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2児の母だけどバイセクシャルです。LGBTの教育はぜったいに必要だと思う。

世間がLGBTに優しくなりつつありますね。いきなりですが、実はわたしも、その中の「B」、つまりバイセクシャルなのです。

でも、バイセクシャルを肯定するまでに、というか、”ありのままの”自分を肯定するまでに、えらく時間がかかりました。

背が高くてカッコいい人になりたい!

わたしの初恋は、高校時代の同級生の女の子。当時はLGBTの知識なんてゼロだったので、女の子を好きな自分に気づいて「女同士なのに気持ち悪がられる」「LOVEとLIKEがごっちゃになっている」と悩み、必死に否定しようとしました。

でも、やっぱり好きなもんは好きなので、それを否定しようとしても無理なんですよね。葛藤の末、自分は女だけど女の子が好きなんだと認めました。ただし、当時は自分がバイセクシャルだなんて思ってもみませんでしたが。

そして次第に、女性となんの違和感なく恋愛ができる男性が羨ましく思うようになりました。

しかし、性別を変えることはできません。そのため、わたしはカッコいい外観をめざしました。ときどきいるじゃないですか、宝塚に出てくるようなカッコいい女性が。彼女たちが女性にモテたくてそういうファッションをしているわけではないと理解していますが、当時は「ああいうヅカ系の女性って、女の子からモテるんだろうなあ」と非常にうらやましかったわけです。

しかし悲しいかな。あいにくわたしは小柄で150cmほどしかありません。どうしても“カッコいい系”になれないんです。そのあたりからどんどん自己肯定感が低くなっていきました。

カッコよくも、かわいくもなれなくて、自己肯定感が下がりまくる

次の段階では、カッコいい系になれないなら、逆にかわいい女の子になろう!と思いました。そこで、あの年代の女の子らしく、過激なダイエットに走ってしまいました。もうひたすら食事を減らしまくる!それだけ。

悪いことに、そのタイミングで例の初恋の女の子(ずーっと好きだったんですよ!)に間接的に失恋。「わたしが男だったら付き合えたかもしれないのに」「もっとカッコよかったら、もしくはもっとかわいかったら、女同士でも付き合えたかもしれないのに」とこじらせるようになり、大学生のとき、そのストレスから過食症になってしまいました。限界まで食べて、無理やり吐く、という病気です。体重が30kg近くになって、もちろん、生理もとまってしまいました。

過食症で生理がとまってホッとする

生理がとまってホッとしたのを覚えています。当時はわかっていなかったのですが、「これで女性という性から解放される」という感覚だったと思います。

しかし、矛盾するようですが、男性になりたいと思ったり、女性という性から解放されたいと思っていても、後から考えると、当時から女性であることが嫌なわけではなかったんです。実際に女性として男性とも付き合いましたし。当時は「男性=女性と付き合える」という図式が頭に染みついていたから、本来の性を放棄して、男性に近づきたかったんだと思います。

その後、大学を中退して就職したのですが、仕事中も「食べて吐きたい!」という衝動に駆られて、すごくしんどかったです。自分で食欲をコントロールできず、外回りと称して過食をしに行ったこともあります。からだが食欲に支配されてしまうんですよね……。

過食症になっていた時期は、実はDVに合った時期でもあります。男性がうらやましいと思っていたので、無意識にわかりやすく男らしい?男性(つまり、暴力的な男性!)に惹かれたんだろうと思っています。その期間のことは、しんどすぎてあまり記憶がないんですが……。

当時の彼氏(今の夫)に、なかば強制的に病院に連れていってもらって寛解(薬がいらなくなる状態)したのですが、もうほんとうに死にたいと毎日思ってました。精神的にも肉体的にもしんどすぎて。

多様性バリバリの会社に救われる

そんなわたしに光が差したのは、当時、転職した会社で働き始めた頃でした。

その会社はとても自由な風土で、いろんなバックグラウンドを持つ人や、いろんな国籍の人がいて、誰もそれを気にしなかったんです。もちろん同性愛者の人も何人もいて、いわゆるオネエの人もいました。そんな多種多様な人に囲まれていると、自分の悩みが少しずつやわらいでいくのを感じました。

年齢にもしばられずに楽しく仕事をしていくうちに、気がついたら「自分は自分なんだから、このままでよくない?」と思うようになって、もう無理に男性になりたいとは思わなくなりました。それに「わたし、バイセクシャルなんだ」と、すんなりカミングアウトもできるようになりました。

LGBTの教育、多様性の教育は、ぜっったいに、いる!

この経験を通して思ったのは、「LGBTの教育、多様性の教育は、ぜっったいに、いる!」ということ。LGBTについての教育なんていらないという意見もありますが、絶対にLGBT、多様性の教育はやめるべきではないです。

わたしも子どもの頃からLGBTに関する知識があって、世の中にはいろんな人がいるんだと知っていれば、過食症になるまで悩まずに済んだんじゃないかなと、今になって感じています。

自分がLGBTでなくても、子どもや孫がLGBTの可能性だってあります。そうでなくても、何かしらでマイノリティの立場になることはあります。そういうときに「自分はまわりと違う」と悩まず、すんなり自分自身を肯定できるような社会になるよう、自分自身も当事者としてがんばらないといけないと、改めて思いました。