動物愛護思想への違和感

ヴィーガンへ興味を持つ切っ掛けには
①健康問題
②地球環境問題
③動物愛護問題
この③つが大きな要因だと思ってます。
その中の一つの「動物愛護問題」ですが、私はこの思想の中に違和感を覚えることがありますので、それについて書きます。

前置き

私がヴィーガンに興味を持ち実践し始めたきっかけは
1.ネットフリックスで配信されている「What the Health」というドキュメンタリー映画と
2.「完全菜食があなたと地球を救うヴィーガン」垣本 充 大谷 ゆみこ(KKロングセラーズ)この本を紹介している中田敦彦さんのyoutube動画
この2つです。
他にもいくつか動画を見ましたが、この2つが最も影響を受けたものです。

私はこの2つの動画から、ヴィーガンに興味をもつ③つの大きな要因があると思いました。それは
①健康問題
②地球環境問題
③動物愛護問題
この③つです。
そしてこれには自分の中で優先順位がついています。

まず私にとって①番重要だと考えている要素は「健康問題」です。
地球や動物の環境を良くするためとはいえ、自身の健康を害してはいけません。
採食をすることは環境にも良くて、人間の健康にも良いと、一石二鳥になるわけですが
知識なしに適当にやってると健康を害することになります。
私は実際に2回も健康を損ないました。
なので健康に関する知識をいつも欲しています。

そして②番目に重要だと考えている要素は「地球環境問題」です。
東日本大震災によって節電思考などから環境問題に関心がありました。
環境改善にはヴィーガン食の実践が、より良いと考えたわけです。

そして③番目に重要だと考えている要素が「動物愛護問題」です。
工業的畜産業の悲惨な状況は見るに堪えません。
肉や卵などの畜産物は栄養素の数字だけ見れば優れた食材だとされていますが、劣悪な環境から生産されている畜産物が健康に良い食材だとは思えなくなりました。
また、お店で商品として売られている愛玩動物の知識なども知れば知るほど人間の残酷な思考が見えてきます。

以上のような経緯を経まして私は2020年の3月から肉、魚、乳製品、卵を一切食べないヴィーガン食を実践しております。(肉は2007年ごろからやめていました)
肉食をしていた時期より環境負荷が数分の1になったと自負しています。
健康に関しては以前の記事に書いたとおり、ビタミンB12とオメガ3脂肪酸の件で二回、健康を損ないました。
動物への接し方や考え方については、以前より優しくなったと思っています。

そして他のヴィーガンの方々の意見を見聞きする機会が増えました。
その意見を見ていると「肉、魚、卵、乳製品」の4つを食事制限をさらに超えて制限をしている人がいると知りました。
それらはすぐには実践出来そうにないので「ゆるヴィーガン」と名乗っております。

これらヴィーガンの方々の意見に、私は少なからず影響を受けました。
しかしその中の「動物愛護」思想の方の意見を見ていて
「えっ?それはおかしくない?」
と違和感を覚えることがいくつかありました。

というわけでここまでが前置きです。これから本題に入りたいと思います。


動物愛護思想への違和感

1つめの違和感 食事制限のこと

私が見たヴィーガン関連の動画では
「肉、魚、卵、乳製品」の4つを制限することのみがヴィーガンの条件だったのですが
ツイッターなどで見られるヴィーガンの意見の中に、
ハチミツ、砂糖、パーム油、農薬不使用、五葷(ネギ、玉ねぎ、らっきょう、ニラ、ニンニク)
等々「さらに拡大した食事制限」を課してる人が見られました。

これは何を基準としているかというと、
「それらの食品の製造過程において動物や虫などの犠牲が多いものを食べないようにしよう」とか
「動物性の食品は何もかも摂取したくない」
というような思想からくる判断基準のようです。

この「さらに拡大した食事制限」は、日本エシカルヴィーガン協会のHPなどに色々書かれてたりしてますけれども、実践している個人がそれを見て判断しているのか、それとも個人が勝手に設けた基準なのかは不明です。

問題はこの「さらに拡大した食事制限」の天井がわからないことです。
これを実践してる方々は「動物のため」と大義名分を掲げられたら何でも制限すべきだと考えていたり、制限を厳しくすればするほど動物にとって良いことであるとか、実践者の格が上がる、などと考えているように見えました。

