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#64 安らぎを与える人生でありたい

異世界転生が一つのジャンルになっているように、小説というのは、現実とかけ離れたところに連れて行ってくれるものだと思う。
けれど、小説にはそれ以外にも数多の役割がある。

例えば、現実にあるものや存在の大切さに気付かせてくれる。
これも小説の一つの役割なのではないかと思う。

『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』はそんな役割を持った作品である。

『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』はこんな話

いつでも献身的に、優しく、深い愛情を持って接してくれたオカン。
フラフラと何の仕事をしてるかわからない、たまに帰ってくるオトン。
そんな二人に育てられたボクは、大学入学を機に上京する。
しかし、欲望を飲み込む街である東京で、次第にボロボロになっていた。
それでもオカンは気にかけてくれた。お金をくれた。電話や手紙をくれた。
いつまでも、いつまでも、そんな時が続くものだと思っていた。

しかし、無情にも時は流れる。
いつまでも元気だと思っていたオカンに襲い来る病魔。
人生で一番大切な人であるオカン。
ボクにとって一番恐ろしい時が、刻一刻と近づいてくる。
東京タワーが真っすぐに大空へ伸びる東京で。

オカンとボクと、時々、オトン。
ありふれた家族の物語かもしれない。
だからこそ、家族と命と人生の儚さを強く強く感じられる作品。

お金よりも地位よりも人として必要なもの

この物語は著者であるリリー・フランキーさんの半自伝。
なので基本的にはリリーさんの人生経験が色濃く描かれている。
けれど、この小説の真の主人公は、やはりオカンだと思う。

オカンは地位もなければお金も持っているわけではない。
夫であるオトンがいつ帰ってくるかもわからない状況で、一生懸命働いて、お金を作って、ボクを育てている。

さらには、上京したボクである息子も大学には行かず遊び放題。
オカンから借りた金もパチンコで溶かしてしまう始末。
正直、この物語にはろくな男が出てこない。

そして、晩年には病魔が襲い掛かり、闘病を余儀なくされてしまう。
こうして書くと、オカンはつくづく苦労人であるといえる。

けれど、オカンは誰よりも人生を楽しんでいたように感じる。
それは、誰かに安らぎを与えられる優しさを持っていたからだ。
それこそ、地位よりもお金よりも、生きる上で大切なものだと、この小説を読んで強く思った。

もらうのではなく、まずは与える

ただいるだけで

あなたがそこに
ただいるだけで
その場の空気が
あかるくなる
あなたがそこに
ただいるだけで
みんなのこころが
やすらぐ
そんな
あなたにわたしも
なりたい
    みつを

(中略)
でも、少なくともボクにとってのオカンはこの詩のとおり、ただいるだけでボクに明かりを照らし、安らぎを与えてくれる人だった。

『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』/リリー・フランキーより

素晴らしい人生というのは、色々な形があると思う。
創作に打ち込める人生というのも、素晴らしい人生だ。
あるいは地位や名誉を得る人生。
偉業を成し遂げる人生というのも素晴らしいと思う。

けれど、最終的には、誰かに安らぎを与えた人生が、一番素晴らしいといえるのではないかとこれを読んで強く思った。

恥ずかしながら、僕は人一倍承認欲求が強い自覚がある。
だから承認欲求が満たされないと、心の中にいる僕がこう叫ぶのである。

「誰か僕を認めて!」
「誰か僕に優しくして!」
「誰か僕に注目して!」

若き頃の僕は、その叫びに心が落とされ、悶々とする日々を過ごしていた。
しかし心理学を学んだり、自己啓発本を読んだりして僕にある大きな欠陥に気が付いた。

僕は、自分から誰かを認めようとしていないということに。
つまり、認めてもらう前に、誰かを認めることが大切なのだということに。

その気づきが真実であることを、この小説のオカンは教えてくれた。
オカンは誰かを認めることで、素晴らしい人生を歩んでいたからだ。

ボクのことを心から応援し、時々帰ってくるオトンをいつでも迎え入れたり、周りの人の話を聞いて、それを認めてあげたり……。
オカンの周りの人たちは皆、オカンに認められ、安らぎを与えられていた。
だからこそ全員オカンのことを慕っていたし、愛していた。
そして最期には、そんな人々に涙と笑いで送り出してもらっていた。
これを素晴らしい人生と言わずして、なんと言うのだろう。

まずは誰かを認めること、安らぎを与えることが大切。
それを知ったところで、まだまだ僕はそういう人間にはなれていない。

noteにおいても、誰かの心を少しでも温かくできるような記事を書きたいと思いつつも、なかなか思い通りに文章を書けずドギマギする毎日だ。

だけどきっとオカンも、その人柄こそあれど、一朝一夕で誰かに安らぎを与えられるようになったわけではないと思う。
与えられた人生という時間の中で、じっくりじっくりと「オカン」という人物を形成していったのだと思う。

人生はいつ何が起こるかわからない。
けれど、長い目で見ることも大事だ。
「オカン」を見習って、一日一日丁寧に生きる。
そして、誰かに安らぎを与えられるような人間になりたい。

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