負の記憶のレトルトミートソースパスタを美味しく食べられるようになって思ったこと。
子どものころ、土曜日のお昼は決まってレトルトのミートソースパスタだった。
パスタソースは、今でも売られている定番のもの。スーパーの棚の中では、一番安いゾーンのやつ。
私の実母は料理があまり好きじゃなかった。焼いた肉に市販のソースをかけただけとか、そういう簡単な料理が多かった。
・・・ということを、大学進学で実家を離れて初めて知った。
大学で仲良くなった友人がパスタソースを自分で作っているのを見て「パスタソースって作れるんだ・・」と驚いたのを覚えている。
ちなみにハンバーグヘルパーを使わないでもハンバーグが作れることを知ったのは結婚してからだったと思う。
母は家で作るより外に食べに行きたいタイプだったし、レストランでのテイクアウトとかもよくしていたので、私にとって母の味的なメニューは少ない。(でも母の作るカツ煮は好きだった)
そんな母とは対照的に、父は料理が得意だった。
・・・というのを知ったのは、母が他界して父がご飯を作るようになってからだった。
そのときの私はもう一人暮らしをしていたので父の料理を毎日食べていたわけではないけど、たまに実家に帰るととても食べきれない量のごちそうがテーブルに並んでいて、帰省のたびに1キロは増えていた。
父の作るポテトサラダにはサラミが入っていて、それがとてもおいしかった。
実家を出てからめちゃくちゃ家事のデキる人だったと判明した父は、肉が安売りされているときにまとめて買って冷凍しておいて小分けにして使うとか、「牛すじ煮込みを作ったら美味しかったから」とか言って冷凍便でおかずをたくさん送ってきてくれたりした。
小さい頃から父がご飯を作ってくれていたら、私ももう少し料理が得意に育ったかも。と思うことがないわけじゃない(言い訳!!)
母が他界して数年した頃に、父が再婚した。
再婚相手(私にとっての継母)はめちゃくちゃ料理が上手だった。しかも節約上手でもあった。
初めて食卓に八宝菜が出てきたときにはびっくりした。
「えっ、八宝菜って、家で作れるものなの・・・?中華料理屋さんでしか食べられないものだと思ってた・・」と感動したのを今でも覚えている。
継母は看護師だったんだけど(今はもうリタイヤしている)フルタイムで夜勤までこなしているのに、手作りのご飯を作っていた。
冷凍庫には解凍するだけで立派なご飯になるものが常時何品も保存されている感じ。生きた「生活の知恵図鑑」みたいな人だと思った。
その継母の様子を見て初めて私は、自分の母が手の込んだ料理をあまり作ってくれなかったのは忙しかったからじゃなくて料理が好きじゃなかったからだったのだ、と知った。
・・・前置きがめちゃくちゃ長くなってしまった。ごめんなさい。
話を「ミートソースパスタ」に戻します。
えーと、だから、小さいころの土曜日のお昼は、茹でたパスタにレトルトのソースをあえるだけの簡単ランチだったわけです。
私はそのランチがあまり好きじゃなくて。
レトルトソースのことを悪く言うつもりは全然ないのだけど、あまりおいしくなかった記憶しか残っていない。
そのパスタは途中で飽きてきてしまって、いつも最後まで食べられなかった。
(もしかしたら麺の水切りが甘かったとかもあるかもしれない。なんだか水っぽかった気がする。)
どうしてお店で食べるパスタは美味しいのに、おうちのは美味しくないんだろう?と本気で思っていた。
結婚してからの私は、料理が全然できないながら「料理のいろは」的な本を何冊も買って読み込んで、なんとか料理を作っていた感じ。
基礎知識がないので何度レシピを読んでも覚えられず、文字通りいつも横にレシピ本を置きながら料理をしていた。
小さいころに食べていたレトルトパスタが美味しくなかった記憶があったので、市販のレトルト品にはあまり手を出せず「なんでも手作り or 作らないなら外食」という極端な生活スタイルに。
レトルトに頼らざるを得なくなってきたのは、子どもが生まれてワンオペ生活をしていた時代のこと。
夫がほぼ家にいないので、週末におかずの作り置きをして平日の晩御飯をしのいでいたけど、週の後半になると作り置きも枯渇してくるわけで。
特に木曜・金曜の夜は、遊んでほしいと泣く子どもを置いてパパっと手早く料理することができず、レトルトや冷凍品をうまく使わないと家庭が回らない、という状況に陥った。
その段階になってようやく「金曜日はパスタソースを使ってパスタにしようかな?」と思い始めて「でもそのまま食べるとおいしくないから、ちょっとアレンジしてみよう」という発想が生まれることに。
チーズを入れて濃厚にしてみたり、ウインナーを入れてボリュームを出してみたり。野菜を炒めて入れてみたり。少しだけお砂糖を入れてマイルドにしてみたり。コンソメ足してみたり。
少し工夫するだけでレトルトパスタも美味しく食べられるとわかったのは、私にとっては大きな気づきだった。
自分のなかでずっと「負の記憶」になっていたミートソースパスタを成仏させてあげられた気がして、なんだか嬉しかった。
で、今日なんでこんなことを書こうと思ったかというと。
「なんで幼い頃の私は、その美味しくないミートソースパスタを食べ続けていたんだろうなあ?」って思ったから。
そのときの私は、アレンジすれば美味しくできることも、そもそもソースは手作りができることも、パスタの茹で方も知らなかったから、思いつくことすら無理だったんだけど。
これと同じようなことってきっと日常生活の中にあふれているんだろうな、って思ったというか。
「できないと諦めているけど、視点を変えたらできること」とか、「知っている人にコツを聞いたら一発なのに、自力でやろうとしてどうやったらいいかのヒントすら得られないこと」とか。
なんかそういう「知らないがために永遠にできないこと」って、きっとたくさんあるんだろうなあ、って思って。
だからって今すぐになにか大きく変われるわけでもないんだけど、「そういうことってたくさんあるんだろうな」って思いながら生活することはきっと大切なんだろうな。
いまの自分が「無理、できない」と思っていることも、できる人はきっといる。そのできる人を探し続ける姿勢は持っていたい。
あとは「いまの自分はできないけど、できる方法はあるはずだ」ってその方法を探し続ける姿勢は持っていたいな、と思う。
そんなことを考えた2022年の大みそかでした。
よいお年を。
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