私は「ヴィーガンを始めてみよう」と思った人に対して
「ヴィーガン 不足しがちな栄養素」
などのキーワードで検索したサイトを見て健康を損なわないように気を付けて、と言うようにしています。
それで出てくるサイトに書かれている情報において、
筆者である栄養管理士の方々が想定しているヴィーガンとは「肉、魚、卵、乳製品」の4つを制限することのみです。
それ以外の「さらに拡大した食事制限」は想定されていません。
天井がわからない条件に対して対処法を書くことなんて誰にもできないでしょう。

私は「肉、魚、卵、乳製品」の4つを制限するだけでも2回、健康を損ないました。
さらなる食事制限が加わると、また健康を損なう可能性が高まります。
それでも時間をかけて自身の体調を見ながら「さらに拡大した食事制限」を試していますが、冷静に考えてみれば、やっていることは危険です。

こういった食事制限をするのならば、まず人間の健康に関する知識の助言が必須です。
しかし私はその「さらに拡大した食事制限」をした場合の健康に関する助言を受けたことがないです。
自分で検索して自分の身体を実験台にして体調不良が起こらないかを試すだけになっています。

この「さらに拡大した食事制限」を実践してる人は、ただ闇雲に食事制限をして、綺麗に盛り付けられた食事の写真をツイッターやインスタグラムなどで報告して喜々としてるように見えます。
健康に関する知識のやり取りがない人の、キラキラした食事写真を見て、それを何も考えずに真似することは、健康を損なう可能性が高くて危ないと思っています。
なぜなら写真を上げている人が、隠れて肉や魚を食べて体調維持をしてる可能性もあるからです。
私から見て「えっ?この食事を続けていて体調は大丈夫なの?」と違和感を覚えるヴィーガンの人がチラホラいます。


というところが、1つ目の食事制限に関する違和感です。


2つ目の違和感 動物愛護思想は地球環境の改善につながっているのか?

動物愛護の思想から禁止すべきとされる食材や資材などは「動物のため、搾取をやめさせるため」という大義名分を掲げたときに、続々と増える要因を備えていてたくさんありますので、3つだけ例を出してこの件について説明したいと思います。

まず最初に1つ目の例として挙げたいのは ハチミツ です。

「ハチミツを食べることは、蜜蜂が一生懸命に集めた蜜を搾取することだからやめよう」
ということになっているのですけれども
私はこれはおかしいと思っています。

アインシュタインが「もし蜜蜂がいなくなったら人類は4年で絶滅する」と予言したという話があります。
これは農作物の受粉が行われなくなってしまうからだそうです。
ゆえに蜜蜂の数を増やすことは養蜂家だけの問題ではなく、人類全体に影響する環境問題でもあると思っています。

蜜蜂は、養蜂家の方々にとって重要な労働者、あるいは資産であり、粗末に蜜蜂を殺してしまうことはないはずです。
家畜の肉と違って蜜蜂を殺しても食品にならないのでメリットがないですから。
養蜂家の方々は、蜜蜂を増やすほど儲かるはずなので、蜜蜂を増やす知識も意欲も、一般人よりはるかに高いはずです。

動物愛護の思想から、全人類がハチミツを食べるのをやめて全ての養蜂家を廃業にすることが目標だとするならば、
それは地球に生息する蜜蜂総数の減少と、ハチミツという食材を無駄にすることになると思います。

以上のことから
「蜜蜂からの搾取をやめるためにハチミツを食べるのをやめる」
という方針よりも
「養蜂家の方々を儲けさせて蜜蜂を増やすためにハチミツを食べる」
という方針のほうが、地球環境にとってより良い結果になる。
と私は思っています。

というのがハチミツを禁止すべきとする動物愛護思想への違和感です。


そして2つ目の例としては、羊毛 を挙げます。

「羊さんの毛を刈るなんて搾取だ。羊毛を使用した衣服を買わないようにしよう」
動物愛護思想からこういう主張を見ましたが
私はおかしいと思っています。

羊を虐待するように毛を刈取る動画を見ました。
私は羊の虐待行為は即刻やめさせるべきだと思いました。
しかし毛を刈る行為自体は全く問題ないと思うのです。

これは人間の散髪と同じだと思います。
毛を刈り取ることは羊にとってむしろ快適であるし、刈り取った後の毛を廃棄するよりは衣服にして利用したほうが良い。
それは資材の有効利用です。
刈り取った羊毛をどう使おうが、それは搾取などではないと思います。
人間の髪の毛だって有効利用できるならしたほうが環境に良い効果があると思っています。
自分が散髪されてその切った髪を何かに使用されたと仮定して、それが搾取だと感じるでしょうか?
私は思えないです。

