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[小説]かきならせ、空! 第十話

 夏休みの終盤、空楽そらたちSTUNNUTSのメンバーは瑠海るみの家にある練習場で二泊三日の合宿を行うことになった。初日の朝、空楽と琴那ことなは同じバスに乗り合わせて向かった。六弦むげんはお父さんに車で送ってきてもらっていた。

「おはよう」

 瑠海はいつものサンダル履きに、短パンとTシャツという夏休みらしいいでたちで待っていた。

「親に話したらさすがに向こうの親御さんに挨拶しないとって話になって、送ってきてもらった。うちの父さんが瑠海の父さんと話して、じゃよろしくってなことに」

 六弦が言った。

「それで、雫はどうなったの? 来るの?」

「夜来るって。お風呂、温泉行くよって話をしたらそっから合流するって言ってた。それで一晩泊まって明日帰るって」

「まあそうだよね。ずっといても持て余しちゃうもんね」

 練習場には、休憩スペースの横に大きなクーラーボックスが置いてあり、ステージの正面には工事現場などで使うような巨大な送風機があった。

「クーラーボックスは飲み物入れるやつ。なんか持ってきてたら入れといていいよ。うちでも水とスポーツドリンクはいっぱい用意しといた。途中でも外出た時買ってこよう。正直、ここで練習してるとかなり暑いから汗だくになるんだよね。一応窓開けてるけど全然涼しくはない。だから送風機置いた。一応風は来るけど、まあ無いよりましってぐらい。あと庭のホースで水は浴びられるけどちゃんとしたシャワーはないんでお風呂まで我慢。マメに水分補給して、ほんと倒れないようにね。ぜったい遠慮しないでね」

「もちろん。なによりも一番大事なのはみんな元気でいることだから。調子悪かったら無理しないでね」

 空楽も念を押した。

「いくらいいバンドになっても体調崩したらライブできないからね」

 琴那は持ってきたボトルの水を飲みながら言った。

「まずはさ」

 空楽が手を挙げて話し始めた。

「まず、練習に入る前にさ。みんなそれぞれの、どんな音楽が好きとかさ、そういう話しない?」

「いいね」

 すぐに瑠海が賛同した。

「普段どんなの聞いてるとかさ、どんなのが好きとか、どういう風になりたいとかさ。そういうの話そうよ」

「そうね。特に瑠海とか六弦はすごい幅広く聴いてるじゃん。そのうえでどんな演奏家になりたいのかみたいな話は聞いてみたいね」

 琴那も言った。

「それでさ。それがこのバンドに合ってるかとかそういうの一旦置いといてさ。それぞれが自分の好きなものを全開で出したらどうなるのかやってみたいんだよね。ムチャクチャなことになってもいいから、一度やってみない?」

「熱いね。それが空楽から出てくるのが熱い」

「わたし、澤木さんの話聞いていろいろ反省したんだよね。今までわたしこのバンドであまりこうしようって提案とかしてこなかったなって。わたしがみんなを誘って始めたのに、全部みんなに任せちゃってた。このバンドをどうしたいのか、わたしがなにも見せてなかったと思ったんだよ。それでみんな、たぶんこうだろうってやってくれて、その結果、いい感じだけどただそれだけ、みたいなものになっちゃった。うまいメンバーを集めてただうまいだけのバンドをやりたかったのかって考えてみたらさ、ぜったいそうじゃないんだよ」

 力強く意見を言う空楽にみんな惹き込まれていた。

「わたし思ったんだよね。みんなこういう音楽をどうしたらセンス良く仕上げられるかみたいなのはできちゃうでしょ。それで普通のいいものができるとしたらさ、そのセンスみたいなものから一度離れてさ。デタラメでもいいからぶっこんでみたらどうかなと思うんだよ。すごくバランスの悪いものができるかもしれないけどさ、誰も思いつかないようなものになるかもしれないじゃない?」

「面白いと思う。きれいにまとまりすぎてるのがおれらの今の課題だからね。一度ぶっ壊してみるのはいい考えというか、多分それをやらないと見えてこないんだろうなって気はするね」

