シャニマスの解像度にビビった話

 三峰結華という人間が確かにそこに存在している。

 私がシャニマスを始めて驚いたのはそこだった。虚構と現実の区別がついていないわけではない。アイドルマスターシャイニーカラーズが創作であると分かった上で、その人物の描き方、描かれた存在の解像度の高さに驚いたのだ。

 アイドルマスターは今年で誕生から15年を迎える人気コンテンツである。しかし私の中の知識は昔見たアニメと時折Twitterのタイムラインに流れてくるイラストだけ。私は「流行ってるなぁ」と思いながらアイドルマスターというコンテンツをぼんやりと遠巻きに眺めていた。

 4日前、私はYoutubeでとある配信を見つける。

https://youtu.be/LSI5EyNK83M

 オモコロライターのダ・ヴィンチ恐山とバーチャルYoutuber月ノ美兎が、同じくオモコロのライターであるARuFaにシャニマスを初見プレイさせるというものだった。

 白状するが私はこの配信を見てもシャニマスが面白そうなゲームだとは思わなかった。

 私はソーシャルゲームというものがあまり得意でない。じっくりと何かに取り組むというのが苦手なのだ。ソシャゲといえば単調な作業を膨大な時間をかけて繰り返す、言わば「コツコツと取り組む」ゲームである。育成ゲームとなれば、なおのことだ。だから配信を見て、このゲームは自分には合わないだろうと思った。

 しかし、配信中シャニマス経験者の2人がいかにも楽しそうにアイドルについて語る姿は印象に残った。このアイドルはこういう状況ならこう言うだろうなどと妄想を語る2人の姿はまさにオタクという存在そのもので、私はそこに「正しいオタク」を見た気がした。

 そうして私はその配信の記憶をしばらく引きずり、気になるなら少し触れてみるかと2日前、シャニマスを始めた。

 最初にプロデュースするアイドルは三峰結華という子に決めた。以前Twitterで見たカメラを構えるこの子のイラストが印象的だったからだ。

 このゲームはレッスンや仕事でアイドルを成長させ、W.I.N.Gという新人アイドルの祭典で優勝を目指すのが当面の目標となる。育成ゲームによくあるやつだ。だが、このゲームを良作たらしめているのはシステムやゲーム性ではない。プレイしてみるとゲーム自体も思いの外退屈ではなかったのだが、最大の魅力はそこにはないと考えているので語ることはしない。

 このゲームの最大の魅力はレッスンや仕事の合間に挟まるショートストーリーである。プロデューサーや他のアイドルとの掛け合いの中で、アイドルの個性と成長が描かれていく。その描かれ方はソシャゲのシナリオとしては、かなり丁寧で時に挑戦的で、やや迂遠だ。

 三峰結華は明るい女の子である。しかし常に「演じている」女の子でもある。自分を偽っているというわけでもないのだが、外に見せていい自分と、そうでない自分の境界をしっかりと決めている。そんな子のように感じた。作中でも、頑張っている自分や弱い自分をプロデューサーに見せまいと振る舞う姿が描かれていた。

 プロデューサーは彼女が隠しておきたい部分を察することが出来る。それはW.I.N.G優勝を目指す中で2人の仲が深まった証拠である。しかし同時にプロデューサーは彼女の性格もよく理解している。だからプロデューサーは彼女の中の境界を踏み越えるのではなく、境界の外側から呼びかけるようにして彼女の言葉を待つのだ。

 また、彼女自身もプロデューサーが演じていることに気づいたとしても、境界を越えて踏み込むことはしない。外側から優しく声をかけてくれるのだ。

 お互いが越えることのない一線を設け、一定の距離感を保つことで2人は信頼関係を築いていく。三峰結華をプロデュースしていくと、彼女のそんな個性と出会う。彼女のそんな個性とプロデューサーとの信頼関係の醸成を緻密に、しかし婉曲に表したシナリオがアイドルの存在を際立たせていく。そこに実在するかのように。

 私が初めて行なったプロデュースの結果は三次審査落ち。悔しがり、悲しむ結華と共に、私は悲しんだ。自分を不甲斐なく思った。質量すら持つのではないかという解像度の存在が私の心を揺さぶった。

 私はこの時プロデューサーになったのだった。

 このゲーム、というか三峰結華をプロデュースして挑戦的なシナリオだと思ったことが1つある。それは彼女との関係は「プロデューサーとアイドル」という関係から発展することはないだろうと感じたことだ。

 一定の距離を保つことで信頼関係を築いてきた2人は男女の仲にはならないだろう。プロデューサーとアイドルという関係のまま信頼を深めていくのだろう。そう感じたときに私の胸に去来したのは寂寞であった。

 このゲームはアイドルをプロデュースするゲームであって恋愛ゲームではないのだと思い知らされた。キャラ入手時から女の子が全力で愛情表現をしてくるソシャゲが大量にある中で、シャニマスは安直な道には走らなかった。信頼に足るシナリオではある。そして、それがアイドルの存在に実在感を与えているのも事実である。

 しかし、この手法はプレイヤーを苦しめることになる。キャラクターが実在性を帯びるほどプレイヤーは彼女たちに惹かれていく。しかしプレイヤーはプロデューサーであってそれ以上の存在にはなり得ないのだ。

 プロデューサーはアイドルに手を出せない。そんな何とも言えない関係を寂しさと共に見つめるのがアイドルマスターというゲームなのだろう。


あと普通に女の子が可愛いからお前らもやれ。

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