良いのだろうかと迷っていると、親父さんは、僕をこづいてブリッジのドアから離れさせた。
 本人も磁力靴を浮かせて、足音を立てないようにその場から離れる。さっきはガツガツ音だして歩いていたのに。器用なのか不器用なのかわからない人だな。おそらくは僕やリリクより低重力に慣れているのだろう。
 一緒にすこし離れてから、親父さんが低い声で話しかけてきた。
「そういやお前。なんでここにいる? 馬鹿娘(リリク)に頼まれてきたのか?」
 ぎくり。警戒していない痛いところを突かれてしまった。心臓がキュッと縮まる。
「えっ、こ、ここって……、〈バイトアルト〉に、ということ、です、よ、ね?」
 リリクの親父さんがいることが判明して以後、いろんなことに振り回されて、正直考えないようにしていた。実を言うと、僕は、当たり前のようにその場にいて、ちゃっかりと受け入れてもらう作戦だったのである……。我ながら図々しいとは思うけれど、大抵リリクと一緒にいると、彼女がなにか騒ぎを起こして、僕はその調整役を買って出る形になるのが今までの常だった。
 今回も構造は似ているわけだけれど、まさか当事者の一人からこんなつっこみが出るとはうかつにも考えていなかったのだ。
 もともと、ここに来るまで親父さんが生きているなどとは知る由もなかったし、リリクが困ることになるかもだからついてきたんだ……。なんて、今、親父さんに語ったところで、この人に通じるかどうか……。
 親父さんにとっては僕はリリクにつきまとっている悪い虫に見えるだろうし、大事な〈キウンカムイ〉のペイロードを埋めるお荷物であるかもしれない。
 取り繕ってくれるはずのリリクもいまはお母さんにべったりだ。
 これは困ったことだぞ。どうやって切り抜ければよいだろうか……。
 何も言えないまま、なんとか言い訳をとああでもないこうでもないと考えていたのを読んだのか、親父さんは低い声で一言。
「密航だな?」
 とずばり逃げ道を塞いできた。
 うわあ……。
 やっぱり、密航者と思われてる。そうだよね。実際そうなんだけど……。
「密航者はどういう扱いをされるか、わかってるよなあ?」
「え、えーっと……」
 古来、船乗りの間では密航者は見つけ次第外の海に放りだすのが常識なのだ。もちろんそれが宇宙船であっても変わらないはずだ。
「いや、あ、あの……」
 何かうまい言い訳をしないと非常にまずい……。しどろもどろになりつつ必死で切り抜け方を考えていると、文字通り僕の首根っこを掴んだ親父さんは、そのまま僕らが最初にこの船に入り込んだ大きなドアの前に連れてきた。
「ここがなんだかわかるか?」
 やっぱり、僕は外にほうりだされてしまうのだ。
 ショーゴ・イシバシ一巻の終わりだ。
 ここで暴れたって、あのリリクをぶっとばす親父さんにかないっこないし、うまい言い訳も思いつかない。幸せそうだったリリクを見た直後の反動でか、ああ、彼女が幸せならばこれでよかったんだ。なんて諦観してしまった僕は「エアロック……、です」とつぶやく。
 しかし、帰ってきたのはちょっとばかり意外な答えだった。
「半分だけ正解。だが、それだけじゃない」
 なにやら嬉しそうに、親父さんは無造作に気密ドアを開いてしまう。減圧にうるさいスペースマンのはずなのに。とっさにエア漏れを警戒する僕。エアロック・ドアの先は謎の樹脂で覆われた洞窟が伸びているはず。確認しなくても大丈夫なんだろうか。
 と、見れば、先ほどとは全く違う景色がドアの先に広がっている。なんだ、これは?
 半透明の樹脂で覆われたパイプのような細い通路だったはずの内部は、見たことも無いとても広い開放空間になっている。
 奥の方に見える、あれはどうやら僕らが乗ってきたロケット、〈キウンカムイ〉一式のようだ。横倒しになって置かれている。2段めのエンジンとキャビン&カーゴの3段目で20mはあるはずだから、この部屋の差し渡しは軽く200メートル以上はありそうだ。
 驚いて見上げれば天井はやはりあの樹脂らしい、薄いピンクの樹脂は太陽光を拡散して全体に光を広げている。その天井と床をつなぐ何本もの柱が定間隔で並んでいて、柱のそこここに枝のようなものが横方向に伸びている。まるで、白樺の防風林か巨人のハシゴをピンク色の樹脂で作ったよう。
 そこに広い空間特有の響きで金属が擦れ合う音がする。
 見れば、もう一基の〈キウンカムイ〉級のロケットが樹脂の柱に支えられ、奥の方へ運ばれていた。
 あの柱、樹脂の木は動く? 動かせるのか??
 そんな柱には無数の猿たちが木の実のようにぶら下がっている。(聞けばみなリルの一族なのだそうだ)
 低重力のおかげか、それともこの謎の樹脂の特性によるものか、がぜん興味がわいてきた。
 すでにこの巨大な空間は、あの大きな機体が何本も入りそうなガントリーと化していた。
「これは……?」
 まるでロケットの整備場じゃないか。
 驚きを口にすると、親父さんはにやりと口の端を持ち上げ、
「ちょうど猿以外にも男手が欲しかったところでな。運賃分は働いてもらわにゃならんな」と言った。
 さっきは本気で最期だと思ったのに。この人は真面目な顔をしてこういう冗談を言うのか。心にメモをする。
 僕は真空にほうり出されることがなくなって一安心しつつも、成層圏上層までの登り賃と、すでに地球を何周もしている船の運賃がいかほどになるのかを考え、それを肉体労働で払わねばならないということに気が付いて、すこしばかり気が遠くなるのであった。