「こういうのがいいはず、みたいなところから一度離れてみよう。模範解答なんて、つまんないよ」

 琴那が頷いて「よく言った」と言った。

「よし、まずは好きなものの紹介から行こう。みんな自分の好きな音楽持ってる? 一応携帯とつなぐ線はいくつかあるけどこれで行けるかな」

 瑠海はケーブルがたくさん入ったプラスチックのケースをいくつか出してきてステージに並べた。

「たぶんこの辺のケーブルで携帯をミキサーにつないで音出して聴けると思うよ。誰からやる?」

「やっぱ言い出しっぺのわたしから」

 空楽は携帯端末を操作しながらミキサーのところへ行った。

「わたしが好きなものは多分みんなも大体わかってると思うんだけどこの辺のギターロック」

 空楽は最初にメンバーを集めたときにやった曲の元のものを流した。

「これとか、この辺。あと洋楽だとこの辺とか」

 ワンコーラス分ぐらい流しては他のアーティストを流す、という感じで空楽は好きなものを紹介した。

「ああ。これはじめて聴いたけど空楽がこれ好きっていうのはわかる。これなんていうジャンルなのかな」

「オルタナ? UKオルタナとかブリットポップみたいなところだと思う。イギリスのバンドだね」

「これきれいな感じに聞こえるけどかなり普通じゃないギター弾いてるね」

 聴きながら瑠海が言った。

「そうなんだよ。意外と普通じゃない感じのことをやっても曲は壊れてないと思うんだよね」

「次はあたしでいいかな」

 空楽の好きなものをひとしきり聴いた後、瑠海が交代して自分の端末をミキサーにつないだ。

「いろいろ考えないでただ好きなやつを紹介するってことでこれね」

 瑠海がかけた音楽は効果音のような様々な音から始まり、そこからヘビーなギターリフに突入した。

「この人はいわゆるスーパーギタリスト系の人で、テクニックも音の個性もなにもかもすごい」

 瑠海は適当なところで再生を止め、同じアーティストの曲をいくつか流した。

「あたしはこの人を目指してギター始めたんだよね」

「ふふふ」

 空楽が笑い始めた。

「ね、瑠海ぜんぜん違うじゃん。これを目指してるならこういうの弾こうよ」

「おれは最初、瑠海はこの人好きなんだろうなと思ってたんだよね。持ってるギターがそうだから。だけどぜんぜんそういう演奏しないから、もう卒業したのかなと思ってた」

 六弦も言った。

「正直に言うとこれをどこでやってもその音楽に合わないような気がして、出す場所が無かったっていうのはある。あたしが無いと思い込んでただけだけど」

 空楽は瑠海の目を見た。

「ここは瑠海のバンドだよ。瑠海はわたしのバンドを手伝ってるんじゃないんだよ。このバンドの中でやりたいことやる道を考えようよ。いいじゃんこんなちょっと真似できないようなギターさ。このバンドにあったら良くない?」

「あたしもっと自分に素直にやってみる。機材も見直してみるよ。ずっとオールマイティを目指してたし、それがあたしには向いてるんだと思って機材も選んでた。だけどそうじゃないわ。今こうやって改めてこれが好きだよって口に出してみたらさ。あたしがやりたいのはこれなんだよな」

 空楽はその言葉を聞いて深く頷いた。

「まず一つ、見えたね。じゃ次は六弦」

「おっけ。おれは瑠海以上に器用系なんだけどさ。ベースに入った最初は父さんがおれに聞かせてた古めのロックなんだよな。それで中学に入ってからいろいろ自分で探し始めてね。たどり着いたのが一つあるんだけど、だいぶすごい音楽なのよ」

 六弦が携帯端末を操作すると、聞いたこともない奇妙なベースのフレーズがシンプルなドラムの上に乗っている音楽が流れた。歌が入ってくると奇妙さが倍増した。

「ヤバいでしょ」

「すごいね。こんな音楽はじめて聴いた。このベースとんでもないことになってるね」

 空楽はスピーカーを見ながら言った。

「そうなんだよ。はじめて聴いたとき意味わからなくてただただ笑ってたよ、おれ。なんなんだこれって。おれの中の常識がさ、ベースがこんなことしたら歌いにくいんじゃないのかよ、って言うわけだよ。でもこの人さ、自分でこのベース弾きながら歌ってんだよ」

