見出し画像

少女と恐竜


  少女と恐竜
                                                  楽満 万紘


 あるところに少女がおりました。少女には好きなものがありました。それは恐竜でした。女の子らしくするようにと、お父さんとお母さんにはいつもネコやウサギのぬいぐるみを少女に与えていましたが、少女はほんとうは大きくてかっこいい恐竜のことが大好きでした。おじいちゃんとおばあちゃんに買ってもらった恐竜図鑑をこっそりと開くのが毎日の楽しみでした。

 ある日少女は学校で失敗をしてしまいました。学校ではいつも周りの子からヘンに思われないように、至ってふつうの女の子のように振る舞っていたのですが、この日は我慢ができなくなってしまい、生まれて初めて嫌いな男の子のことをぶってしまったのです。男の子とは取っ組み合いの喧嘩になりましたが、少女は引き下がりませんでした。先生が止めに入ったので、勝負は引き分けになりました。「喧嘩両成敗」ということで、男の子とは仲直りをしました。少女は満足しましたが、ほっぺたに引っ掻き傷ができてしまいました。お父さんとお母さんに男の子と喧嘩をしたことがバレたら怒られるかもしれないと思い、少女は家に帰るのがおっくうになりました。少女はまっすぐ家に帰るのをやめて、家のとなりの原っぱに行くことにしました。

 少女はこの原っぱのことが大好きでした。広くて風がよく通るし、日当たりが良いので、春にはたくさんの花が咲きました。この日も暖かく天気が良かったので、少女は原っぱに寝ころんで、目を閉じて風の音に耳をかたむけました。

 次に少女が目をあけると、目の前には大きな恐竜がいました。少女はなにが起こったのかわからず、目をぱちくりさせるだけでした。

「こんにちは、お嬢さん」と、恐竜は言いました。それはいつもそうしているというような、とても自然で礼儀正しい挨拶でした。

 少女はびっくりしましたが、お父さんとお母さんに教わったように、できるだけ丁寧に挨拶をしました。恐竜はそれをみて、うんうんと頷きました。

「きみはわれわれ恐竜のことを大変好きでいてくれているみたいだね」
「そうなの。でも、会えると思っていなくて、びっくりしてしまって。ごめんなさい、ちょっとまってね」

 少女は深呼吸してから、改めて目の前の恐竜を観察しました。恐竜は図鑑で見たことのある、少女がいちばん好きなブロント・サウルスでした。

「わたしのことを知っているの?」
「知っているさ」
「どこからきたの?」
「どこからもなにも、わたしはずっとここにいたよ。この原っぱにね」
「でも今まで見たことなかったわ」
「そりゃだって、透明になっていたからね」

 こうやって、と言って恐竜は姿を消し、また同じ姿で目の前に現れました。
「透明になるくらいわけないさ」
 あたりまえというように恐竜が言うので、少女もそういうものかと思いました。
「でも絶滅したと図鑑に書いてあったの」

 少女の言葉に恐竜はうんうんと頷いてからこう言いました。
「人間は言っていたね、われわれ恐竜が六六〇〇万年前に大きな小惑星が地球に衝突したことで絶滅したと。しかしあれは間違いだよ。だって地球ができてから、どれだけの時間があって、どれだけのいきものが地球上に生きていたと思うね。六六〇〇万年前の隕石の衝突の前に生きていた、いろんな生き物が教えてくれたよ。「もうすぐ隕石が降ってくるだろうが、そのときはこうすればいいよ」とね。運良くわたしは小惑星にぶつからなかったので大丈夫だったんだ。たしかにその後はとても寒い季節がやってきた。しかしじきに慣れたよ。だってセンパイたちが教えてくれた「寒くてたまらない時に身体を温める方法」を知っていたからね。ほら、これだ」

 そう言って恐竜はどこからか本を取り出しました。恐竜はページをパラパラとめくり、本を開いて見せてくれました。そこにはさまざまな魚や鳥や虫や花の挿絵があり、その周りには文字のようなものがびっしりと書き込まれていました。

「本はいいよね。こうやってきみにも見せてあげられる」
「でもわたしにはこの文字が読めないわ」
「読めるようになるさ。わたしが教えてあげるよ。今までもそうやって、この本は受け継がれてきたんだ。これは書き写しだけどね。みんなこれと同じ本を持っているんだ。この文字を教えてくれたのは、えーと、人間がアノマロカリスと呼んでいる生き物だったな。わたしの近所の年上のお兄さんでね」

