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未来への礎 第四話

私はまだ、あの綺麗な月を覚えています。





「史緒里さん、ありがとねぇ」


「いえいえ文さん、これくらいなんのそのです」


年が明けてから暫くが経った。この時代の年始にはお祝いムードなど無縁だった。


「いやぁ…優くんと幸ちゃんは元気だねぇ」


寒さに負けじと走り回る2人を遠くに眺める。本当、子供は風の子だ。

「そういえば知ってるかい?加藤さんの所の息子さんが徴兵だってよ」


「…そうなんですか」


このところ井戸端会議の内容はこんなのばっかだった。


“どこの誰が徴兵された”、“どこの誰が戦死した”


聞きなれない言葉に私の精神は疲弊する。これが現実だった。


「〇〇さんって…徴兵とか大丈夫なの?」


少し前に美月に尋ねたことがある。


「あの人は体が弱くてね。お国のために働けないなんて、やれやれだよ」


そう言った美月の顔はどこか嬉しそうだった。


「ぼくはしょうらい、ゆうかんなへいたいさんになるんだ!」


いつかの夕食で優が高らかに宣言していた。


「そうかい、それは頼もしいね。お国のために頑張るんだよ」


そう言った美月の顔はどこか悲しそうだった。


「はぁ…」


ついため息が漏れる。冬の冷たい空気に私が溶ける。


「ため息なんてしたら、幸せが逃げてしまうよ」


文さんの目尻に皺が寄る。これが年長者の余裕なんだ。私にはまだない。


「優!幸!そろそろ帰るよ」


外が暗くなり始める。夕日に闇が混じる。


「「しおり!きょうはね、やりのくんれんをしたんだ!」」


「怪我しなかった?」


「「うん!」」


まだ元気いっぱいの様子だった。2人の手を引きながら、夕陽に背を押され、家に帰る。


私も少しはお母さんできたかな?