「これもさ。六弦がいつも弾いてるベースはもっとずっときれいだよね。このアブナイ感じは全然ないよね」

 空楽は六弦の顔を見た。

「そりゃあね。おれにもこれをこういうの好きかどうかわからない人のバンドでやる勇気はなかった。でもおれに足りなかったのは勇気じゃないね。覚悟だわ」

 六弦はそう言って自分で頷いた。空楽もそれを見て頷いた。六弦は端末を操作して同じバンドの別の曲を流した。

「むちゃくちゃかっこいいなこれ」

 琴那がノリノリで体を揺らしながら言った。

「ビートめっちゃかっこいいけどベースは変態すぎる」

「これもさ、常識的に考えたら多分イカレてるじゃんこのベース。だけど音楽は壊れてないどころか、圧倒的だよね。こんなの聴いたことないもん。すごい個性だよね。六弦、こういうのぶっこんでみようよ」

 空楽が言った。

「ヤバいなこれは。うちもハマりそうだわ。早速このアーティストフォローしとこ」

 琴那はそう言って自分の端末を操作した。

「最後は琴那だよ」

「おっけー。うちが好きなやつもだいぶヤバいよ。一応うちはほんと音楽なんでもかんでも好きなんだけど、ドラマーで一番好きな人のやつを流すね」

 そう言って琴那が流した曲は複雑なリズムの曲で、追いかけるだけでも大変そうなのにギター、ベース、ドラムがユニゾンで全く乱れのない演奏をしていた。

「すんごいねこれは」

「このドラムの人、とにかく音が好きなんだよね。どんな速いフレーズを叩いても一個一個が完璧に鳴ってて、曖昧な音が一つもない」

「これをどうやってここに持ち込むかだな」

「あ、この人がもう少し普通のロックをやってるバンドもあるんだよ」

 琴那はそう言って別のバンドで同じドラマーが叩いているものを流した。リズムこそわかりやすくなったものの、ギターやベースはかなりテクニカルなことをやっている音楽が流れた。ドラムのフィルインには空楽がこれまで聴いたことのあるドラムの四倍ぐらいの音が詰め込まれていた。

「うん。たしかに4分の4拍子ではあるけど、これも普通のロックではないと思うぞ」

 六弦は楽し気に言った。

「でもこの感じは持ってきても行けそうだよね」

「そもそも変拍子の曲をやるって手もあるし」

 空楽が言うと全員の視線が空楽に集まった。

「そうか。なしではないね」

 瑠海が言った。

「うん。固定観念を一回捨ててさ。なんでもありの状態からスタートしたい。いまみんなに聴かせてもらった音楽さ、わたしははじめて聴くようなのばっかりだった。瑠海が聴かせてくれたどうやって出すかわからない音のギターも、六弦の聴かせてくれた変態なベースも、琴那が聴かせてくれたとんでもない音数のドラムも、はじめて聴いたよ。それはさ、わたしが一人でやってたらぜったい出てこないんだよ。すごいうまいミュージシャンを雇ったってそうそう出てこない音だと思うんだよ」

「そうだね」

 琴那も頷いた。

「それをやればさ。このバンドにしか出せない音になるんじゃないかな」

「あたしたち、なにをすればいいか見えてきたね」

「俄然、面白くなってきたな」

 六弦はワクワクが顔ににじみ出ていた。

「それで提案。まずさ、タイヴァスの秋のライブイベントでは、夏祭りでやった曲をさ、アレンジを完全にやり直してやる。それと今回多分持ち時間的に4曲はできるから、あと2曲新しいのを作る」

「それ、夏祭りのを作り直すっていうのは、変化を見せたいってこと?」

「うん。こないだ言えなかったんだけどね。実は夏祭りの日に、タイヴァスの店長に言われたんだよ。バンドいらなくない? って。君一人でやったほうがデビューしやすいんじゃない? って」

「そんなことあったのか」

 琴那が驚いて言った。

「わたしみんながいなくなっちゃうのが怖くてさ。そう言われたことを言いだせなかったんだよ。でも澤木さんが同じようなことを言ってくれて、それを聞いてもみんないなくならないでそばにいてくれた。だからわたしはね、タイヴァスの店長に、バンドいらなくないだろ、っていうのを見せたい。これなら誰もバンドいらないなんて言わないだろ、っていうのを」