 恐竜のことが好きな少女は、本で読んだアノマロカリスのことを思い出しました。たしか恐竜よりうんと前に生きていた生物でした。

「アノマロカリスとお話をしたことがあるの?」
「できるさ。きみたちはできないみたいだけど、まあコツがあるんだ。それにきみは今わたしとお話ができているだろう。きみもいつか、誰とだって話ができるようになるよ。うーんと練習すればね」

 少女が質問をしたのはアノマロカリスとお話する方法についてではありませんでしたが、いままでずっと生きてきて、わたしともお話しができて、しかも透明になれる恐竜のことなので、アノマロカリスとお話をしたことがあっても特に不思議ではないと思いました。

「ずっと生きていると言ったけど」少女は言いました。「ずっと同じ姿なの?」
「そうだね。空を飛ぶのが好きなやつは羽を持ったり、泳ぐのが好きなやつはまた海にずっといられるようにしたりしたけどね。わたしはこの大きな身体が好きなのさ。だってかっこいいだろう」
 恐竜は胸をはって、長いしっぽをペチンとひと振りしました。そのしっぽはいつも少女が図鑑で見ていた、大好きなしっぽでした。

「そうね。でもそこまで大きいと何かと不便じゃないかしら」
「友達は身体をもっと小さくて小回りがきくほうがやりやすいと言っていたけどね。まあやりようだよ。大きくても透明になれば隠れられるし、わたしは木の多いところより広い原っぱの方が好きなのさ」

 少女は恐竜が持っている自信と自由と、それを可能にできる知識が羨ましいとおもいました。

「もっとお話していたいんだけれど」少女は目をこすりながら言いました。「なんだかとっても眠いの。びっくりして疲れちゃったみたい。ねえ、恐竜さん。また明日も会いに来てもいい?」

「もちろん。きみはとても素敵な女の子だからね。でもほかの人にわたしのことを話してはいけないよ」
「わかったわ。じゃあ、おやすみなさい。また明日」
「おやすみなさい。また明日」

 少女は家に帰り、いつもと同じようにお父さんとお母さんと夕ご飯をたべてからぐっすりと眠りました。お父さんとお母さんには今日男の子と喧嘩したことも、恐竜と出会ったことも話しませんでした。

 しかし翌日学校に行った少女は、恐竜との約束を破ってともだちに話してしまいました。少女は昨日自分の身に起こったあの素敵な出来事を、誰かに話したくて仕方なくなってしまったのです。しかしだれも少女の話を信じてはくれませんでした。その上ともだちは、少女のことを少女のことをうそつきとか、ついにあたまがいかれたとか言いました。

 少女は学校から家に帰る前に、昨日恐竜と出会った原っぱに行きました。恐竜は原っぱの真ん中で本を読んでいました。恐竜は少女が来たのにすぐに気がついて「やあ」と手を振りました。

 少女は恐竜との約束を破って友達に話したことを怒られるのかと、泣きそうな顔をしていました。恐竜は少女を見て、やさしく話しかけました。
「友達に話したろう」
「ごめんなさい、我慢できなかったの。でもだれも信じちゃくれなかったわ。その上、みんなわたしにひどいことを言うの」
「きみ以外の人間はそうだろうね。きみがつらい思いをすると思ったから口止めをしたのだけど、きみに姿を見せたのはわたしのほうだからね。あやまるのはわたしのほうさ」

 少女は大好きな恐竜に会えたことをとても嬉しく思っていることを恐竜に伝えました。恐竜はとても安心した様子でした。少女はこの素敵な恐竜のようになりたいと思いました。

「わたしも早く大人になりたいわ。ねえ、本には未来に行く方法は書いてない?   わたしもはやくいろんなことができるようになりたいの」
「たしかにこの本にはありとあらゆるのことが書いてある。しかし、時間を前や後ろに飛び越える方法は書いていないんだ。だってそんなことが書いてあったら、わたしはふるい友達が死んでいくのを助けにいくだろうさ」

 少女は恐竜がこれまでの長い時間で経験してきたことを想像してみましたが、とてもしきれませんでした。困った顔をしているやさしい少女に恐竜はいいました。
「時間を飛び越えるなんてズルを考えちゃいけない。しっかりと時間の流れとともに生きていくんだよ」


