結局、答えは「ここ」にしか無いんだよね【ルソー『エミール』より】
必死に『答え』を探していた
苦しかったから
ネットを見ても
本を見ても
たくさんの輝く人がいる
私はそうではない
輝く人の言葉に『答え』を求めた
自分の気持ちに反していても
言っているとおりに
行動してみたりもした
やっぱり、違う
熱心に追いかけていた
『意識高い系』のものに
拒否反応がでるようになっていた
私には「これじゃなかった」
私の『答え』はどこにあるんだろう?
…
やっぱり、これだけなんだ
…と思える『答え』らしきものを
『エミール』の中に見つけた
第4篇から引用する。
わたしは、自分がしたいと
思っていることについて、
自分の心にきくだけでいい。
わたしがよいと感じていることは
すべてよいことなのだ。
悪いと感じていることは
すべて悪いことなのだ。
いちばんすぐれた決議論者は
良心なのだ。
自分の良心に聞け
これだけだ。
よくよく考えてみれば
成功している「意識高い」人も
結局これだけだったのだろう
自分が良いと信じていることをやる
良いと信じたから、それを発信する
あくまで「本人」が「良い」というだけ
他の人間が良くなるかどうかは
「本人」の「良い」の中に
オマケでくっついているだけ
一つ確実に言えるのは
「本人」の「良い」を曲げてまで
「他人」の「良い」を
優先したりしないだろう
ということだ。
…
「良心」に反して
「意識高い」人の言うことを無批判に聞く
つまり
「他人」の「良い」に「無理に合わせる」
ときには、↓のようなことが起こる
わたしたちが
微妙な推論に助けを求めるのは、
良心をごまかそうとするときだけなのだ
微妙な推論が心のうちに起こる
~だから、やった方が良いんだ
~さんが言うから、間違いないんだ
この「微妙な推論」が必要になるのは
「良心」に反しているときだけ
「良心」に沿っているなら
心の奥底の声に沿っているなら
そこに理屈はいらない。
自分がやりたいからやる
それだけ。
一つ気をつけないといけないこと
長いあいだ内面の感情を
黙らせておいたあとでは、
それを呼び起こそうとしても
すぐにはできない
「良心」の声は
聞こえなくなってしまうのだ
「良心」は確実に、そこにある
でも「良心」に「黙れ」と
言い続けてしまえば
その声はどんどん小さくなる
だから、普段から
「良心」の声を
聞いてあげる必要がある
耳を傾ければ
かならずそこにあるんだから
聞こうと思えば
聞こえてくるんだから
あとは、聞く側の問題だけだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?