「たぶん全員同じ気持ちだと思う。そんなんで黙ってるあたしたちじゃないよ」

 瑠海は拳を突き出しながら言った。

「いろいろぶっ壊してすごいもの見せたろうぜ」

 琴那が拳を出して瑠海の横に添えた。

「おれら大事なことを忘れてたんだよな。おれら若いのよ。なんで高一で円熟の味みたいなとこ目指してんのよってね。若いな、青いなって言われたっていいよな」

 六弦が琴那の向かい側に拳を置いた。

「みんな全力の自分をぶつけてよ。大丈夫。わたしたち、バラバラにならないよ」

 空楽が瑠海の向かいに拳を置いて輪ができた。

「STUNNUTS。狂気を気絶させるはずなのに、どこにも狂気がなかったよ。一回イカレてるぐらいのとこまで行こう」

 空楽はそこまで言って仲間を見回した。

「行くぞ。狂気の先へ」

 空楽は叫んだ。

「おー」

 四人が合わせた拳を真上に突き上げて叫んだ。

「空楽がちゃんとリーダーになった」

 瑠海がほほ笑んだ。

「わたしもう、自分が一番未熟だとか言わない。どこまでもついてきてよ、わたしに」

 空楽は胸に手を当てながら言った。

「最初に誘われた日から、うちはずっとそのつもり」

 琴那が言うと、六弦が瑠海の肩に手を回して「おれらもな」と言った。

 午後、空楽たちは一度はできあがった曲のアレンジをゼロからやり直す作業に入った。最初の時は空楽がギターの弾き語りで録音してきた音を聴かせ、それをもとにあっという間にアレンジが出来上がった。そのアレンジを一度捨て、シンプルにメロディしかない状態からやり直すことにした。四人が楽器を鳴らしながらああでもない、こうでもないと言いあい、それぞれのアイデアを出す。出てきたアイデアに触発されてメンバーからさらに違うアイデアが出てくる。そこそこいいもので良しとせず、もっとよくならないか、他にできることはないかと言いながら作り上げていく。作ったものを全員で音出しして録音し、それを聞きなおしてみる。さすがにやりすぎじゃないか、むしろもっとこうしたらどうか、などさまざまな意見が出てくる。

「あとね」

 しばらくアレンジを考えながら音を出したところで空楽が言った。

「コーラス、入れられないかな」

「ハモりってこと?」

 瑠海が訊いた。

「うん。やっぱ部分的にハモりあったほうがかっこいいと思うんだよ」

「たしかにね。おれもあった方が良いと思う」

「歌いたい人」

 空楽はそう言って手をあげた。

「たぶん楽器弾きながら歌うの難しいからさ、できるかどうかとかいろいろあると思うんだけど、そもそも歌うの好きかどうかってところが大事かなと思うんだよね。歌いたくない人に無理強いはしたくないし」

「あたしさ」

 瑠海が手をあげながら口を開いた。

「歌自体は好きなんだけど、人前で歌うのは嫌というか、やったことないんだよね。学校の授業でみんなの前で歌うとかもしたくないタイプだったから」

 瑠海はそこまで言うとあげていた手を下ろして胸の前で握った。

「でも、空楽の歌とハモってみたい」

 瑠海の言葉が空楽の胸の中にこだました。

「ありがとう。なんか、そんなこと言ってもらえて嬉しい。歌おう、一緒に」

 空楽は受け取った言葉を嚙みしめながら言った。

「となるとマイクとマイクスタンドを買い足す必要があるね。こういうのはメンバーでお金出しあって買おうか」

 六弦が言った。

 その後の練習で、瑠海はマイクこそないものの、ギターを演奏しながらハモりを歌えるように声を出しながら練習した。マイクが無いので声は誰にも届いていなかったけれど、空楽は瑠海が真剣に歌いながら練習しているのに気づいていた。