きっとまだまだに違いない。母の偉大さを肌に感じた。





「そっかぁ、加藤さんの息子さんが…」


「この前大学に入ったばかりの学生さんなのにね」


夕食の時の会話も戦争一色だった。時代の色がゆっくりと染み込む。

必然と食卓は暗くなる。そんな時は決まって明るい声が上がる。

「だいじょうぶ、ぼくがみんなてきをたおすから!」


空気の槍を握り、振り回し、突き刺す素振りを見せる優。


「こら、ご飯の最中に立たないの」


「優は頼もしいね。でも、もうちょっと大きくならないとな」


少ししょんぼりして座り直す。すぐ様、隣の幸と何かを言い合っていた。


いつもの食卓、いつもの風景


ずっと前からここにいるような錯覚すらしてしまう。


「まぁ、大変なことはいろいろあるけどさ、私はみんなが居てくれたらそれで満足さ」


美月は目を細くする。〇〇さんは黙って食を進める。

優と幸はまだ何かを言い合っていた。



「和も寝たよ」


3人の怪獣が寝静まった後は私たちの時間が始まる。


「毎日お疲れ様。さすがお母さんだね」


茶化すんじゃないよ、なんて言いながらもしっかりと嬉しそうだ。

縁側に腰を下ろす。今日も月は綺麗に輝いている。


「なぁ史緒里」


「どうしたの」


「未来ってさ、どんな感じなんだい?」


少し驚いた。ここに来て2ヶ月余り、美月が未来のことを聞いてきた事なんて初めてだ。


「どうしたの急に?」


「少し気になっただけさ

で、どうなんだい?」


美月の目はキラキラと輝いていた。


「どうって言われてもなぁ…ん〜」


いざ言われると答えに悩んでしまう。


「離れたところにいても、顔を合わせて話せるようになるよ」


「本当かい?!」


オーバーなくらいに驚いている。でも、この時代の人からしたら当然か。

「未来では家事はどんな感じだい?」


「全自動で部屋を掃除してくれるロボット掃除機があるよ」


「ろぼっと?そりゃ凄い。史緒里の部屋はきっとピカピカなんだろうね」


「ま…まぁね…」


痛い所を突かれる。私の部屋はとてもじゃないが綺麗ではない。


「未来にはどんな食べ物があるんだい?」


「んー、最近流行ってたのは…タピオカかな?」


私は流行りにも疎い。これはJKガチ勢に聞かれたら笑われるに違いない。


「たぴおか?なんだいそれは」


「カエルの卵みたいな黒いやつだよ」


「変な物が流行るんだねぇ」


美月は不思議そうに言った。


「未来には……

いや、これはやめとく」


何度かのやり取りの時、美月は言葉を濁らせた。


「なんでも聞いてよ。もっと凄いことも沢山あるよ?」


私はこの時、少し調子に乗っていた。美月はゆっくり首を横に振る。


「これ以上はいいんだ。もう十分楽しめたさ」

「本当に?」


「本当はもっと知りたいさ。

でも、全部知っちゃったら面白く無いじゃないか」


私は反省した。有頂天で何でも喋り過ぎていた。


「ごめん…」


「なんで史緒里が謝るのさ

それに史緒里が本当に未来から来たかどうかなんてまだ分からないだろ?」


美月は悪戯に笑った。


「それは…本当だもん」


私は頬を膨らませる。


「だから答え合わせは自分でする

この子達が創る未来を私は絶対この目で見たいんだ」


美月は隣の部屋で寝ている優、幸、和を見渡す。健やかな寝息を立てて、ぐっすり眠っていた。

「美月…」


言いようのない不安が私の頭を襲う。


「何不安そうな顔してるのさ。私は簡単には死なないよ?」


そんな不安を美月は簡単に言葉にしてみせる。そして頼もしく、それを否定する。


「うん、知ってるよ」


私はその最大の理解者でありたかった。


「だからさ、答え合わせの時は史緒里も付き合ってよ」


「えっ?」


「あんたはいつか未来に帰るんだろ?

それなら私の事をそっちの世界で迎えてくれよ」



突拍子もないような約束。でも、私と美月にしか出来ない約束。


「分かった。未来で待ってる」


どこかで聞いたような台詞を言う。でも大丈夫、美月にバレるのは当分先のはずだ。


「頼もしいね。じゃあ、これ」


美月は自分の髪から髪留めを外した。


「もし会っても、その時の私はもうおばあちゃんさ。だからこれを目印にさ」

私は無言でその髪留めを受け取る。深い青に黄色い装飾の施された可愛い髪留め。


「どう、似合う?」


嬉し過ぎて、すぐに自分の髪に留める。まるで子供みたいだ。


「よく似合ってる。べっぴんさんは何を付けても似合うねぇ」


ちょっと煽られた気もするけど、気分は最高だった。

「史緒里も何か私にくれないかい?」


唐突に言われて、私は必死にバックの中を探す。生憎、私は可愛い髪留めを持っている系JKではない。


「ごめん、これしかないや」


渡したのは鈴のついたストラップ。それも楽天イーグルス使用だった。

「アハハハハッ、隣のは鳥だね。なかなか良いもの持ってるじゃないか」


聞き慣れた鈴の音が夜空に響く。2人でそれを只々聞き入る。


「これが私たちの約束の印だね」


「史緒里って恥ずかしいこともさらっと言うんだねぇ」


私も言ってから思った。直に言われると恥ずかし過ぎる。

「でも、時間を超えた約束の印なんて最高だよ」


「私もそう思ったから言ったんだよ〜」


少し強がる。でも、嘘じゃない。大切な友との大切な約束だ。


「本当は帰っちゃうの少し寂しいんだけどね」


美月は独り言のつもりだろうが、音の無い夜には遮るものものが無い。


「どうやったら帰れるか探さないとね」


今度は、はっきり私に話しかける。その寂しそうな表情を私は一生忘れない。

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