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【ネタバレアリ】エヴァンゲリオンからの卒業~シン・エヴァンゲリオン新劇場版初日鑑賞を終えて~※随時追記

遂にあのエヴァンゲリオンが完結した。思えば26年前、「時に、西暦2015年」というアイキャッチとともに開幕した本作は、とうにその年号が過ぎ去った2021/3/8に完結編の劇場版公開初日を迎えた。初日の鑑賞を終え、行き場のない感情がこみ上げ、今は虚無感や喪失感を抱えながら抑えきれない衝動とともにキーボードに向かってこの文章を打っている。

さらば、”全ての”エヴァンゲリオン。

全てはこのフレーズに込められていた。全てのエヴァの機体、全ての登場人物、そんなレベルではなく、”エヴァンゲリオンという作品に関わる全てのもの”に別れを告げる完結編になったと思う。

公開初日を終えて、鑑賞直後の高ぶる気持ちを記録しておきたいと思いこの記事を書き始めている。まだ一度の鑑賞なので記憶が曖昧な部分もあるが、自分なりの考察も含めて感想を記していきたいので生暖かい目で見て頂けると幸いです。(多分あと2・3回は観ると思います。それぐらい深い!)

1.感想

一言で言うと

「最高のエンターテイメントをありがとう」

映像だけでなくエヴァンゲリオンという世界すべてが最高のエンターテイメントだった。26年間の時を経てここまで興奮し、公開の度にワクワクした作品はこれまでも、これからもないだろう。

さて、作品全体を通して、庵野監督が伝えたかったことは何だったのだろう?
根底にあるのは、この新劇場版のプロジェクトを始動するにあたって記された所信表明に全てがあると思う。

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閉塞するアニメ業界を復興したい。

表現・手法などの技術的な意味での復興はもちろんのこと、エンターテイメントとしてのアニメに対する「志」を示すという意思のもと、エヴァンゲリオンの再構築は始まった。

今回のシン・エヴァンゲリオン(以下「シン・」)は、上記のアニメ自体に対するメッセージだけでなく、観客たちに「現実を生きろ」というメッセージを突き付けてきたように思う。作品の終盤、エヴァおなじみの各キャラクターの語りシーンがあるのだが、そのメッセージは表現や言葉は違えど、個人的には旧劇場版で観客に突き付けてきたメッセージと全く同じだなと感じた。旧劇場版と違う点があるとしたら、おそらくエヴァファンが長年求めてきた伏線の回収や登場人物の心情が、旧劇場版よりもより具体的に示された点だろう。それくらいテレビ版・旧劇場版・新劇場版のすべての伏線を回収してきれいに完結したといってもいいと思う。そういう意味では、「エヴァファンに寄せてきた」完結だったと思う。その違いはきっと、この25年間の間の制作陣・エヴァファン、そして登場人物たちの時の経過によるものだと思う。庵野監督の「これだけ出してやれば、もうわかっただろう?」という声が聞こえてきそうだ。シン・のパンフレットの冒頭に庵野監督のメッセージがあるのだが、アニメ・エンターテイメントとして新劇場版の見どころについてのメッセージはあるのだが、肝心のこの作品で伝えたかったメッセージについては一言も言及されていない。(そんな種明かしはもちろんするわけないのだけれど)敢えてそこに触れないのは、多くを語らずに作品を観てくれ、という庵野監督らしさの表れと庵野監督の作品への大きな自信が故なのだろう。

一緒に鑑賞した友人が「庵野監督も旧劇場版の時に比べてだいぶ丸くなったけど、言ってることはあの時と変わってないよね」と鑑賞後にコメントしていたけれど、まさにそうだと思う。表現や言い回しは違えど、旧劇場版から一貫してエヴァファン、ひいてはアニメファンに対して(それは庵野監督自身に対しても含まれているんだろうけど)「現実を見ろ」というメッセージを込めていたに違いない。