羊を虐待したり殺したりするのは問題ですが、
羊を生かして継続して毛を刈取る行為は何ら問題だと思えないのです。

以上が羊毛についての動物愛護思想への違和感です。


そして3つ目の例としては 動物を利用したショービジネス です。

「動物を利用した金儲けをやめよう」という主張から来ている思想です。
動物園、水族館、サーカス、TV番組などが該当します。

動物愛護の方々は、犬猫や小鳥や小動物などを飼って家族のように接することを喜んでしております。

しかしライオンや象など巨大な生物は個人では飼うことが出来ません。
動物園などで見られるそれら巨大な動物は、私には「動物の専門家が愛情をもって飼って接している」
というふうに見えるのです。

飼育員の方と動物との間の映像からみられる状況と
ヴィーガンの方が家で飼っているペットとの映像と
そこに何の差があるというのでしょう?
両者とも動物から信頼され、愛情をもって接してるとしか見えません。

しかし動物愛護の方々は、動物園ビジネスに対してはやめるべきだ、と考えるわけです。
それは家で飼えない巨大生物を野生のまま放置し、人間と巨大生物とを結びつける場を排除することなのではないでしょうか。

動物園などの飼育環境が劣悪だったりするなら、改善しろと声をあげるのは理解できるのですけれども
そのショービジネスそのものを完全にやめさせるべきだ、とする考えには賛同できないのです。

ということが動物を利用したショービジネス廃止思想への違和感です。

まとめとして
私の動物に対する基本的な考えとしては
「動物は過酷な飼育環境を強いたり、殺害したりしない限りは、その動物から得られる食材や資材を有効利用したほうが、人間と動物の双方がメリットを享受できて、地球環境にとっても良い結果になる」
と考えています。

この考え方からすると、卵と牛乳も、全面禁止すべきとは思っていません。

ペットを飼うように愛情をもって飼育された鶏や牛から得られる卵と牛乳は、食べたほうが良いと思っています。

現状の社会では、安価で入手できる卵と牛乳は劣悪な環境下での生産品なので買うべきではない、と思っているので食べないのです。


以上、いくつか例を出して説明した、これらの制限や廃止の思想については、個別に深く議論された上で判断されるべきで、単純に「動物のため」という大義名分だけで判断するのは良くないと思います。

ということで「2つ目の違和感 動物愛護思想は地球環境の改善につながっているのか?」の話を終わります。


動物愛護思想と、私の思想との相違点

日本エシカルヴィーガン協会には、こう書かれております。
ヴィーガン (vegan) とは、すべての動物の命を尊重し、犠牲を強いることなく生きるライフスタイルのことです。

私の思想は、①人間の健康 ②地球の環境 ③動物愛護
という優先順位があります。動物愛護が最優先されることはありません。
なぜなら人間を優先しないと動物の保護強化が出来ないですし
環境を優先しないと人間も動物も共倒れになるからです。

ただし、人間が環境を破壊し、動物へ虐待を行っている問題は間違いなくありますので、それは正さないといけないと思っています。
そのためには、法改正など長い長い時間が必要です。
それを無視した違法行為は賛同できないですし
原因と結果を考えない感情に任せた行動にも賛同できません。

私には動物愛護の思想からくる推奨行動は、賛同できる部分もありますが、全く賛同できないものがあります。
動物愛護の方々に全面的な賛同したり、納得できなくても従う、という考えはないですが、かと言って動物愛護の方々の意見を変えてもらおう、という考えもありません。
お互いやるべきだと思うことをやれる範囲でやれば
肉を食べている一般人よりは高い動物愛護の結果につながると思います。
それは日本エシカルヴィーガン協会が定めるところの
「ヴィーガン (vegan) とは、すべての動物の命を尊重し、犠牲を強いることなく生きるライフスタイルのことです。」
に達していると思うわけであります。

ということで 動物愛護思想への違和感 のお話を終わりにしたいと思います。

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