三年前のことを(1)
熊本・大分の大きな地震から、三年がたった。
あの時、誓ったことがある。「時間がたったら、地震のことを詳しく書こう」
その時が、きた。
災害から時間がたつと、必ずと言っていいほど「風化」が問題になる。報道が少なくなり、人々から忘れ去られていく。そして、あたかもすべての問題が片付いたかのように思われてしまう。
だから、風化は起こるものとして考えておく必要がある。けれども当事者としてはどうしても、「なぜ【私たちは】忘れられてしまうんだ!」とやるせない気持ちになる。それも、予想しておかなくてはならなかった。
地震の直後は、みんな必死である。生きていくために、再建するために。しばらくは、多くの人が発信して、多くの人が耳を傾けてくれる。短距離走の時期である。けれども次第に、疲れていく。復興に向けた長距離走が始まる。
私は体力も気力もない方だから、自分が活躍できるのは後になってからだと考えていた。そういう冷静な判断は、時に敵を作る。みんなが頑張っているときに手を抜くやつ、真剣でない奴と思われる。それでも倫理学者として、「自分に果たせる責任」を考えた。時間がたって、冷静に伝えられるようにしよう。そう考えた。
地震の後、一つだけ記事を書いた。「投げ込まれた世界で」というものである。直後にしか、私にしか書けないものは残しておかねばならない。そう考えたのだ。地震当日のことは、ある程度ここに書かれている。今回はまず、その補足から始めたい。
一度目の大きな揺れの後、私はまず風呂に水を貯めた。今は大丈夫でも、いつ断水になるかわからない、と考えた。この水は実際に生かされるのだが、詰めが甘かった。本震の時ボディソープが落ちて、石鹸水になってしまったのである。断水後風呂の水は、トイレを流すことにしか使えなかった。
余震(もちろん当時は最初のものが本震と思っていた)に備え、買い出しにも出かけた。そこでも私はミスをする。ねぎを買ったのだ。ねぎほど非常時に役に立たないものはないことを、後に知ることになる。
家に帰り、寝る場所を変えることにした。本好きの宿命、本棚がいくつもあるのである。倒れてきて一番困るものだ。この判断が私を救う。
夜、大きな音ともに何かが倒れてくる。目を覚ました私は、布団を頭まで被った。揺れはしばらく続いた。何かが飛んでいく音もした気がしたが、そこまで冷静に考えている余裕はなかった。
揺れが収まったが、電気がつかなかった。懐中電灯を探すが、なんと本棚の下である。手を突っ込んで、手探りで探す。次に、眼鏡である。迂闊なことに、テーブルの上に置いていた。フレームが曲がっていた。机から予備の眼鏡を取り出す。
部屋の中を照らすと、いろいろなものが倒れ、飛んでいた。どうやら洋服ダンスの引き出しは、私の頭上を飛び越えていったらしい。枕元にカーゴパンツが落ちていた。ポケットも多いし非常時にはいいかもしれないと思い、それに履き替える。
再び大きな揺れが来たらどうなるかわからない。部屋を出ることにした。ブレーカーを落とし、非常用の袋を持って外に出る。ちなみに14日の時点で、アパートでは扉が開かなくなり閉じ込められた人がいた。家の中の扉は開けておいた。
外に出ると、すでに多くの人が出てきていた。それまで話したことのなかった、上の階の人と会話する。どうも、小学校の方はすでに人がいっぱいらしい。近くの公園に向かう。
その途中、アパート横の駐車場を見て違和感があった。いつもない、何かがある。よく見てみると、アパートの受水塔が折れて、落ちている。車の前面がぺしゃんこだ。これは、街全体がやばいことになった! と思った。しかし後にわかるのだが、こんな被害が出たのは地域でうちのアパートだけだった。しばらく、「ここだけ断水状態」に見舞われることになる。
公園にもすでに多くの人々がいた。着の身着のままで来た人、がっつりふとんを持ってきている人。私はバスタオルを膝にかけて、ひたすら朝が来るのを待った。時折大きな余震が、建物をぐわんぐわんと揺らす音が響いた。
家に電話をかける。「とりあえず大丈夫だから」「何が」当たり前だが、両親は寝ていたので「本震」がやってきたことを知らなかった。「いざとなったらうちに帰ってくるのよ」と言われたが、実家は岐阜である。行く手段がなかった。
朝がやってきた。一緒にアパートからやってきた人は、「姉のところに行くことになった」と去っていった。私は途方に暮れた。熊本どころか、九州内に親戚の一人もいない。家に戻ったが、とても寝泊まりできる状態ではなかった。
一時的にブレーカーを戻し、台所でスマホの充電をした。とりあえず缶詰をあけて食べたが、不味かった。
明るくなってから見る部屋の状況は、散々だった。本棚と衣装ラックが倒れ、本や服が散乱している。背中を見せた本棚の上に、なぜか『三月のライオン 1』がちょこんと乗っていた。あとで確認したら、食器なども結構割れていた。
私は車を持っていなかった。電車も動いていなかった。仕事の状況もわからなかった。途方に暮れるとはまさにこのことである、と思った。(つづく)
サポートいただければ、詩集を出して皆様にお届けしたいです。文字が小さくてむっちゃボリュームのある詩集を作りたいです。