深夜2時、悪夢で目覚める。深夜の町を徘徊する。
「くらがり」に敢えて身を晒す。
すると、隠れていた自分が見えてきた。
そんな話。
…
その日、
悪夢にうなされて目が覚めた。
胸の鼓動は早く
息が切れている。
時計を見ると
午前2時前。
目は完全に覚めている。
眠くない。
平日なら
寝直す必要がある。
短い睡眠時間では
仕事を乗り切れないからだ。
でも、その日は違った。
土曜日の朝だった。
私は決めた。
「外に出よう」
…
「深夜に外に出る」
私にとってのくらがりだった。
やってみたいと思っていたことの
一つだった。
「深夜に帰る」は、今までもあった。
ただ、それは、酒の席の後で
酩酊した身を家に収めて眠る。
それだけの作業的なものだった。
この日は違った。
頭はしっかり冴えていた。
「自分を見る」準備はできていた。
…
薄曇り
空には月だけが見える
明るい時間とは違い
車の影はほとんどみえない
寒くもなく暑くもなく
光も音もしぼられた
「刺激」の小さな
とても心地よい状態だった。
そんな中を歩く
自分の中の
「快」と「不快」のアンテナに
注意を向けながら…
…
「不快」のアンテナに反応がでた
「人の声」だ
閉店後のゲームセンターの前で
下卑た笑い声を響かせる集団がいた
私は早足に通り過ぎた
自分の心を
よく「見て」みる。
怖がっていた
被害の想像が膨らんでいた
カツアゲされる?
暴力を振るわれる?
どうやって逃げる?
助けは求められるのか?
実際には何も起こらなかった
当たり前の話だ。
…
コンビニに寄る。
川辺に腰を下ろして
ジュースを飲みながら
心の「不快」の波が収まるのを待った。
…
自分の心の動きを考えてみる
明らかに、過剰だ
「怖がり過ぎではないか?」
この時、気づいた
この感覚は
普段から感じていたものだったことに
他の刺激の中に紛れて
よく「見えて」いなかっただけで
「人への恐怖感」は
私の中にずっとあったのだ。
昼間に外を歩いていても
仕事をしていても
家にいても
私は「人が近くに居る」ことに
「不快感」を感じていた。
「不快感」の正体は
「恐怖」だったんだ。
それを前提に考えた時
私の人への接し方
癖でやってしまっている接し方に
理由がついた。
私はいつも「怖がっていた」
「人の恐怖から自分を守る」が
私の行動原理になっていた。
帰り道
青信号が見える
「怖がらんでもいいんじゃない?」
と、言われた気がした。
ゲームセンターの前を通って帰った。
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