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いつまで未熟でいるつもりだ、ばか者よ

地下鉄サリン事件の時には、生まれていませんでした」という若い新聞記者から事件の取材を受けた。
「えっ、生まれていない……?」
子どもとほぼ同じ年の記者が私に取材をしているこの現実に、唖然とした。
(わたしにとって、まだ昨日のことのようなのに)
ああ、年をとるとはこういうことなのか……。

作家になったころ私はまだ若くて、どこに顔を出しても未熟で半端者で、目上の人たちからなにも知らないと諭され、勉強するように言われてきた。そういう「未熟で無知な自分」という自己認識のまま、いま60歳になろうとしていた。

私はもう「歴史についてよく知らない」とか「そのことを語る立場にない」などとごまかしを言える年ではないのだ。
私は知っているじゃないか。
……若い記者が私の著書を読んで「この本のどこまでが事実か教えてください」と言う。「オウムってほとんど知らないんです」と。

そうだろう、たとえば戦後生まれの私は「戦争を知らない」世代。だから若い頃は戦争を知っている世代に「おまえらは戦争を知らない」「安保闘争を知らない」と散々にその無知と愚かさを指摘されてきた。
でもね、いまは違う。私は戦争を取材してきた。原爆や、大量虐殺や、太平洋戦争を取材し、その場所に行き、当事者に会ってきた。多くの人は亡くなった。でも生の声を聴いている。その私はもう「戦争を知っている」人になるのだ。いつまでも「知らない」ことに劣等感を持っている場合ではないんだ。ああ、私は老いた、びっくりだ。

夢中で、若い記者にしゃべった。知っていることを全部伝えたいような気持ちになった。記者も一生懸命に聞いてくれた。「そんなことがあったんですか?」「そうか……」「でもまだよくわからない……」「なるほど」
オウム事件は国家的な現象でその全体像をどう伝えるかにはかなり主観が入る。だとしても私が体験していることは伝えたいと思った。当事者たちに会っている。対話している。

この国に生きて、半世紀を見てしまった私は見識をもつ大人なのだ(あんなに未熟で何も知らないと感じていたのに……)。

私が話さなければ体験をもとに話をする人間はすぐにいなくなってしまうのだ。だからこうして事件を知らない若い記者が取材に来る。彼は、あの時、生まれていなかったんだ……。

やっと「ものを知っている年寄り」として発言する覚悟をした。間違うかもしれないが、私の知識と人脈は多岐に渡り「体験」を元にしている。私は実際にその「人たち」に会い、その「場」に行き、直接に話を聴いてきた。そういう自分を初めて発見するという、些細で重大な、自己認識の組み換えが、若い記者の真摯な問いによって起きた。

「逆さに吊るされた男」この物語は地下鉄サリン事件実行犯で元死刑囚林泰男氏との交流をもとに描いた私小説だ。2017年11月に出版された。出版までに4年を要した。林氏の細かい証言と出版の承諾を得るまでに時間が必要だった。現実に起きた事件を扱っているが、内容はフィクションである。宗教的体験に近いものを物語として表現したかった。

主人公自身がある宗教的体験にからめとられていく様を描きたかった。この事件は、宗教的修行が持つ危うさと魅力を孕んでいる。

元死刑囚林氏との交流は14年に及んだ。

昨年7月26日、林氏は処刑された。私は処刑の10日前に面会、処刑前日の手紙を受けとっている。私の作品は処刑前に出版されたもので、その後、林氏が仙台に移送されてから、死刑執行されるまでのことは、ほとんど発表していない。

処刑直後はそれを書くと苦しくなり、しばらく日本を離れていた。今年も日本に離れる予定だった。命日に日本にいたくなかった。……が、「地下鉄サリン事件のときは生まれていなかった」と若い記者から言われたとき、現実との不一致にとまどった。

どこからどう伝えたらいいのだろう?

