1980年月刊『宝島』編集者 13/  『今どんなパンツ穿いているの?』 で始まる打ち合わせと、編集の秘伝 / 『ANO・ANO』 6

石井慎二編集長は、編集者として大ヒットメーカーだが、本質的にはジャーナリストだったと思う。
ジャーナリスト的な編集者であった。

私がもやもやと話していたことを後に、「村松はこう言っている」といってまとめたことがあった。「あ、私はそんなことを言っていたんだ?!」と見事なまとめに感心したことがある。
言った本人よりもシャープな切り口でまとめてしまう。

『ANO・ANO』がベストセラーになって、雑誌月刊の『現代』が取材に来たことがある。
そのときのコメント。
「『ANO・ANO』を担当している村松という編集者は、下着の特集だと、打ち合わせの最初に『今どんなパンツ穿いているの?』ということから2人に聞き始める」

編集の無数の場面から、そこを切り取るか、という……。
じつにうまい。

この質問は本当にした。
今だったら、セクハラとかモラハラとか言われそうだ。
しかし、どうしても必要な質問であった。
誓って私はこの2人にはセクシャルな興味はまるでなかった。
2人もそうだったと思う。
どちらかと言われたら、絶対にもう1人の編集者関川さんのほうを選ぶはずである。関川さんのほうが賢いし、社会人としてかっこいい。

私がこの質問をしたのは、本当に女性の下着について皆目見当がつかなかったのである。

男性のだったら、ブリーフ型とか、トランクスとかの分類がある。
女性のパンツはどうなのか。パンティと呼ぶべきか……?
???
まったく朦朧としているのである。

この質問に対するやや口を尖らせたユーコの答は覚えている。
「どうって? 普通のだよ。(マスミに)ねえ?」
「普通ってどういうの? 何が普通?」
2人は普通がわからないで、顔を見合わせる。
「どこで売っていていくらくらい?」
「よくお店の前のワゴンにいっぱい乗っていて1枚300円くらいのだよ!」

この話はこれで行き止まりになった。
価格帯のことなどは聞いただろうか。
まあ、昨日書いたヒアリングとはこういうことだ。打ち合わせの中でこういう話を2時間くらい。
何かネタはないかと手探りしないといけない。

そして、章ごとに内容を振り分けるとき、私はもう一つの操作をした。
これは秘伝であり、自分ながら気に入っているけれども、たぶん普通の人にはあまり役に立たない。

それは小さな章立てごとに文章のスタイルを変えることだ。
文章のスタイル、じつはたくさんある。

1人称、2人称、3人称。
モノローグ、会話体、対談、座談会。
箇条書き、口語体、文語体。
書簡体、日記体。
語りかける文、ハードボイルドな文。
クイズ。
他にもあるだろう。
今だったらラインのやりとり、とか。

小説、エッセイは私としてはなるべく避けた。
彼女たちの「思ったこと」を書かせるとシャバシャバのカレーになりやすい。
それよりはネタを拾ってきてほしい。

たとえば(今思いつきで書くのだが)、ある男に幻滅した話があるとすると、「いい男だと思ってたのに、じつはダメだった」という話になる。エッセイにすると、それを面白く読ませるにはかなり文章力がいる。

そういうときに、「『✖️月✖️日』で始まる日記体で書いて」と具体的に依頼する。
そうすると、月日の経過とともに幻滅していく過程のできごとを具体的に簡潔に書かなければいけない。取材して拾ってきたり、考えたりせざるを得ない。

そのように形式まで指定した依頼を一つずつしていって、一回の連載になるべく同じスタイルが重ならないようにした。

そうすることで、文章の歯ごたえ、刺激、凝縮度を作り出した。
ただのエッセイ集ではないというのはそういうことだ。

かなり極端な手法だが、たぶん、読者は気づいていない。
一度もそのことについて人から言及されたことがない。

私も映画を観るときには筋に夢中になる。
あー、面白かった。
あとで、撮影、編集、演出などの手法を記事で読むことがある。
「あの迫力のある場面はこういうことか」とわかることがある。
しかし、観ているときは、全く分析的ではない。
お話に夢中になりたいのだ。

そういう裏話の一つに過ぎない。
無意識下で働けばいいのである。

章見出しのつけ方も、なるべく粒を揃えないように工夫した。
「軽蔑。」とか、2.3文字でがっつりいくときもある。
「。」をつけるのは、当時の広告コピーの流行り。
見出しスペースは決まっているので、2.3文字だと文字が大きくなる。
「彼女について私の知っている2.3の事柄」のように長いのと対比することもできる。
そういう遊びにデザイナーの大類信さんは応えてくれた。

本文には、加藤裕将さんがユーモア溢れるイラストを描いてくれた。
総タイトルページの全凸(1ページのことを当時そう言った)イラストは当初いろいろな人に描いてもらっていたが、最終的に本くに子さんの女性らしい柔らかなイラストに統一した。

『ANO・ANO』は、後に文庫本になるが、ここに書いたような面白さは文庫本では味わえない。もし、興味を持たれた方がいたら、ぜひ古本で原本を探してほしい。

下着の特集には、もう一つ書いておきたいことがある。
特集タイトルのことだ。

柄谷行人というインテリ層からたいへん尊敬されている人がいる(私は読んだことがない)。
この人が当時『マルクス その可能性の中心』という本を出したばかりだった。
真面目くさりながら、ずいぶんと洒落た言い回しをするんだな、と感心した。
それで、下着特集のタイトルを『下着 その可能性の中心』にした。
嫌がらせみたいものかもしれない。

マルクスに「可能性の中心」があるなら下着にだってあるだろう。
柄谷行人なんて、インテリ層を除けば100人に3人も知らない。
だから、何のパロディかたいていの人にはわからない。

雑誌の中にそういう遊びを入れるのが好きだった。

私にとって、月刊『宝島』は、誰にも気づかれないような言葉の実験場であった。


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