私と本

新しい本を買った
私は本が好きだ

本を好きな私が好きだし
本を読んでいる時間も好きだ

小説や自己啓発本
政治経済や健康や食
子育てやエッセイ

どんなジャンルも読むし
最近は少し難しい本にもチャレンジしてる
常に3、4冊の本を読んでいる

だけど入れた知識は
右から入ってきて左に出ていく
みたいな
それくらいのレベルの私の頭
読む意味は
その時の感動や達成感で
新しい知識が私にとっての
財産にはなってはくれないのは残念

だけど人に説明できなくても
私自身は理解してるし
忘れたようでも
頭の片隅や心のどこかに残っていて
私の何かになっているのは事実としてある

朝昼晩決まった時間に
10分でもいい少しだけでも
本を開く習慣をつけている

朝は政治経済
昼は小説
夜は子育てエッセイ
みたいな感じで

電子書籍より紙の本の方がいい
なぜだろう
電子書籍はとっても便利だけど
なぜだろう
できれば紙の本を読みたい

電子書籍は読めない漢字のところを
タップすれば意味も一緒に教えてくれる
持ち運びも便利だ
それでも紙の本はまず
紙に乗っている字を読むと言うことの
気持ちよさがある
電子的な文字はなんだか目が疲れる
それから小説なら
何ページくらいに出てきた人の名前や
セリフやストーリーの一片を
紙の厚みで覚えててすぐに振り返ることが出来る
そして何より紙の本は
電力も入らないし人に貸すこともできるし
なんせ味があると思う
本の個性ともいうのだろうか
色や匂いや厚み
ページの端が折り曲がっていたり
そこに置いてあるだけの本は
なんて事のないものだけど
その中には壮大な物語があって感動があり
人の人生を変えてしまうような
そんなこともあるそんな存在なのだ
形のない電子書籍より
やっぱり個性的で主張感のある
紙の本はいいな





初めて梅田の蔦屋書店に行った時は
カルチャーショックを受けた

なんとも言えない空気が流れていて
本屋さんというより
まるで別世界のようだった
一瞬にして私はそこが好きになった
娘の住むそこへ行くたび
私は蔦屋書店に足を運んだ

初めて行った時
主人に「個人はみな絶滅危惧種という存在」
という船越桂の本を買ってもらった

それは特別な本という名前をつけて
私の本棚に収まっている
彫刻家の創作メモということだったけれど
私の中に染み渡る言葉は
なぜか心地よくて
人と同じじゃなくていいと
思わせてくれる
自然のままの自分でいいと
そんなふうに感じさせてくれる
そんな本だった

それから何年も経たずに
私の住む所にも蔦屋書店ができた
雰囲気は似ているけど
梅田の蔦屋書店とは少し違う
やっぱりあそこは
私にとっての思い出の場所であり
特別だなと思った

それでも私の住む所にできた蔦屋書店も
好きな場所であって
今日買った2冊の小説も
そこでピンときたものを買った

きっと私を喜ばしてくれるであろう
その2冊
ワクワクする
楽しみだ

本のストーリーは
買う場所から始まってる
どこでどんな状況で買ったのか
誰と一緒だったのか
一人で買ったのか
どこで読むのか

私はそんな時間を大切にしたい

現実の苦しみに惑わされないで
私の本当は
こんなところに生きていると思う

本を楽しめる私は
本当の私なのだ

本を閉じた時
そこにいる自分は
きっとこうあるべき私だった

だから私は本が好きなのかもしれない

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