この記者から見たら……私はどういう人間なんだろうか?と思った。
どれほどのことを経験している大人として私は見えるんだろうか。
もう私は未熟な若者ではなく……歴史を見てきた年長者なのかも。

記憶が定かなうちに「移送から処刑」までの彼の手記、手紙や発言の内容をまとめておこうと、初めて思った。自分はこの数年間、眠っていたような気がする。「この問題にかかわるのはいやだ」と、本を出版してからずっと避けてきた。どう説明したところでオウムの問題は謎が多すぎて、私が考えたところで手も足も出ない、それにもう誰も関心をもっていないよ……。

実行犯と一四年、交流する機会を得た人間はこの日本でわずかなだ。その間にも、さまざまな関係者と出合ったきた。にもかかわらず、そういう自分を素人と見下し、「私はオウムをよくわかっていない」とか「もっと専門家や学者がいっぱいいる」「ジャーナリストではないし」「まだ未熟だから」と思い、「出る幕じゃない」と逃げていた(思えば、他の問題でもすべてそうだった。素人だから出る幕じゃない……が、私のモチベーションを下げていた。)。

本書「逆さに吊るされた男」は2017年の11月に出版しているが、この時、私になかにはすでに「死刑執行が近い」という予感があった。来年の執行のことはマスコミ内でも囁かれていた。執行へのムードが高まっていたというべきか……。それはじわっと無言に不気味なプレッシャーとなって死刑囚と関係者を締めつけていた。そんな中、林さんの納得なしに本は出版できない。だから林さんが生きているうちに出版したいと思った。なんとしても林さんが生きているうちに。もし出版が翌年にズレていたら……出版どころではなくなっていたかもしれない。
私はこの本「逆さに吊るされた男」が出版できたことは奇跡だと思っている。

林さんが処刑され遺書が届き、また死後にさまざまな方々と林さんについて語り合ううちに、新たな違う現実が見えてきた。実際の処刑を関係者の一人として体験し、その時代錯誤な理不尽さも体験できた。マスコミの言説にどれくらいの信憑性があるのか、検察や司法の矛盾点も多々見てきた。だが、それらの体験を「書く」とか「伝える」という気持ちにすらなっていなかったのは、たぶん「自分の言うことは不確かで未熟だから」という私の甘えたメンタリティのせいだと思う。
伝える年寄りになったのだ、という自覚が決定的に不足していた。

「逆さに吊るされた男」は、私が2017年、死刑囚林泰男さんが生きている時に彼の納得を得て書くことができたすべてだ。ここにはオウム真理教という教団の組織の問題と、歪んだ教団組織で生きた林氏の苦渋と決断と葛藤を描いた。事件の解説ではない。事件の背後を描いたつもりだ。ドキュメンタリーではない。だが、林氏が所属した組織のムードを描いた。それはどこか、私が生きている場所と似ているなと思いながら描いた。
もし未読の方はぜひ読んでください。若い人の力が私をやっと年寄りにしてくれた。私はこの場所でやれることをやる。続編も書く。
新しい人たちの目覚めによって、私も人生の後半にやるべきことが見えた。
若い人たちと出会いたい。対話をしたい。伝えたい。
記者の方と話していて、奇妙な興奮を覚えた「私の知っていることをすべて手渡したい」と。
それは新しい質の表現衝動だった。40歳の頃とは違うモチベーション。

次世代に伝えたい……、初めて感じた強い思いだった。

ああ、そうか……私はいままで上の世代から「伝えるべきことを預かってきたのだ」預かる側にしか立ったことがなかったのだ。たくさん託された。もう手いっぱいだ。それをどうしていいのかわからなかった。

モチベーションも質的変容をするのだなあ……と思った。
新しい人、若い人たちの力で、私が変容したのだ。

だから若いみなさん、もっと老人を変容させてください、君たちの初々しさほんとうに新鮮ではすばらしい。
預かったものを手渡しますから、どんどん吸収し、世界を広め、たくさんの集合知で、21世紀をつくってください。

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