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コロナと娯楽とエンターテイメント

近未来を想定した映画はいつの時代も作られている。しかし2000年以降は何となくこんなパニック映画が多く、しかも色んな国で作られている。日本でも『感染列島』はまだ記憶に新しいはずだ。この映画が公開された頃、正にリアルタイムでパンデミックが起きていた。

まだ記憶に新しい所謂『豚インフルエンザ』だ。猿由来のエボラ出血熱や鶏インフルエンザ等…近年動物由来の新型ウィルスの発生が後をたたない。その度に立ち向かい…真摯に向き合い問題に対峙してきた。幸運な事に、今までは水際作戦が成功していたのか?直接的な甚大な被害は日本で拡がりを見せなかった。しかし一昨年より世界規模で拡がりまるで映画さながらの様相を呈しているのが今回の新型ウィルスだ。とどまる様子も見せずに変異株として更なる拡がりをみせているのだ。

映画では極端な演出が為されているが…そのうちこうなって終うのでは?と思わせるリアルさに恐怖さえ覚えながらDVDを鑑賞した記憶がある。こういう映画を観る時に必要なのは想像力だ。イタズラに恐怖心を煽ると云う意味では無く自分がどうすべきかを考えなければならない。最前線で対応する医療従事者は数限りなく存在する訳ではない。それに付随する検査や対応をする保健所の職員ですら限りがある。それらに従事する関係者に対する敬慕を忘れること無く自覚ある行動が必要だ。実際に感染された方にも然りだ。言われ無き差別は感染者やその家族を疲弊させる。もしも自分だったら?を想像するべきだ。このような映画の存在意義は注意喚起だと思う。恐怖心は感染を拡大させない為の用心の為にこそ必要なのだ。今、私たちは本当にパンデミックに成らない為の対策を心得て生活出来ているだろうか?あらゆる産業で対策が行われているにもかかわらず拡大を食い止められていないのはもはや「人災」になりつつあるからではないのか?
目に見えないウィルスと云う敵に立ち向かう為には冷静に迅速に対処しなければならない。それぞれの場所で善処されているのに利用する立場がそれに適応出来ていないからに他ならない。我慢、ガマンと言われても限界がある。しかし的確なガマンで無ければ効果は現れない。徹底し過ぎると云う事は無いけれど…神経質になり過ぎずに基本を押さえていくしか手段はないのかな?と云う気にもなる。
これだけ頑張ってみんなでここまで来たのに、成果が現れていないと云うことは…環境に順応して変異しているウィルスに対して人間は順応していっていない?と云うことだろうか?基本的な事とは別に頑張る観点…気を付けねばならない事のポイントが変わって来ているの

では無いだろうか?それぞれの業界や立場で今一度考え直してみなければイケナイ時期なのかも知れない。この心地よき世界を保つ為に。方法は1つとは限らないのだから…


ただガムシャラに我慢をするだけでは無く、適度な力を抜くポイントを作らなければ長期戦の闘いには勝てない。娯楽も必要だと云うことだと思う。明日頑張る活力、それがエンターテイメント業界が出来る事。輝く未来を夢見させること。それは数多ある娯楽施設も然り。それらが消えて終わないように私たちは頑張らなければならないのだと思う。

非常事態のこんな時だからこそ、エンターテイメントの底力が試されるのではないのだろうか?
平安な時には緊急事態が起きたらどうなる?と云うような問題提議な作品が多く作られる。このような緊迫した状況下ではこの先の未来への希望を込めた明るい作品を作る。時に水を差し、時に明るく照らすのが娯楽としてのエンターテイメントだと思うから…警鐘は鳴らされた、次は希望の光を導かなければならない。その為には生活に根差したエンターテイメントが消えて終わないように護らなければいけないと思う。幾ばくかの変化は求められても遺して行かなければ!

拙い文章への共感やサポートありがとうございますm(_ _)m