[小説]かきならせ、空! 第八話
晴れてメンバー全員が帰宅部となったSTUNNUTSは、平日の放課後もしょっちゅう瑠海の家の練習場に集まって練習するようになった。さすがに雫は平日は合流せず、自分の音楽制作をすることが増えた。空楽は完全な手探りで一曲目を作ったあと、瑠海との練習を経てギターのフレーズから曲を作るという方法も覚え、さらにもう一曲を作った。毎日のように顔を合わせて曲のアレンジを詰め、リズムトレーニングなどの基礎練習も一緒にやるようになった。琴那と六弦のリズム隊によるリズムトレーニングはメンバーの演奏力の底上げにとても有効だった。特に最も未熟だった空楽はわずかな期間で見違えるほど上達していた。バンドに没頭しすぎた空楽は期末試験の成績が暴落して補講を受けることになったのだけれど、同じように練習していたはずの他のメンバーは特にそんなことにはならなかった。
北の町に短く暑い夏が到来し、高校は夏休みに入った。すぐに夏祭りの本番がやってくる。空楽たちSTUNNUTSのメンバーは毎日朝から弁当持参で練習場に集まり、夜まで練習するという日々を送っていた。
「この一か月弱で一気によくなったんじゃないかって気がする」
瑠海が言った。
「それぞれもともとうまかったけど、やっぱこんだけ同じメンバーで練習し続けたからまとまりは格段に良くなったよね」
琴那も同意した。
「夏祭り、どんな人たちが出てくるのかな」
空楽が言うと六弦が「一応出演者は発表されてるよ」と言って携帯端末で情報を検索した。
「ほら。名前しかわからないけど」
「このMs. CHAOS ってのが雫」
瑠海が画面を指さしながら言った。
「え、そうなの?」
「うん。みんな雫のパフォーマンス見たことないでしょ。高校生だとクラブではできないらしくて人前でほとんどやってないけど、すごいかっこいいよ」
「そうなんだ。楽しみだね」
「今回雫が使う音素材はほとんどこのバンドの音らしいし、それも見ものだね」
「それが間接的に共演って言ってたやつか」
空楽はいつか実演して見せると言われたまま結局一度も見せてもらっていない雫の演奏を想像しようとしてみたけれど、どんな楽器を使うのかさえ想像できなかった。
「このMerry は芽里だね」
「芽里ちゃんは今回はソロで出るって言ってたからカラオケ流してギターだけ弾くのかな」
空楽が言うと瑠海が「そうだと思う」と答えた。それを聞いて琴那は「学祭のときのあのベースとドラム連れてきてバンドで出ればいいのに」とつぶやいた。
「それでSTUNNUTSはうちらで、あとロシアンルーレット、国士夢想、Liian。この辺は全部バンドなのかな」
「名前だけだとよくわからないね」
「国士無双ってお酒の名前だよね。字が違うけど」
「地酒だね、高砂の。でももともとは国士無双っていうのは麻雀の役の名前だよ」
六弦が説明した。
「へえ麻雀。じゃ麻雀の名前をお酒につけたってことなのか」
「たぶん」
「この国士夢想はどんな人たちかな」
「これはさすがにバンドだと思うけどね」
「ね、うちらが最年少かな」
空楽が乗り出し気味に言った。
「おれたち高一だから中学生が出てこない限り最年少だけど、でも芽里も雫も高一だから、おれらも入れて高一が三組も出てるけどね」
「そうなんだよなあ。しかも芽里も雫もすごいでしょ。最年少すごすぎでうちら目立てないかも」
「とはいえ、うちらはバンドだから、やっぱ音の迫力ではちょっと目立つんじゃないかな」
「だいぶまとまりもよくなったしね。そこらの軽音バンドよりはだいぶいいんじゃないかって気はするね」
「だよね。いいよねうちら」
学祭後の一か月じっくり腕を磨いたことで、四人は演奏力だけでなく、自信もつけていた。確かに上達しているという手応えが、いつしか周囲と比較しても抜きん出ているはずだという根拠のない自信を膨らませていった。四人全員が、夏祭りのステージでこのバンドが圧倒的な評価を得てちやほやされるという未来を疑っていなかった。
*
夏祭りの当日、駅前商店街は部分的に車の通行を止めて露店が出たり特設ステージが作られたりし、見慣れているはずの場所が非日常感に包まれていた。和太鼓の団体やよさこいのチームも出し物を行うため、それぞれの衣装に身を包んだ人たちがそこここに集まっている。普段の様子からは想像できないほど多くの人がいて、夏の気温も相まって町全体が熱気を帯びていた。
「この時期になると、この町にもこんなに人が住んでるんだなって毎年思うよ」
空楽が言うと琴那が「わかる」と同意した。