 ◇

 こうして、リリク一家と僕と、言葉を話す猿達との不思議な共同生活が始まったんだ。
 労働で支払うとは言っても、いったい何をすればよいのかとオヤジさんに聞けば、
「もうちょっと上まで、行かなきゃならないんでな……」
 と、宇宙(そら)を指さす。
 準軌道よりもさらに上に、いったい何の用事があるのか。その時、僕にはまだわかっていなかった。


夕食

 本来ならばブリッジというのは食事をする場所ではないのだろう。けれど、リリクと、そのお母さんであるところの女神像のたっての願いで、今日はここで夕食をとることになった。
 ちなみに、「今日」や「夕食」という言葉が軌道上でも使われることに少し僕は戸惑ったのだが、日の出や日没に関係なく、人間の生活リズムにあわせてそう伝統的に呼称しているだけのようだ。

 リリク一家と僕、それに子猿のリルがそろう。
「殺風景でごめんなさいね。家族みんなで『いただきます』っていうの、夢だったのよ。手を合わせてお食事に感謝するの」
 動けない女神像は言った。
「普通の食事はできないし、手も動かせないんですけどね」
 これって自虐ギャグだろうか?
 笑っていいのかどうか悩んでる僕をよそに、もうお母さんべったりになってしまっているリリクはかいがいしく「栄養チューブの具合はいい?」とか聞いている。もともと、女神像さんのご飯の準備は子猿のリルの役目だったようだけれど、
「アタシがやる! リルはすっこんでて!」とリリクに押しのけられる子ザル。
 その場で抗議の声を上げるが、どうも呼び方に対する抗議だったようで、
「リルリル!」と甲高い声で叫び、つづけて、ところで、といった風に「スッコンなに?」と聞いている。
「すっこむはすっこむ!」とリリク。
「すっこんぶすっこんぶ!」とリル。
 そんな掛け合いに苦笑しながら、
「きっと通じてないよ。引っ込むの方言だとおもうよ」と僕が訂正するといった具合で騒々しい。
 よくわかっていない子猿から乱暴に奪い取ったチューブをリリクがセットすると、女神なお母さんは「うれしいわ。ありがとう!」とか言って喜んでいるようだ。
 リルは仕事を取られたのが不満なのか、口をにゅうととがらせているけれど、女神様がそれでよしとしているので問題ないのだろう。
 岩みたいな無表情が定番のオヤジさんまでがニコニコしてる。
 僕はその光景を見てぼんやり、「家族かぁ、いいなァ……」なんてまた羨ましくなってつぶやいてしまった。
 それを今度はリリクが聞いていたらしい。
「何言ってんの、アンタだって家族でしょ!」と背中をひっぱたいてきた。
「いったいなあ。乱暴しないでくれよ。ととっとっ!」
 僕はひっぱたかれた反動で浮いてしまった身体を直そうとして逆につんのめってしまう。低重力下の作用反作用の法則は頭でわかっていても、なかなか慣れない。リリクはもうとっくにコツを掴んでるみたいなのに。
 それより、いまの、アンタだって家族ってどういう意味?
 そう考えて、遅れてドギマギしてしまう。船乗りはみな家族みたいなもんでしょ。って意味であろうか。
 なんだかオヤジさんの目線が厳しい。お前なんかに娘はやらんぞって思っていそうだ。じっと睨んできてから「ゴホン」と咳払いして、「ともかく、メシだメシ!」と話題をかえてきた。
「いただきまーす!」
「いただきます……」
 僕達は声を合わせて、保存食(レーション)の封を開ける。