 それから少女と恐竜は、長い年月を一緒に過ごしました。少女は恐竜の言う通り、しっかりと時間の流れとともに生きました。少女は大人になり、地球は何度も暖かくなったり寒くなったりしました。いくつかの星座が無くなって、いくつかの星座が生まれたころ、少女と恐竜は一度長く眠ることにしました。少女は目が覚めたら、これから見る素敵な夢のことを本に書こうと思いながら、恐竜と一緒に眠りにつきました。

𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄
 あるところに恐竜がおりました。恐竜は二億九六〇〇万年という長い時間を生きていました。

 恐竜や恐竜の多くの友達は、姿を変えたりいろんなことをできるようにしたり、長い時間をかけて、自分の都合のいいように身体のつくりを変えてきました。恐竜は自分の背格好を気に入っていたので見た目は変えず、身体を透明にできるようにしました。

 恐竜は陽が上ったら目を覚まします。広い原っぱで大きな身体を十分に広げてのびをするのが日課でした。それからご飯をたべ、運動をし、本を読んだり書いたりして、陽が沈んだら眠ります。これが長い間生きてきた恐竜にとっての幸せな毎日だったのです。

 恐竜は人間のことをよく思っていませんでした。人間たちはいつも仲間同士でいがみ合って、戦争をして、仲直りをしたかと思えばまたいがみ合って、同じことを何度も繰り返しているからです。しかし人間は恐竜のことを絶滅したと思っているようでしたし、恐竜は透明になれるために人間に見つからずに暮らせていたので、恐竜自身にはあんまり関係がなく、とくに気にしていませんでした。

 よく原っぱに来る、少女のことはよく知っていました。少女は恐竜の、とくに自分と同じ種類の恐竜のことが好きなようでした。ある日、その少女が頬に傷をつけて原っぱにやってきました。恐竜はひと目見ただけで、その少女が今まで色んなことを我慢してきたこと、生まれて初めて我慢することをやめてみたこと、それで顔に傷を作ったこと、それを反省してこれからは暴力ではなく言葉で戦い、二度と誰かを殴らないと思ったことがわかりました。少女のことがたいへん気に入ったので、恐竜は少女に話しかけたいと思いました。

 恐竜が話しかけると、少女はとてもびっくりしたようでしたが、きちんと礼儀正しいあいさつをしてくれました。次第に少女は楽しそうに、恐竜にたくさんの質問をしてくれました。恐竜はかしこくやさしい少女のことをいっそう気に入りました。

 少女と話をしてから、恐竜は少女に他の人には自分のことは話さないように言いました。恐竜はやさしい少女が、友達や周りの人間から心ないことを言われて傷つかないようにと思ったのです。でも恐竜は、少女は話すだろうこともわかっていました。

 翌日少女が悲しげな様子で原っぱにやってきたので、少女に尋ねました。少女は恐竜に申し訳ないというような顔をするので、元気をだしてほしくて優しく話しかけました。少女はわたしに会えてとても嬉しいと言ってくれました。恐竜はとても安心しました。



 それからというもの、少女と恐竜は長い時間を一緒に過ごしました。恐竜は少女に文字の読み書きを教えてやり、恐竜が持っている本をそっくり書き写させました。恐竜が持っている本は、それまで地球で生きてきた生き物たちの知恵がすべて書いてありました。これまでも恐竜は自分が知ったことを本に書き加えていましたが、少女と出会ってからは、いままで恐竜が見たり聞いたりしてきたたくさんのことを少女に伝え、少女が見たり聞いたりしてきたことをたくさん教えてもらって、一緒に本を書くようになりました。分厚い本はどんどん増えていき、その内容の全てを恐竜と少女は覚えていました。ふたりの書いた本はふたりの作った図書館に所蔵されました。この文字を読むことのできるすべての生きものが入ることのできる図書館です。こうしてふたりが文字に書き起こした知恵は、たくさんのいきものに伝わっていきました。

 いくつかの星座が無くなって、いくつかの星座が生まれたころ、ふたりはとても眠くなりました。恐竜は少女に「一度長く眠ろう」と言い、少女は「そうしましょう」と言いました。ふたりは樹液をたくさん集めてきて、たっぷりと身体にまとい、一緒に眠りにつきました。恐竜は、目が覚めたらこれから見る素敵な夢のことを本に書こうと思いながら、少女と一緒に眠りにつきました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?