バンド出演が行われる音楽ステージはテント屋根のついた屋外ステージで、ステージの正面にこちらも小さめのテント屋根のついたPAブース、いわゆる大きなミキサーなどがある音響スタッフのいる場所が設けられていた。機材、音響周りは商店街にあるライブハウス、タイヴァスが全面的に協力している。野外ステージ用のPA機材などは専門の業者からレンタルで借りてきたものだが、それを操作するオペレーターはタイヴァスのスタッフだった。音楽ステージの出演者はステージ横に建てられたテント屋根の下に集合することになっていた。
空楽たちははじめてのステージということもあり、事前に雫も含めた五人で集まって一緒に集合場所に来た。
「おはようございます」
空楽たちが挨拶をしながらテント屋根に入っていくと、すでにバンドらしき人たちが一組来ていて、用意されていた椅子に座っていた。
「おはようございます。今日はよろしくお願いします」
座っていた人たちが立ち上がり、挨拶をしてお辞儀をしたので空楽たちも慌てて頭を下げた。相手のバンドは男性が二人、女性が二人だった。お辞儀をして顔を上げると、女性の内の一人が声を上げた。
「あれ。空楽?」
「え? あ、喜多楽?」
「空楽もバンドやってたとは。ギター、始めたみたいだね」
喜多楽は空楽の背負っているギターを見て言った。
「なに、空楽の知り合い?」
瑠海が訊いた。
「うん」
「龍が嶺高校の長 喜多楽と言います。わたしたちは龍が嶺高校の軽音部のバンドで、ロシアンルーレットです」
喜多楽がそこまで言うと、横から体格の良い男子が「じゃ、バトンを引き継いであとは僕が」と言って空楽の前に立った。
「僕はこのバンドのリーダーでベースの広庭 敏志と言います。龍が嶺の二年生です。このバンドはギターの長以外は二年生です。こっちの男がドラムの上篠 鼓道で、そこの女子がボーカルの良浦 実菜です。よろしくお願いします」
敏志がそう言って頭を下げると、メンバーもみんなお辞儀をした。
「こちらこそよろしくお願いします。こちらも紹介しますね。わたしたちはSTUNNUTSというバンドです。わたしはギターボーカルの御奏空楽です。喜多楽とは中学が一緒でした。それほど親しかったわけじゃないんですけど二年生の時同じクラスでした。こっちからギターの雪野瑠海、ドラムの家城琴那、ベースの戸寺六弦です。わたしとドラムの琴那が北高、ギターの瑠海とベースの六弦は東高で、みんな一年生です。今日はよろしくお願いします」
空楽が頭を下げ、メンバーも続いた。
「ついでみたいですが僕も自己紹介しますね。今日MS.CHAOSっていう名前で出演する水無川雫と言います。僕も空楽たちと同じ北高の一年生です。今日はハウスミュージックみたいなのをやります。よろしくお願いします」
そう言って雫も頭を下げた。
「とりあえず、多分椅子人数分あるから座って」
ロシアンルーレットのドラマー、鼓道が空楽たちに促した。
「はい」
それぞれに楽器ケースを机に立てかけたり荷物を降ろしたりしているとテントに女性が入ってきた。
「音楽ステージに出演するみなさん、おはようございます。あ、座ったままでいい」
腰を浮かせたメンバーに手で座るよう示しながら女性が言った。
「わたしは今日のPAを担当するタイヴァスの風間 喜美です。いつもライコさんって呼ばれてるんで皆さんもライコさんって呼んでください。風間さんって呼ばれても自分だと認識できない可能性があります」
ライコはそう言って大きな口を開けて笑った。
「今日は若い人が多いんで、ライブはじめてだっていう人もいるかもしれません。まあなんかわかんないこととかあれば、気軽に聞いてください」
「おはようございます。すみません、もう始まってました?」
そう言って入ってきたのは芽里だった。ライコはそれを聞いて腕時計を見た。
「大丈夫。まだ集合時間になってないんで」
「おはようございます」
もう一人、芽里よりもさらに小柄な、ギターを背負った少女が入ってきた。
「はい、おはよう。空いてるとこに座って」
ライコが指示すると、その少女はちょうど空楽の隣へやってきた。
「おはようございます。ここ、いいですか?」
「あ、うん。どうぞ」
空楽が慌てて答えると少女は空楽の隣の椅子に腰を下ろした。
ライコは何枚か紙がセットされたクリップボードを見ながら座っている面々を見回した。
「えーっと、あと来てないのは国士かな。ちょっと出席をとるね。呼ばれたらメンバー全員手上げて。えーっと、ロシアンルーレット」
敏志が「はい」と言ってロシアンルーレットの四人が手を上げた。ライコはその顔触れを一人一人確認しながら手元の紙になにか書き込んだ。
「はい。次、STUNNUTS」
「はい」
空楽が返事をし、メンバーが手を上げる。ライコはやはりその顔触れを一人一人確認しながらなにか書き込んだ。
「おっけー。次、Liian」
