流浪の月 を読んで

最近なかなか読書に集中できなかった。没頭できず、気付いたら寝ていたり。それでも私は本屋で本を選ぶ。一つの精神安定剤だ。まだ、こんなに知らない本があるんだから、中身を知らないものがこんなにもあるんだから、わたしにも生きる理由がある。たくさんの本が並んでいる場所にいると落ち着く。死ぬのは本を読むこともできなくなってからにしようと思う。

わたしは、恋愛ができなくなった。その感情が掘り起こされることがなくなった。前の恋人と別れてからだ。もう2年が経つ。私たちは確かに愛し合っていた。些細なことで腹を立てたり、お金がなくてもただ一緒に抱き合って眠るだけでこの世界が素晴らしいものに思えたし、ご飯を食べられなくても幸せだった。そんな私を病的だという人たちもいた。だけど私は確実に幸せだった。彼のことを本当に知っているのは、わたしだけだ。他人にどう言われようと、どうでもよかった。それほど愛していたし、好きだった。それが愛しか残らなくなってしまい、私は彼に別れを告げた。好きではなくなってしまった。でも、愛だけはいまも、きっとこれからもずっとある。

初めは、この関係を周りに理解してもらおうと必死に説明した。私は彼を愛しているけど、好きではなくなってしまった、と。理解してくれる人は誰もいなかった。私は他人に説明するころを諦めた。彼だけが同じ気持ちでいてくれて、彼だけが理解してくれればそれでいい。そう思うようになった。彼と永遠に一緒にいれるけれど、セックスはしたくない。キスも嫌だ。昔はあんなに当たり前のようにしていたのに、今では考えたくもない。そんな自分と彼の関係を更紗と文に重ねた。状況は全然違うけれど、私たちは枠からはみ出しているのだ、それでも堂々としていればいい。周りはおかしく思うかもしれないけれど、別にいい。

私と彼は、更紗と文ほど繋がっていない。長い時間を一緒に過ごしたけれど、もともと枠から外れていた私と違って彼は私のせいで枠から外れただけだ。だんだん忙しくなって会うこともなくなって、彼はきっと軌道修正する。わたしはまたひとりぼっちになる。怖い。けれどどこかに私にとっての文がいるはずだ。

わたしにはこれ以上のハッピーエンドはないように思える。インターネットから二人の過去が消えることはないし、人の記憶から零れ落ちても一度入った情報がまた現れたら簡単に思い出すことができる。思い出さなくても事実はその辺に転がっている。真実もそんな簡単に広まればいいのに。理解されればいいのに。

人のやさしさとはいったい何なのだろう。更紗の視点から見たらすごく重くて痛いものに感じるが、実際わたしが更紗の世界の他人だったらどうだったのだろうか。わたしはわたしの世界でも、誰かをやさしさと間違えて傷つけているのだろう。

更紗は文に愛はないと断言するが、私にとっては二人は愛でつながっている。恋愛感情でなくても、愛は愛だと思う。そう思いたいだけかもしれないが。

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