 ◇

「そういえば……」
 食事をしながら、気になったことを聞いてみた。
「リリクのお母さんのチューブでご飯は良いんだけど、この保存食みたいなのをずっと地上からもってきて食べてるんですか? お猿達も沢山いるみたいだけど、彼等は食事はどうしているんでしょう?」
「え? お猿さん沢山いるの? リルリルが?」とリリクも不思議そうだ。
「リルリルサンタクさん! リルリルリルリル!! キャハハハ!」というリルの声には構わず、オヤジさんは
「……。猿の軍団には猿の楽園があるのさ」と答えた。
 一方で話題のおサルは「ナニスルモノゾー!」とか口ばしりながら行儀悪く跳ねてよろこんでいる。
「まあ、メシが済んだなら行ってみるがいい、ガキと猿は好きそうなとこだ」
「むっ! なんか馬鹿にされてるかんじ! リルリル! ここは怒るところよ!」
「ムッキー!!」
「ちょ、ちょっと、話ずれちゃってるよ! 僕が聞きたいのはこんなので食べ物が足りてるのかってことなんだ。お猿の食事量はわからないけど、ずっと地上から切り離された準軌道を飛んでいるんだから、僕の計算では補給が……」
 とまで喋ったところで、
「くどいな、猿の国に行ってみろ。そうすりゃわかる」
 と親父さんにさえぎられる。したがって、僕は次の言葉が言えなくなってしまったのだが、何を聞いていたのかリリクが斜め上の発言をして一同を驚かせた。
「そうよねぇ、こんなのばっかりじゃ身体にも悪そう。アタシ、お料理してあげる! キッチンぐらいあるんでしょ?」
「えっ?? リリクが、料理??」
 これには僕もびっくりだ。
「リリクの手料理だと??」親父さんまで驚いて立ち上がっている。
「まあ、すてき! たのしみね!」
 お母さんさん、喜ぶのはわかりますが……。
「俺の分もあるだろうな?」
 って親父さん……貴方もわかっていない……。
「ふふふーん、クソ親父に食べさせるメシなんてないかもよー?」
「だめですよ、お食事の時にそんな言葉を使っては」
「はぁい♪」
 みんないろいろずれてる。心配なのは僕だけだろうか?
「キッチンはラウンジのほうにあるが、裸火は使うなよ。危ないからな」
 親父さんも心配してる? でもポイントが違うようだ、ああ、でもそうか、低重力だから火は危険なのかも。
 僕は純粋に、その、なんていうか、ちゃん食べられる物体ができるかどうかについて疑問を禁じ得ないのであって……。
「本当に大丈夫? 心配だなあ」
「だーいじょーぶまぁーかせて!!」
 なんて言って仁王立ちするリリク。
 あの自信は一体どこからくるんだろう……?


