080810 扇動

考えながらタイピングするという器用なことはできない。
私はタイピングし続けるしかない。
ちょっとずつ考えながら前に進みたいのに。
お願いだからいきなり話しかけないで。
今日は朝から楽しい出来事があった。それは昨日から定まっていた出来事だ。私は予定にしたがってその場所へ行き、指定された行為をしただけだ。現実に起こったことはそれだけだが、私の心理には実際以上によい影響があった。私には実際以上によい思い出として記憶されている。
基礎が固まっていないのにコツばかり教えるな。泥臭い反復練習によって基礎を身につけるのが先だと思う。私は音楽に関しては基礎が固まっておらず、コツと雰囲気で乗り切ってきたタイプである。指定された行為をしただけだ。書くことで自家中毒を起こしている気がする。本当に大丈夫なのだろうか。今の私がすべきことは書くことなのだろうか。書くことが更なる逆境を生み出しているのではないか。不利な状況を生み出しているのではないか。人々がそれを引用して気持ちよくなるためにのみ、私の仕事はあるのではないか。別に私がすべてを出来るようになる必要はまったくないのだ。どうして私がすべてを抱え込まなければいけないのか。私が全部を抱え込む必要はないのだ。私がすべてを出来るようになる必要はまったくないのだ。
……
距離が近すぎるのかもしれない。いつまでも元気なのだよな。何かも距離が近いことによるトラブルなのだった。どうして空気が読めないのだろう。どうして距離を測り間違うのだろう。どうしてわからないのだろう。頭がおかしいのかもしれない。どうしたらいいのだろう。期待しない。期待しない。本当に期待しないことが大切なのだった。どうやったら期待しないで済むのだろう。どうやったら期待しないで済むのだろう。期待しない。期待しない。期待しない。誘いたい人がいたら自分から誘えばいいのだ。期待しない。私は東京で暮らしたい。私は東京で暮らしたい。こんな土地を捨てて、今すぐ東京でひとりでしたたかに暮らしたいのだった。人生は険しいものだ。人生はつらく険しいものだ。人生は何もかも険しいものだ。人生は期待通りには進まないものだ。私は小説家になりたい。私は自然体で文章が書けるようになりたい。私は自然な文章が書けるようになりたい。私はそうした文章を繋いで一連の物語を完成させたい。私は何をしたらいいのだろう。自主性というものを考えたときに、私にはそんなものは一ミリもないということに思い当たるのだった。現実に煽られる。現実はつねに私を苦しめる。現実は常に私を苦しめるのだ。私は何をしたのかしれない。会話したくない。質問を受け付けたくない。何もしたくない。質問に答えたくない。自暴自棄なのだ、結局彼らは。文章が上手であるとは一体どういうことなのだろう。「小説の文章」とは一体どういうものなのだろう。それは一般社会で言われるような分かりやすい、要領を得た文章とは必ずしも一致しない。一致しないのではないか。私は私の幸運を最大化したいし、私の不運を最小化したい。何かが起こってからでは遅いのではないか。私は私の幸運を最大化したいし、私の不運を最小化したい。最大限にして、最小限にしたい。はやく家を出たい。家を出て、ひとりで東京に向かう。朝の池袋。そう、夜行バスは早朝に池袋西口に到着する。私は早朝に雑踏の中におろされる。そこからは私は私の下半身に生えている二本の脚を使って生きていかなければいけない。二本の脚で歩いて生きていかなければいけない。それでたくさんの人に会い、たくさんの運気を吸収して、澄んだ状態で生きていくのだ。一日でも早く届けなければいけないものかもしれない。どうしたらいいのだろうか。勝手にひとりでイライラして、勝手にひとりで悩んでいるのだ。バカらしい。ちょっとずつ生きる。それが何かに繋がればいいのだけれども。何を見ているのだろう。何をしたいのだろう。何をするべきなのだろう。現実は私を煽っている。扇動にのってしまってはいけない。

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