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ラーメンで子供たちに何を伝えようか。

今を生きるこどもたちに何を伝えるか。
ここしばらくはそんな事ばかり考えている。
地域の小学校の子たちが、町探検という授業の一環で
ダルマヤに来てくれた。というより、毎年来てくれている。
ありがとう。

恒例の質問タイムから始まり、
小学生からの質問攻めにあう。

例年は2、3人程の質問で終わるのだが、
今年は学級の雰囲気が良いせいかほぼ全員から質問があった。

何やら、前半の子たちは予め質問を用意してきていたみたいだが、
後半は思いついた質問をバンバン受けた。
なんだかこういうのは歳のせいか、嬉しくなる。

今の時代は聞く前になんでもgoogleに聞けばそれなりの答えもあって、
何かを知るのに特別コミニュケーションは必要ない時代だが、
どんな小さな質問でも当人に聞くという素直さを少し忘れかけていたように感じる。(あまりに丁稚な質問は大人になると失礼で聞けなくなるが、知らないことを知らないと言える勇気は大人になっても必要。)

その後は店内を見て回ったり、機器の説明をしたりですぐに時間はすぎてしまった。
協力してくださった一般のお客さんには感謝している。

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たくさん話をした中でもやっぱり面白がってもらえるのは
高岡銅器の茹釜や、三代受け継いでいる麺の話だろうか。
伝統産業の何百年にわたる歴史の話や、秘伝の製麺技術なんて
小学生には重すぎると感じていたのだが、ものは伝えようとはよく言ったものだ。

大人になって気づくのは今の時代個性と呼べるアイデンティティは出身地くらいしかない。

自分の場合はまだ成人前にカナダへ単身留学したときにこの残酷とも言える真理を
叩きつけられた。どんなに英語を練習してもカタカナ英語で日本人訛り。
向こうにはジャパニーズという単語がある。恥ずかしがり屋で内気という意味だ。
メイビーの便利さを知った責任感の強い日本人は、相手に不確かな情報を断定の形で伝えたくないという不思議な使命感から”多分”を乱用し信用を失っていくという矛盾にハマり込んでいく。(無論そんな日本人という大きなカテゴリーで見たときに総じて社会からそういう目があるというだけで、地域性、家族構成、生活環境で例外も多数あるのは僕も日本人の内側の存在であるため分かり切っているが。)
心あたりがある人も多いだろう。

しかし、反面で見れば、米と茶を飲む東洋人の僕らの長所もたくさんあるはずだ。

ある人は牛乳とパン食を進めたのは欧米諸外国に憧れた日本の典型例という。
コメは水で炊けばそのまま食べられ、茶も水に出せばそのまま飲めてしまう。
対して牛乳は殺菌などの熱処理、小麦を酵母で発酵させ、練って形にして焼く必要があるという。どうにかして食べられないか、考えて行動する。これが性格と栄養面からの体格の差なのだという。(極めてオールドファッションな考えです。根拠は無いような気もするが合点するところもある。)

では米を食べ、茶を飲む私たちは内気で貧弱なだけなのか。
よく面接練習であるが、これを長所と捉えることもできるというのを
社会人数年目となるとあっさり理解できるだろう。

そうこう話しているうちに長くなってきて本でも書けそうなくらいのボリュームになるので別の媒体で形にしようと思うが、極めて壮大なスケールからこの話をニッチでローカルな所に落とし込んでいるのが普段やってる体験教室で、こう言った町探検での話になってくる。

毎日通っていた通学路に見上げる大きな達磨が、
普段何気なく食べに行ってた近所のラーメン屋が、
身近にあった伝統産業が、
彼らのアイデンティティの一部を形成するモノになるかもしれない。

そんなときに、古い、田舎、何にも無い、内気、恥ずかしいとならないように
自信を持って育った場所、環境、富山を長所と思えるように。
田舎の小さいラーメン屋の若者は考えている。

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