旧劇場版前後は、庵野監督自身様々なバッシングを受けていたように思う。その中で、実写でエヴァファンを揶揄するような表現・手法を用いて旧劇場版では「現実を見ろ」というメッセージを突き付けてきた。アニメという世界に依存し、難解な用語や伏線に対して答えを探し求めるような考察を巡らせていくエヴァファンに対して。それが時を経て、より洗練された映像・表現で「もう現実に生きよう。アニメはあくまでエンターテイメントなんだ」と。

衝撃を受けたラストシーン。成長したシンジとマリが手をつないで走り出すシーンは、宇部新川駅がモデルになっているとのこと。一体なんでこの駅なんだろうと調べてみたら、庵野監督の故郷とのこと。現実を生きろ、という一貫したメッセージのひとつとして、庵野監督の現実の故郷でエヴァの無い世界に走り出したのは、シンジではなくエヴァを卒業した観客自身(もしくは庵野監督自身)だったのかもしれない。(実際声優も緒方恵美さんではなく神木隆之介さんだった)

エヴァをめぐるシンジの物語が本当に終わりを迎えたんだなぁという、ある種卒業式に近い感覚を覚えるほど、綺麗に完結したなぁというのが実感だが、今回の作品で破~Qの語られなかった期間での加持さんの動きにも少し触れられていて、あの空白の期間を描いた作品は今後スピンオフ的な作品として描かれる可能性はあるのかなぁと思っている。(破の次回予告で少しだけ描かれてQでは描かれなかった14年間ですね)


感想を書くだけで、指が止まらない事態になっているが、この後は記憶を可能な限りたどって、シーンごとに考察・感想を記していきたいと思います。その前に、全編を通じて一番心に残っているセリフについて触れておきます。

アスカ「最後だから言っておく。あの頃はシンジのこと好きだったんだと思う。でも私が先に大人になっちゃった」

このセリフ、めっちゃ刺さりませんか??「でも私が先に大人になっちゃった」。破で初号機の中で閉じ込められていた空白の14年間の間に、エヴァの呪縛で年齢は14歳のままにせよ、アスカはシンジよりも先に大人になって、ケンスケとデキてたんです!!!なんだか小学校の初恋の女の子と実は両思いだったのに、同窓会で会ったら別の男性と結婚してた、みたいなありがちだけどぶっ刺さる哀愁を感じさせるセリフなんですよね...

とまぁそれはさておき、シーンごとの考察に入りたいと思います。

(一生かかりそうなので続きはまた後日・・・)

2.1.劇場版ポスターに込められた意味

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まずはこれに触れておきたい。シン・の宣伝用ポスター。

作品を最後まで観た方なら、このポスターの人物の立ち位置には意味があったんだなぁと思うに違いない。

・海が白い(青→セカンドインパクトで海が浄化され赤→アナザーインパクトで白になった?)
これから何色にでも染められる色を暗示しているのかもしれない

・最後に結ばれるシンジ・マリが隣同士

・ケンスケと結ばれたアスカは少し距離を置いて恥ずかしそうに映っている

・レイ・カヲルも結ばれた?(最後のシーンで駅のホームで二人で話しているように見える。アスカは確認できなかったけどいたのだろうか?※情報求ム)

そして「さらば、全てのエヴァンゲリオン。

この作品のすべてが集約されたフレーズといっても過言ではない。でも、なぜ「さよなら、全てのエヴァンゲリオン。」ではないのだろうか。本編を見て頂いた方ならわかると思うが、ヒカリの台詞に「さよならは、また会うためのおまじない」というフレーズがある。個人的には「さよなら、全てのエヴァンゲリオン。」でも良かったと思うのだが、あえてそうしなかった制作陣の想いがあるのではないかと思う。「また会うことはなくて、もうこれで本当に最後なんだよ。」と。単純にヒーローであれば「さらば!!」というのがしっくりくるし、そういったニュアンスを込めるためかもしれないし、ただの深読みかもしれない。しかし、「さよなら」ではなく「さらば」というところに、さようならよりも強い”決別の意思”が込められているような気がしてならない。


以下続く

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