 夏の気温と夢中で練習するバンドの熱気で四人は汗だくになり、スポーツドリンクのボトルがものすごい勢いで消費されながらあっという間に夕方になった。

「おつかれー」

 ちょうど何度目かの録音を確認しているところへ雫が入って来た。

「なに、これ全部飲んだの?」

 雫は休憩テーブルの周りに並んでいる空になったボトルを見て言った。

「想像を超える消費量だった」

 瑠海が言った。

「たしかに今日暑かったよね。それにしてもこんなに消費するとは、相当汗かいたんだね」

「Tシャツ三回絞れるぐらい汗出たよ」

 琴那が言った。

「ちょっと休んで外に出ますか」

 空楽が提案してみんなで倉庫から出た。北海道の夏は日が長いのでまだまだ明るさはあったけれど、気温はだいぶ下がって過ごしやすくなっていた。

「うひょー、風が気持ちいいね」

「よし、雫来たばかりだけど、お風呂行くか」

 瑠海が言った。

「どこに行くの?」

「華の湯」

「それどこにあるの?」

「東神楽の奥の方。なんかオートキャンプ場とかあるところ」

「どうやって行くんだよ。まさかまた自転車じゃないだろうな」

 六弦が訊いた。

「自転車だとさすがに帰り真っ暗闇を走ることになっちゃうから、お父さんに車で乗せてってもらおう」

「車って、全員乗れるの?」

「うん。うちの車八人乗りだから。お父さん呼んでくるわ」

 瑠海はそう言うと母屋へ入っていった。

「じゃ、うちらはお風呂に持っていくもの用意しとこうか」

 空楽は残ったメンバーに声をかけて練習場へ戻った。

「うち一応着替えのTシャツたくさん持ってきたんだけど、結局今日一日ぜんぜん着替えなかったわ」

 琴那は大きなバックパックからトートバッグに着替えと風呂道具を移し替えながら言った。

「あ、途中着替えるなら言ってくれればおれその間外に出てるよ。遠慮なく言って」

「ああ。別に六弦がいるからじゃないよ。いても着替えるし普通に」

「いや言ってよ。おれが気にするわ」

 空楽は二人のやり取りを見て笑いながら荷物を用意した。空楽たちが荷物を用意して練習場から出てくると、瑠海のお父さんが車を準備していた。

「むこうでなんか食べてくるかい?」

 瑠海のお父さんが言った。

「食べるところあるんですか?」

「一応食堂みたいなのはあるよ。カレーとかラーメンとか、そういうスパにありそうなやつは食べられる。ただ夜8時までしかやってない」

「あまり長風呂しなければ食べる時間もあるよ」

 瑠海が補足した。

「じゃあ出発しよう」

 メンバー四人に雫を加えた五人は瑠海のお父さんが運転するミニバンに乗って出かけた。エアコンはかけずに窓を開けて走った。一日活動した若い身体に残る熱気を、北海道の夕暮れを吹き抜ける風が冷ました。車は二十分ほどで目的地に到着した。

「なんか、申し訳ないけど六弦だけ別行動みたいになっちゃうね」

 空楽が言った。

「おれ温泉好きなんでまったく問題ないよ。おれは適当にくつろいでるからそっちはそっちでゆっくり入っといで。上がってきたら上の食べるとこでなんか食べてるから探してくれ」

「おっけー」

 大きな風呂を堪能した五人は瑠海のお父さんと一緒に軽食コーナーで学食みたいな食事を楽しみ、窓を全開にした車で夜風に吹かれながら帰ってきた。送迎してくれた瑠海のお父さんに礼を言って五人は練習場に入った。

