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10年後に沢山読まれる話

"なにか創作をしてみたい"

前から思っていた。いや、中学生の時はスマホゲームにハマっていて、あまりそうは思ってなかったかもしれない。片目キャラを好きになったり、アイドルや魔法士、人外など様々なものに手を出していた。

そのほかは、友達と創作キャラを考えて絵の中で交流させたり、獣キャラを作って人間と一緒に冒険をさせてみたり、と誰もが通る道を通ってきた。

高校生になってからスマホゲームではなくUTAUというツールのキャラクタを好きになった。その辺りから創作というものが自分の目の前にちらつくようになった。好きになったから、と言ってそのキャラクタを歌わせたり、MMDを作ろうだなんて微塵も思っていなかった。ましてや自分でUTAUを作ろう!とも思わなかった。ひたすら絵を描き続けてそのキャラクタを作ってくれた方に心から感謝していた。高三になってからMMDや歌わせ方を調べ始めて後悔した。気づいたのが遅すぎた。

高校二年生の時にはAPHにハマり、軍隊のキャラを8人ほど作り出し、漫画を描こうとした。

結論から言うと無理だった。

自分は漫画を描いたこともなければ、等身絵をまともに描いたことすらなかった。結局キャラデザやストーリを構成してからすぐにそれを創作することを辞めてしまった。キャラデザは確かに好きだった。ストーリも好きだった。なぜ描かないの?と思った時には、答えが自分のなかに存在していた。

"自分が創作を描いた所で、誰も自分の創作を好きになってくれる人はいない"

"版権の方が伸びる"

創作する人の全てが自分のような思考ではないことは分かっている。もし仮に、自分の絵やストーリを好きになってくれる人が1人でもいればその創作は続いていたのだろうか?否、自分が飽きたから辞めるのだ。そういうことにしておこう。

高校三年生の時期にUTにハマる。

前々から知っていたのになぜやらなかったのか、と後悔する程に自分はそのゲームを好きになった。

その世界中で遊ばれているゲームには個性的なキャラクタ、多様なED、ひとつの行動で変わる未来、隠し要素など沢山のものが詰め込まれていた。

作られた過程を覗いてみると、どうやらほとんど一人で制作したらしい。…凄すぎないか?一種の尊敬の念を感じた。


途中で挫けそうにならなかったのか、一人は心細いのではないか。様々なことを考えた。彼は沢山の資金を貰っていた。元々有名な方だった。世界中から人気が集まっていた。自分もその中の一人になれていれば幸せだっただろうに。

ゲーム作りって自分にも出来るかな?そう考えたのがつい最近だった。もちろんその時は資金を貰っている話など何も知らなかった。自分も世界中の人から愛されるようなゲームを作りたい!自分の世界を沢山の人に知って欲しい、と。自分には分かっていた。今まで呑気に生きてきて何も努力をしてこなかった人間がゲームを作ったり、世界中の人に愛される事がないということを。しかし、少しでも挑戦したいと思い、またキャラクタのデザインを考え始めた。

実際、どうなのだろう?

品種改良に10年をかける人がいる。10年という時間はとても長い。相当の時間を費やすことになる。


仮に10年という時間が私に与えられて、その作りたいゲームとやらを作ることは本当に可能なのか?

………答えは" ????"だ。

私は。この世界の誰か、限定するならば私という人間を一切知らない人にこのゲームをプレイしてもらいたい。そして、そのゲームに登場するキャラクタを愛して欲しい。

今のまま生活を続けていたら、自分という人間はもうダメかもしれない。誰かをずっと推し続けて終わりたくない。自分と、自分が創り出したキャラクタを誰かに愛して欲しいのだ。まだ、自分の予定では死ぬまで60年程ある。その60年のうちの10年で完成させるのだ。

ゲームの作り方も知らない、音符の読み方も知らない、PCの使い方も分からない。

そんな自分が一生をかけて完成させるゲーム。

それが"FRI"

それは素敵な物語、または裏切りの物語。

一人の人間が人生をかけて作り出すストーリ。

誰かに愛し、愛されるために。

そんなことを書いて終わろうと思う。

キャラデザは終わった。あとはストーリを練り、地図を描き、PCで頑張ろう。とりあえず今は勉強しよう。頑張ろう。

PCすら持っていなかった。

2020/9/27

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