エコ・プラント

 食事のあと、僕とリリクの二人は子猿に連れられて格納庫先にある大きな扉の前にやってきた。
「ここが楽園ってやつ?」とリリク
「エコ・プラント? グリーン・ルームって書いてあるね……、クリーン・ルームじゃなく?」
「ぐりーんぐりーん♪ 大人だーめ、子供と猿ラク国!」
「なにそれ、子供だけの国ってこと?」
「おサルも!!」
「そ、そうね、子供とお猿の国ね。でもなんで?」
「こういうこと、じゃないかな……」
 大きな扉は例によって自動ドアのようだけれど、何かに引っかかっているのかちゃんと全部は開かず、猿なら入れるぐらいの隙間しか開こうとしない。中からはむっとする温風が吹き付けてくる。この隙間、僕やリリクは身体を横にしてなんとか入れるけれど、きっと体格の大きな大人じゃ通るのは無理なんだろう。
「なるほどねー、これじゃあのクソ親父じゃ入ってこれないね」
 なんて言ってリリクは子猿のリルと一緒にとっとと隙間に身体を滑り込ませてしまう。
 慌てて僕もなんとか入り込むと、そこは、一面の、いや、立体的な緑の空間だった。
「すっごい! なにこれ! ジャングル??!?」
 二人と一匹が中にはいると、また背後でゆっくり扉がしまっていく。思った通り、両側には太い木の根がはまり込んでいて、扉がこれ以上開かなくなっているようだ。
 ぎしぎしとつらそうに隙間が細くなっていく。抜けていく風の音がだんだんたかまり、ぴゅうっと鳴いてずしんとロックされた。風が収まると、ぐっと蒸し暑さを感じる。そして、濃い森の匂い。
 見渡せば、周囲はもちろん、足元から頭上はるかまで、うっそうと生い茂り、周りを取り囲む草とも樹とも知れない緑色の植物群。
 グリーン・ルームと扉に書かれていたのはこうしたわけでしたか。
 ひとり納得して、人差し指を鼻の上にもってきて、メガネの位置をあわせる。厚いレンズのメガネも高温多湿で曇りがちだ。
 もともとは食料と酸素の自給用のプラントだったらしい巨大な空間は、天井の採光窓からの太陽光と、低重力・高湿度という環境から、文字通りびっしりと蔦性の植物で埋め尽くされていた。
 人体や猿などの動物種には有害な紫外線も、逆にそれを求める植物の葉が傘となっているのだろう。僕達のところまでその強烈な光は届いてはおらず、柔らかな光線に変質していた。
 きっと、この大きな空間で〈バイトアルト〉に必要な水や、酸素を作りだしているのにちがいない。
 遠くから鳥の声だろうか、聞いたことのない鳴き声や、木々や枝、葉がこすれあう音、それに水音も聞こえる。そして甘いフルーツの匂い。
 ここが準軌道を飛ぶ亜軌道船(エクラノプラン)の〈バイトアルト〉の中なんて。完全に熱帯の、大自然の中じゃないか。
 こんなこと、自分で来てみるまで想像もできなかった。酸素は昔の宇宙船みたいに水から電気分解して得たりするものだとばかり思っていたけれど、広い空間があればこんなふうに植物を植えるのもよい方法なのかもしれないな。
 太陽の光は十分にあるようだしね。
 ふりあおぐ僕の目に、地上より少しだけ距離が近くなっている太陽からの日差しが、生い茂る木々の葉越しに降り注いでいた。
「こっちこっち! なにやってんのー!」
 分厚く重なり合う大きな葉の間から、リリクがひょいと顔をだして手招きする。
 まったくもう、未知の環境でもかまわず進んじゃうんだから君は。
 リリクを追って、道とも言い難い木々の隙間をかき分けて進む。足元はいつの間にか積み重なった葉や蔦になり、よじ登ったりすべり降りたり。猿にはいいけど人間には大変だ。リリクは平気みたいだけどね。僕にはちょっときつい。じっとりと汗ばむ手で蔦を握り、身体を引っ張り上げる。
 低重力でよかった。地上じゃこんなことできないよ。
 蔦をひっぱると上から水がしたたりおちてくる。腕や足に触れる葉もたっぷり水分を含んでいて気が付けば全身びしょぬれだ。気温が高いので逆に気持ちいいぐらいだけれど。
 どこまで行くのだろう、帰り道がわかるだろうか。なんて不安になってきたころ、さっきまで頭上で輝いていた太陽が採光窓の範囲から外れ、急に暗くなってくる。〈バイトアルト〉の飛翔によって地上よりはるかに早く短いサイクルで夜がやってくるのだ。こんなところで真っ暗になってしまったら危険なのではなかろうか。
