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ゆりかごから墓場まで

長崎県五島列島で総合診療医として働いている時のお話。


ゲネプロ2期生としてオーストラリアのrural GP(僻地総合診療医)のように、お産も取れて、内科、救急、整形外科、皮膚科、緩和ケアと何でもできる総合診療医を目指して、1年がんばってきました。


でも、基本は内科医として外来や病棟の仕事に追われて、中々お産だったり、整形外科だったりを実践することができず、産婦人科の先生にお産を呼んでいただいたり、当直の時に脱臼の整復を整形の先生に教えてもらいながらやったりと、少しずつ勉強することしかできませんでした。



そんな中、僕の医者人生で忘れられない体験をしました。



夜中3時に産婦人科の先生に人手がいるということで、お産で病棟から呼ばれ、無事正常分娩で元気な赤ちゃんが産まれました。



一旦家に帰るか、どうしようかな、と考えていると訪問看護の師長から電話がきました。



僕が在宅で見ているがんの終末期の方の呼吸が止まったとのことでした。



入院した時には、がんの終末期で、家に帰れるか不安でしたが、娘さんがお家で最後を迎えさせてあげたい気持ちが強かったため、ケアマネさんやソーシャルワーカーさん、訪問看護師さん、家族と話し合い、なんとか家に帰ることができました。


大好きなお風呂に入り、好きだったリポビタンDを飲んで、患者さんの最後はたくさんの家族に見守られ、穏やかな顔でとても綺麗でした。


一日の中で生と死を体験して、1年前に上五島で働き始めた時の自分と比較して、「少しだけど成長できたのかな。」と、「上五島で働けて良かった。」と思いました。


それでも、揺り籠から墓場まで見れる医師になる道のりは遠いです。



今の日本では、生まれることは、あたかも”光”で、死ぬことが”影”のように扱われているけれど、本当に愛のある死は、生まれるのと同じくらい美しいと思う。


医療者や病院が、その美しい瞬間を家族や地域から奪ってはいけないと思います。



山口県周防大島でハグ先生こと岡原先生は

空き家を利用して高齢者の共同住宅を作ったり、廃校を使ってコミュニティスペースを作ったり、超高齢化社会を迎える日本のロールモデルになるべく笑顔で楽しく離島医療をされています。


「笑顔がもらえて、自分も笑顔を返しながら最後を迎えられたら、何歳でも、どんな病気でも、大往生ならぬ『ええ往生』なのではないでしょうか」



『大往生まではいきゃあせんが、笑顔でええ顔で亡くなった”ええ往生”じゃけえ、ひとつも悲しいこなんかありゃせん。たいがいにええことじゃ。さあ、きんさい、きんさい』


こんな感じで地域の人が、誰かの死をお祝いのように、その人が一生懸命生き抜いたことをねぎらい、お祝いして、送ってあげる、そんな島が作りたいなあ。

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