「この辺にタオルとか適当に干して。自分のどれかわかんなくなんないようにね」

 瑠海はそう言って折りたたみ式のタオルハンガーを三つ出してきて広げた。

「それこのために買ったの?」

 琴那が訊くと、瑠海は「うん」と答えた。

「ここにそういうなんかうちらの練習用のものを買うのはさ、なんかバンド費みたいなのみんなで出しあおうよ」

「そうだね。さっきマイクの話も出てたし、他にもいろいろ買うことになりそうだし」

「部費みたいにメンバーで毎月いくらとか決めて集金しといて、それでこういうみんなで使うもの買うのが良いかもね」

「あと必要なものは、ジンカラを作るためのフライヤーだろ」

 六弦が言うと、琴那が「それと冷蔵庫」と付け加えた。

「瑠海、あいつらここに住むつもりだぞ」

 雫が笑いながら言った。

「冷蔵庫の話する前にどうやって寝るか考えないと」

 空楽も笑いながら言った。

「ステージのこっち側は下が土だからさ。基本ステージの上で寝る感じでしょ。五人寝るのにはちょっと狭いかもよ」

「あ、いいものがいっぱいあるわ。ちょっと持ってくるね」

 瑠海はそう言って出て行くと、数分で両手にいろいろ持って戻って来た。

「まずこれ。キャンプコット」

 瑠海がアルミの折りたたみフレームみたいなものを広げると、キャンバス風の布地がピンと張られた。

「すごい。なにこれ?」

 空楽が声を上げた。

「キャンプコットっていって、キャンプ用のベッドみたいなもんだね。下が土とか砂利とかのところにこれ広げると寝られるんだよ」

「これあったら土間の方にも寝られるね」

「うん。これ二個ある。あとこれ」

 瑠海はそう言うとなにやら筒状の袋を掲げた。

「それは?」

 瑠海は袋から円筒状に丸められた何かを取り出して広げた。

「これはエアマット。空気入れると膨らんで、こういう下がデコボコのところでも寝られるようになるよ」

「なに、瑠海んちキャンプよく行くの?」

 琴那が訊いた。

「いや、もう何年も行ってない。むかし、あたしが小さいころにはときどき行ってたんだけど。まさかこんなところでキャンプの道具が役に立つと思わなかった」

「それさ。むしろステージで寝袋で寝るよりそっちのほうが寝心地いい説もあるよ」

「これどっちもそんなに高くはないから人数分買っといてもいいかもしれない」

「とりあえず今日のところはあるだけ広げてみるか」

 六弦はそう言って瑠海がすでに広げたキャンプコットをステージに近い土間に置いた。

「寝る前、寝っ転がってダベるでしょ? 近めに置いた方がいいよね?」

 琴那がもう一つを広げてその隣に少し離して置いた。

「ちょっとあたしこれ膨らませてくるね」

 瑠海はそう言って出て行き、すぐにパンパンに膨らんだエアマットを抱えて戻って来た。

「おい、やけに早いな」

「ん? ああ。なんかコンプレッサーでやるからさ。あっという間に膨らむよ」

「おまえんち装備がヤバいな。なんでもあるじゃん」

「父さんがオタクだからね」

 瑠海はそんなことを言いながら二つのキャンプコットの間にエアマットを置いた。

「寝心地的にはこのエアマットが一番いいと思う。ただ、これ実際のキャンプだと地面に近いから虫が上ってくるんだよね。コットの方は高さがあるから虫の害が幾分マシ」

「ここなら虫の問題は無さそうだけどね」

「そうだね。まあこんな感じで、三人こっちであと二人がステージで寝袋かな」

「おれステージで寝袋でいいよ。寝袋持ってきたし」

「わたしも寝袋あるよ」

 六弦と空楽はそれぞれ荷物から畳まれた寝袋を取り出した。

「うちは別に床に直でもいいぞ。家でもたまにフローリングの上に転がったまま朝になるし」

「どういう暮らししてるんだよ琴那は」

「寝相悪い人は?」

 瑠海が手を挙げながら訊いた。

「このコットとかエアマットから転げ落ちると土の上だからさ。寝相悪い人はステージに寝たほうがいいと思う」

「自分の寝相はわかんないな」

 寝相の悪さを自覚しているメンバーはいなかった。

「オーケー」

 空楽がひときわ大きな声を挙げて真ん中に進み出た。

「みんなどこでもよさそうだから指名しちゃおう。まず一番背の高い雫が長いコット。次に背が高いのは琴那だけど、瑠海のほうが虫に弱そうだからこっちのコットは瑠海。琴那は虫にまみれても平気そうだからエアマット。で、わたしと六弦がステージに寝袋。これでいこう」

「さすがに虫にまみれたくはないよ」

 琴那は笑いながらエアマットの上に寝そべった。

「おー。これは気持ちがいいね」

「こういうエアマットをもういくつか買おうか。ステージでもこれの上に寝たら寝袋より快適だと思うし」

 瑠海がコットの上に寝そべりながら言った。

「バンド費案件だなそれも」

 六弦はステージに自分の寝る場所を確保しながら言った。

「ねえ」

 雫がコットの上で居ずまいを直しながらうつぶせになり、重ねた両手の上に顎を乗せて言った。

「合宿今日始めたんでしょ。今日が一晩目だよね」

「うん」

 空楽が答えた。

「一日ですごい結束力上がってるね」

「そうかな。そうかも。みんながどんな音楽好きなのかとかよくわかったし、お風呂で女子トークもしたしね」

「化けるね、これで」

「もち。秋のイベントまでに完全に生まれ変わるよ」

 空楽は親指を立てて見せた。

「そうだ、雫に頼みたいことがあるんだけどさ。雫これまでも撮影とかしてくれてるでしょ。録音とかも手伝ってもらってさ。それをネットに公開したりするの、手伝ってもらえないかな」