「やばいよ! もう日が暮れちゃうよ!」と声を投げても、
「えー、リルがいるもん、大丈夫でしょ」なんて能天気な返事。
「リルリル!」
「はいはい」とお約束なやりとりが聞こえるほうへ、太い蔦をかき分けて、天幕のようになった葉をよけて進むと、そこはドーム状の丸い空間だった。
 ドームの隅を小さな川が流れている。水もあって居心地の良いところなのだろう。何匹もの猿達が苔むしたふくらみのまわりにあつまっていた。
「お猿たくさんいるんだね」
 リリクはリルの他の猿にはまだ会ったことがなかったんだな。猿の数に驚いていたようだけれど、僕はそんなことより猿達の中心にあるテーブル状の突起に引き寄せられていた。
 苔の間に小刻みに点滅する光がある。これは……もしかして……。
「ヨウコソ……イラシャリ……ヨ」
 上のほうから、か細い声がした。薄暗闇の中を見れば、痩せたお猿さんだ。葉っぱを集めて作られた寝床から身を起こしている。だいぶお年寄りのようである。ところどころ毛がぬけてしまっていてちょっとかわいそう。でも、青と赤の紐を編んだような首飾りをしている。えらい人(猿だけど)の証だろうか。
「あなたは?」とリリク。
「モリモリ……。 ココイチバン ナガイイル サルョデスヨ……」
「長老さんなのね。私達はリリクと……」
「ショーゴです」と僕。
 二人してぺこりとおじぎをする。
 モリモリさんは「リリク……、ショーゴ……」なんて小さい口のなかでもぐもぐとつぶやいている。名前を覚えようとしてくれているんだろうか。
「そうなんです」とリリク。「本当はウチのクソ親父か片腕のセンセイがくるはずだったのだけれど、今回は私達、子供だけで代わりに配達にきたんです」と胸をそらせ、自慢げに言ってのける。
 モリモリさんはまた「……リリク……?」なんてもぐもぐしてる。
 自己紹介より、僕はモリモリさんの乗っている台にすごく興味があるのだった。
「ところで、これ、もしかして……、コンピュータのコンソールなんじゃ?」
 もう太陽の光はあまり入ってきていない。すでに緑色というよりは真っ黒に見える蔦や葉の層の下、中からうっすらと光が見えている。
「すいません、これ、よく見てみたい。綺麗にしていいですか?」
 なんて聞きながら、答えを待たずに僕ははりついた緑の膜をごしごしとはがしていった。素手がよごれてしまうけど、背に腹は代えられない。
 高鳴る動悸が意識される。これってもしかして、もしかすると……。
「やっぱり……これ……、そうだ……」
「なに? コンピュータってやつ?」
「その画面だよ! す、すごい! まだ生きてるみたいだ!」
「ふうん、めずらしいのね」
「そりゃそうだよ! 今はもう世界中のコンピュータが死んでしまって、大昔の原始的な機械以外動かないはずなんだ! こんなところに生き残っていたなんて!」
「ふうん、じゃ、料理のレシピとかわかるのかな? 宇宙で作れるお料理とかさー」
「そっちかよっ! けれど、キーボードが見当たらないな。差し込み口みたいなところはあるんだけれど……。モリモリさん、この穴に差し込むキーボード……、ええっと、スイッチがたくさんついている板知りませんかっ?」
「……リリク、ワタシ シッテルヨ」
「いえ、僕はショーゴです。キーボードご存じですか? どこですか??」
 僕は勢い込んでモリモリさんの小さな肩をつかみ、問いかける。
 普段の僕からは考えられない行動にリリクはあきれてこっちを見ている気がするけれど、いまはもうそれどころじゃない。
 モリモリさんは、ちがうちがう。というふうに頭を振って首飾りをはずし、僕にその端を渡してきた。
「こ、これは??」
 てっきりネックレスだと思った紐の先には金属の端子がついている。反対側は、なんと、モリモリさんの首の後ろに埋め込まれているようだ。いつもはそれを首飾りのように首にまいていたらしい。
「これを、ここに?」
 僕はあまりのことにびっくりしながら、コンソールの差込口を指さす。
 そうそう。と言う感じに、こちらを見てうなづくモリモリさん。
 僕はごくりと唾をのみこんで、端子を見つめ。意を決して差し込んでみた。
 瞬間、ほんの一瞬だけ白く光り、すぐに真っ暗になる画面。うわ、大丈夫か?
 緊張の瞬き数回分、何をすることも出来ず画面を見つめていると……。

