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一生付き合える友人って、しんどいときに「ごめん、いま無理」って言える相手だと思う。

子どもが小学校に入って驚いているのが、ママ達との会話のなさ。

保育園時代は送迎のときに誰かしらと会話していたけど、今はそれがない。

小学校に入ればひとりで登下校するようになるから、当たり前といえば当たり前なんだけど。

で、もっと驚いているのが、私が全然、さみしくないこと。

1日のうちに家族以外と会話しない日もけっこうあるのだけど、全然さみしくないのです。

さみしくなくて大丈夫なのかな、と変に不安になります。(暇だから?)

もともとひとりでいるのが好きっていう性格もあるかもしれない。

最近連絡を取っているのは、継母と義実家、あとは職場の人くらい。

実はコロナをきっかけに、保育園時代に仲良くしていたママさんと疎遠になりました。

もともと価値観が違うところがあって、無理して付き合っていた部分もあり、何気ない言葉に傷ついたこともあったので何度か離れようかなと思いました。

でも小学校も同じだし、と思ってなかなか踏み切れずにいました。

コロナで会えない理由ができてほっとしていたけど、ずっと仲良くしていた人を失ったこと自体については少しさみしくもありました。矛盾だらけ。

長い会えない時間のうちに、そのママさんには新しい友人でもできたのでしょう、私には連絡をくれることもなくなりました。

そのことにもまたほっとしている自分と、少しだけ悲しい自分がいます。

私は人生のステージが変わると、それまで付き合っていた人とぱったり連絡を取らなくなることが多いです。

誘われれば行くこともあるけど、自分や家族の予定を優先させてしまうところがある。

良くないのかな(少しは頑張って付き合った方がいいのかな?)とも思うけど、無理するのも疲れるから、もうありのままの自分でいよう、と最近は思っています。

過去の思い出話をするのがそこまで好きではないからかもしれません。昔はこうだったよね、っていう話をすることにあまり興味がないのです。

今の話や未来の話をすることのほうがずっと楽しい。

そんなこと言っているからどんどん疎遠になってしまうのかな。でも興味ないんだもん。

それで、そんな私にも一応、片手に入るくらいだけど、一生付き合っていきたいな、いけそうだな、と思う友人はいます。

遠くにいるからめったに会えないけど、2年とか連絡を取っていなくても、昨日会ったように連絡ができる人がほんの少しいれば、それでいいんじゃないかな、とも思ったりして。

それで考えたのが、付き合うのに無理をしないといけない人と、一生付き合っていけそうだなと思う人の間にはどんな差があるんだろう?ということ。

今の私なりの答えでは、一生付き合えるのは「しんどいときに無理って言える相手」なのかな、と思います。

付き合うのに無理をしないといけない人は、「しんどいけど無理って言えない」人かな、と思います。

遊びたい気持ちはあるんだけど、仕事でめちゃめちゃ疲れているときに、土日に遠出するのがしんどかった時期がありました。

ずっと友人でいられそうだなという相手には、正直に「ごめん、いま仕事ですごく疲れていて、土日に遊ぶエネルギーが残っていないんだ。また余裕が出てきたら連絡させてもらえると嬉しい」と言いました。

で、余裕が出てきたら連絡させてもらいます。そういうワガママが許される相手だということがすごく楽で、気を張らなくていいのが嬉しいです。

無理して付き合う相手には、それが言えませんでした。断ったら気を悪くするかな、とか、前にお世話になったのに無礼だと思われるかな、とか色々考えてしまうのです。

ほかの例を書くと。

ずっと付き合えると思っている友人と同じ時期に妊娠して、その友人は無事に産まれたけど、私は死産になってしまったということがありました。

私はその子に直接報告するのが辛くて、申し訳ないと思いながらも、その子も読んでくれているブログに書いて間接的に死産を伝えたことがあります。

その友人は私の気持ちを汲んでくれて、私に何も言わないでいてくれました。そして私が私のタイミングで報告できるようになるのをずっと待っていてくれました。

そしてブログに書いてから数か月して、私の心の整理がついたときにようやく報告できました。「ごめん、あのときは辛くて言えなかった」と。

その友人は「うん、待ってたほうがいいのかな、と思ったから待ってたよ」と言ってくれました。

私が待っていてほしかった気持ちをわかってくれて嬉しかったこと、私自身がその友人への「出産が楽しみだね」という言葉を社交辞令ではなく心から言えたことも嬉しかったのを覚えています。

でも、無理して付き合っていた友人にはそれができませんでした。

「大丈夫?」と聞かれたときには「大丈夫」と返事してしまったし、平気そうなふりをして笑顔でいました。

そのときはそれで救われていた部分もあったと思うけど、本当は大丈夫じゃないけどな、と思っていたのをよく覚えています。

なぜ無理をしてしまうのか。

たぶん、陰で悪口を言われるかもしれない相手だと心の底で思っているからかな、と思う。

この人は私が正直でいても許してくれるな、という人にはありのままをさらけ出せる。

でも、この人はきっとこういう部分を見せたら陰で悪く言うだろうな、という人には取り繕ってしまう。

だから人の悪口を言う人とずっと付き合うのは難しい。

他にも色々あるだろうけど、究極的にはそういうことなのかな、と思います。

でも限られた時間を、無理して付き合わないといけない相手にそこまで割く必要もないかな、と最近は思っています。

ライフステージが変われば、付き合う相手が変わるのもしょうがないこと。

友人と離れたことについてのほんの少しのさみしさと、気心知れた友人のいるありがたみを胸に、今日も過ごそうと思います。いつもありがとう。


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