「ネット担当?」

「というかいろいろサポート。雫機材とか詳しそうだし、得意かなと思って。なんか夏祭りに出てた人たちもさ、みんなオンラインで活動してたでしょ。ああいうの、わたしたちもやったほうがいいと思うんだよね。でもメンバー誰もそういうのやってないし、みんなあんまりそういうの強そうじゃないからさ」

 空楽が言うと雫は寝そべっているメンバーたちを見回して「なるほど」と言った。

「いいよ。じゃ僕がその辺引き受けるよ。ただ録音は、録音そのものはいろいろ知識もあるんだけどさ、そのあとのミックスとかマスタリングはあまり自信ないんだよね」

「ミックスは音のバランスを取る作業でしょ。マスタリングっていうのはなに?」

「マスタリングっていうのはミックスが終わって完成した音を使う目的に合わせて調整する作業のことだよ。CDに収録するのと配信するのでは最適な音の状態っていうのが違うし、細かく言えば配信するサービスによっても求められてる仕様が違ったりするんだよね。ミックスが終わった状態のものを、そういう最終的なメディアに合わせて調整するのがマスタリング。正直、僕はこの部分はよくわかってない」

 雫はうつぶせのまま説明した。

「そうなんだ。難しいね」

「だから録音は僕が手伝って、録音したものは友成くんにミキシングとマスタリング頼んだらどうかな」

「友成くんそういうのできるの?」

「生バンドの録音ではやったことないだろうけど、普段DTMではミキシングもマスタリングもやってるはず。実際彼は自分の作ったものを配信サイトで配信したりしてるから、サイトに合わせたマスタリングとかにも詳しいと思うよ。頼んでみるよ」

「やった。やっぱ雫がいると心強い」

 空楽は広げた寝袋の上に座った。

「ちょっと見ない間に空楽が変わったね。ぐいぐい引っ張ってる」

「正直、自分にどの程度力があるのかはわからないけどさ。信頼できる人たちがわたしの歌をいいって言ってくれたんだよ。なのにそれを自信にしないのは失礼だよねって思ったんだよね。このメンバーだって、どこへでも行けるのにみんなここを選んでくれたからね。わたしがちゃんと引っ張ってこうって思ったんだ」

 空楽は照れながら言った。

「なんか空楽には、底が知れない面白さがあるね」

「そう。面白い景色を見せてくれそうだっていう気配がある」

「だからうちらもついていく」

 雫の言葉に瑠海と琴那も同意した。

「それが確認できただけでも、夏祭りに出て良かったよな」

 六弦が寝袋の上に転がったまま言った。

「ていうかあそこに出てたすごい人たちのおかげだよ。ちょっと天狗になりかけたあたしたちをへし折ってくれたからね」

「おかげで大事なことがたくさん見えたもんね」

「この合宿だってそのおかげでやることになったんだしね」

 五人はお互いを見回しながら頷きあった。

「次のイベントにもきっと出てくるだろ、あそこに出てた人の中の何人かは」

「楽しみだあ」

 空楽は寝袋の上に転がって仰向けになった。

「タイヴァスでライブするのが楽しみだし、またすごい人たちと対バンするの楽しみだ」

「ほんと、空楽の顔がさ。今までなんかかぶってたのかい、ってぐらいさっぱりしてるんだよ」

 瑠海が空楽を見下ろしながら言った。

「それは、みんなそうかもよ。瑠海もさっぱりした顔してる」

 琴那も寝返りを打って瑠海を見上げながら言った。

「風呂入ったからじゃなくて?」

「いや、それいつから風呂入ってなかったんだよ」

 六弦と琴那のかけあいでみんな笑った。五人の笑い声に包まれながら、永遠のようで束の間の夏の夜が、たしかに少しずつ更けていった。

《つづく》

#創作大賞2024 #お仕事小説部門

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