-- Welcome to VitaAlto Ecology-Condition Management System Version 1.1.28
Communication Port Link success / Access Control Address: 00:C0:8F:2B:6F:C9:00:FB
Connected ... Account registration name 'PANDORA' aliasd > 'MORIMORI'
COMMAND>:_

 ふいに画面に変化が現れた。
 つらつらと文字が表示されて、昔の専門用語でカーソルと言う、四角いマークが点滅していた。
「す、すごい! ちゃんと生きてるよこれ??」
 僕はもう大興奮状態である。
 いまいち感動の薄いリリクをガクガクと揺さぶって、モリモリさんに向きなおる。
 モリモリさんは、ゆっくり立ち上がると、僕の目を見て、画面のほうへ視線を移した。
 画面には新しい行が増え、こんな文字が光っている。

〈文字で失礼します。口でしゃべるよりもこの方が速そうです。この言葉を読み取ることができますか?〉

「えっ?、これ、モリモリさんが?」

〈そうです。私の[神経ーマシン・インターフェース]越しに文字列を出力しています。ここにキーボードはありませんが、こうやってコンピュータ画面にメッセージを表示したり、命令を送出することができます〉

「うっわあ?? すごい?? 本当にすごい?? こんな技術が残されていたなんて!」

〈スマートボム・インシデントですね。私とこのコンソールは、その時代の生き残りです。当時、地上や外環境とリンクしていた航法システムは破壊されてしまいましたが、スタンドアロン動作していた内部環境制御システムは中程度のダメージで待機モードへ移行できたようです〉

 リリクも画面を覗き込んでくる。
「なんだか難しそうなこと言ってるね。レシピはわかりそうなの?」
「まったくもー、この凄さがわかんないのかよ!」
「わかるわけないでしょうが」
 僕は彼女の反応の薄さに逆に驚く。これって、いま、世界で一番すごいことかもしれないのに。世界中のエンジニア達が復活させようと頑張っているコンピュータが、まさに動いているのに。そして僕が長い間ずっとずっとずっと思い描いていた夢が、ここにあるというのに?
 すごい、すごいや。この巨大な船は、僕の夢も、リリクの夢も、いっぺんにかなえてくれる魔法の船みたいだ。どっちも絶対にかなわないと思っていた夢なのに……。
 それにしても、リリクは僕の興奮の意味がわからないんだろうな。それがとても残念だった。どう言ったらこの凄さがわかってくれるんだろう?

〈残念ですね。レシピは私は詳しくないですし、ここのコンピュータも知らないようです。ところで、リリクさん、私は貴女を知っているかもしれません。とてもとても昔に、会ったことがある気がしますよ。まだ生まれたばかりでしたから覚えていないでしょうね。私達が出会ったのは、貴女が小さな猿よりももっと小さい赤子の時でした〉

「えっ! えええっ??」とリリク。
「やっとこの凄さがわかったかい? って、ええええっ??」僕もまた驚く。

〈貴女は、この船で生まれたのですよね〉

「そ、そうです。もしかして、モリモリさん、あなたは……」

〈私もこの船で生まれたのですよ。私のほうが、少しだけ先に……〉

 モリモリさんは、この森を管理し守る役目を与えられて、ずっとここにいるのだそう。
 かつては知性化実験のための検体であり、コンピュータとともにこの船の運行をサポートする研究プロジェクトの一員だった。
 そのプロジェクトでのコードネームはパンドラ。

 スマートボム・インシデント後の世界しか知らない僕らは、すこしだけその事象の前の世界を知っている猿から、あの出来事の真実を聞くことになる。絶望のつまった箱の最後に残されていたという、希望の物語を……。

〈つづく〉

―――

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