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一杯のコーヒータイム #4

姉と不仲だ。

姉がどう思っているかは分からないが、私はそう感じている。

姉とは、年が7歳離れている。

学校時代から被ることがなく、思い出どころか姉の子供の頃の姿は記憶にうっすらだ。

姉は昔"男の子のように活発"だったと聞いた。

だけど私が知る姉はピアノや勉強に勤しんでいた。

どこでどうなったのか知らない。

そうだ、知らない。

聞けばよかったんだ、本当は。

もっと姉と"聞く、話す"というコミュニケーションを自分からとっていれば、この歳になるまで不仲を感じることはなかったかもしれない。

私の子供時代は自由をバカになるまで楽しんでいたため、姉からすればできの悪い妹だった。

そんな私を『恥ずかしくて紹介できない』と姉は周囲にもらしていたそうだ。

頭のいい高校に行き、頭のいい大学、大学院に行った姉。

底辺の高校に滑り込み、なんとか短大まで行けた私。

ただ、母曰く、姉は高校に入れた安心感から成績を落としたそうだ。

逆に私は高校で"学年上がれないかも"の恐怖から猛勉強を始め、高3あたりから短大にかけて好成績になった。

家庭教師、塾の講師、高校の教師、よそ見せず人生をまっすぐ歩いてきた姉。

花屋、道の駅、劇場、派遣、ただのパート、よそ見ばかりしながら人生を歩いてきた私。

考え方の余裕の有り無しがハッキリする。

でも、学生とばかり接する日々の姉と会話すると、口調から学生と話をしているように感じることがある。

職業が先生だからといって寛大寛容ではないし、頭のいい発言ばかりをするわけでもない。

狭い日常での経験をベースに、上から口調で決め付けてくることも多い。

会話のキャッチボールが上手くできない。

先生という職業は大変な仕事だと理解してはいるが、忙しオーラで寄せ付けない姉に対し、言葉を選び、会話を合わせたり、空気をよんだり。気付けば私は"姉"に対して『対処』するような態度になっていった。

その方が楽だと心のどこかで思っていた。

両親にとっていつまでも私が子供のままのように、姉の中でも私は子供の頃の不出来な妹のままで止まっている。

姉との昔を思い出すと、壮絶な口喧嘩や、姉の物を盗んだり壊したりの悪さをしてしまったり、事故に巻き込んで迷惑をかけたこともあったので、後ろめたい気持ちもあるが、事故以外はまだ判断ができない年頃の話。

それでもやはり姉にはその頃のことが消えないんだろうなと私に接する態度から分かる。

現在、私38歳、姉45歳。

親を心配する、いい年になった。

が、実は姉が何処に住んでいるか知らない。

親伝いに昨年末姉夫婦が一軒家に引っ越したことを聞いたが、私もだが親ですら未だ住所を知らない。

聞かれてないから言わないようだ。

そう思うのは、一軒家に引っ越した理由が"いつか親と住むため"と聞いたから。

私は相談を受けていない。

『親に何かあったときのために親戚とLINE交換した』とドヤられたこともあった。

私は姉のLINEどころかメールアドレスも知らない。

極めつけは、母とお墓の希望についても話を終えているとのことで…。

私は姉の中に存在しているのだろうか。

それでも姉は私が分からないと思い、両親は姉とのコミュニケーション不足を指摘する。

一年に二回。

誕生日と年末の帰省確認。

『誕生日おめでとう』『ありがとう』

『年末帰る?』『帰ります』

毎年SMSで1ターンで済まされる姉妹の会話。

今年はコロナがあったから『大丈夫?』『大丈夫』が増えた。

さて、どうやってこれからステップ2に進めばいいのか。

今更だと諦めるのか。

ううん。諦めたくないから日記に書いた。

今回はMサイズだから話が長くなってしまった。

今日もコーヒー、ごちそうさまでした。