「母親が作るお弁当」っていうだけで嬉しいんだと思う。
あしたは保育園生活最後の課外保育で、お弁当を持っての登園。
息子はものすごく楽しみにしていて、課外保育のお知らせをもらったときから「お弁当はからあげとミートボールといちご!」とテンションあがりまくり。
それで今日の午後にお弁当の仕込みをしていたんだけど、唐揚げが揚がったときなんて本当に飛び跳ねて喜んで、夫に「ぼく、明日のお弁当にこのからあげ持っていくんだ!いいでしょ〜」って自慢していたほど。
コロナで行事が片っ端から中止になっていた今年度だけど、お弁当を作る機会が今回を含めて2回あった。
1回目は去年の秋。芋掘りの遠足だったのだけど、当時の私は2人目を妊娠中で切迫早産の自宅安静中だったので身動きが取れない状況だった。
なんとかお弁当を準備せねばと、リクエストの唐揚げは家事代行の作り置きをお願いするときに作っておいてもらい、それ以外のメニューとお弁当準備は義母にお願いしてなんとか形にはなった。
けど、そのお弁当を見たときの息子の微妙そうな顔といったら。私の方が気まずくなるほどだった。
義母のお弁当の詰め方が私と違っていたからかもしれないし、それ以外の何かがあったのかもしれないけど、とにかく全然嬉しそうじゃなかったのだ。
(ちなみに助けておいてもらって本当にごめんなさいだけど、義母の詰め方はあまり美味しそうじゃなかった。詰め直したかった。安静なのが本当に悔しかった)
それに比べて今回のテンションの上がりようったらない。
メニューはこんな感じ(全て息子の希望)
おにぎり、唐揚げ、ミートボール(市販の)、たこさんウインナー、茹でブロッコリー、ミニトマト、いちご
このメニューを見てもらえればわかると思うのだけど、たまに作るお弁当としてはめっちゃ楽。
けど息子は何度も何度も「明日のお弁当楽しみだな〜」って言っていた。
その様子を見ていたら、お弁当って手間とかはあんま関係なくて、「親が愛情を込めて作っている姿を見ること」に意味があるのかな〜、と思わず思ってしまった。
メニューは去年の家事代行の人と義母が作ったものと変わりなくても、母親が作るお弁当っていうだけですごく嬉しいんだろうな。
そう思うと母親ってすごい。
子どもにとっての絶対的な存在なんだろうな、きっと。責任重大。今さらながら。
春になったら手作りのお弁当を持って、公園にピクニックしに行こうと話している。
生まれたばかりの赤ちゃんの首が座る頃になったらドライブに行きたいね、とも。
そういう楽しい記憶をこれから新しく積み重ねて、長い安静生活に入院でずっと寂しい思いをさせてしまった息子への罪滅ぼしをしていきたいと思っている。
これから何回お弁当を作ることがあるかわからないけど、息子にとってお弁当が嬉しい記憶となって残ってくれますように。
明日の朝に完成したお弁当を見て、息子はどんな表情をするのかな。
早起き頑張ろう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?