ライコが言うと、空楽の隣に座っていた少女が「はい」と手を上げた。
空楽がなにげなく顔を向けると、意図せず少女と目が合った。
「わたし美濃澤 璃安です。Liianという名前で活動してます。光栄中学の三年生です」
璃安は手を下ろすと小さめの声で空楽に自己紹介をした。
「え。中学生なの?」
空楽が驚いて訊くと璃安は「はい」と答えた。
「わたしは御奏空楽。北高の一年生です。よろしくね」
「よろしくお願いします」
璃安は座ったまま会釈した。
「えっと。MS.CHAOS」
ライコが続けると雫が返事をして手を上げる。
「そして、Merry」
芽里は手を上げて「はい。わたしです」と言った。ライコはそれを見てペンで手元の紙を叩きながら「やっぱあと来てないのは国士の連中だけだな」とひとりごちた。
「あと一組来てないんで、申し訳ないけどもう少し待っててください。その間になにか聞きたいことあれば答えるけど質問ありますか? 細かい今日の段取りなんかは全員揃ってから話すんでそれ以外で」
ライコはそう言うと集まっている面々を見渡した。すると雫が手を上げ、ライコは雫の方を指さしながら促した。
「あの、失礼じゃなければ聞かせてほしいんですが、なんでライコさんって呼ばれてるんですか?」
「ああ。そうね。風間喜美のなにをどうすりゃライコになるのかと。正直わたしにもわけがわからんのだけど、タイヴァスの灰谷さんって店長がね、F1好きなんですよ。わたしの喜美って字は喜ぶに美しいって書くんだけど、“キミ”って読めるでしょ。F1ドライバーにキミ・ライコネンって人がいるらしくて、“キミだからライコやねん”とかわけわかんないことを言われて、それからライコって呼ばれてるんですよ。店長がわたしをライコって呼ぶもんだから、みんなライコさんって呼ぶようになったというわけです。みんなもライコさんって呼んでくれていいよ。ちなみにわたしはそのキミ・ライコネンって人がどんな人かは知りません」
質問した雫以外の出演者たちもみんなライコの回答を聞いて頷いていた。
「ざいやーす。あ、ライコさん久しぶりー」
いかにもバンドマン風の四人組が現れてひときわ大きな声で挨拶しながら近づいてきた。ライコは大げさな動きで腕時計を見ると「二分遅刻」と言った。
「マジで。二分しか遅れてない? すげーくない?」
「おまえらが最後だけどな」
「あ。すいません」
そう言うと四人のうちの一人がテントの下にいる面々に向かって頭を下げ、他の三人も続いた。
「おれらは国士夢想ってバンドです。おととしまでタイヴァスによく出てたんだけど今は東京で活動してます。これに出るんで久々に実家に帰ってきた感じです。今日はよろしくお願いします」
「今回みんな若い子ばっかで、おまえらだけおっさんだから。ちゃんと手本になるようにやれよ」
横からライコが真剣な顔で言った。
「マジっすか。おれらおっさん枠なんすか。まだ二十二歳っすよ」
「他は全部高校生以下なの。二十二はおっさん」
「えー。おれらがおっさんだったらライコさん完全におばさんっすね」
「やかましい。完全にってなんだ完全にって」
彼らの慣れたやり取りを、他の出演者たちは戸惑いながら眺めていた。
「よし。おまえらも空いてるとこに座れ」
ライコの一声で国士夢想のメンバーもテント内の椅子に座った。
「これで揃ったね。今日はバンドが三組、ソロが三組で全部で六組の出演です。この後各バンド逆順でサウンドチェックをして昼から本番です。本番は各自、自分の出番の五分前までにステージ袖に集合してください。チューニングは事前にしておいて、ステージ上では微調整ぐらいにしてください。バンドの転換のところは私がステージ周りのサポートをするけど、一人なんでなるべくセッティングはシンプルにしといてください。サウンドチェック終わるまでは悪いけど全員ここにいてください。待ち時間が一時間近くなる人も出ちゃうけどそこはご了承ください」
「PAは店長っすか?」
国士夢想の人が訊いた。
「うん。灰谷さんと私でやる。私は主にステージ側のサポート。じゃさっそく国士は準備して」
「あ、おれらが最初?」
「おまえらがトリだからな。逆リハで最初。サウンドチェック終わったら抜けていいけど必ず本番五分前には準備を終えてここに待機」
「おっけーっす」
国士夢想のメンバーがそれぞれ楽器を手にステージへ上がっていった。その様子を見て足を止め始めた通行人たちに、ライコは「まだ準備中です。本番は昼からなのでまたその頃来てください」と声をかけた。
「サウンドチェック見ようぜ」
ロシアンルーレットの鼓道がそう言って立ち上がり、ステージの見えるところへ出た。彼のバンドのメンバーが続き、空楽たちも後に続くと、他の出演者たちもみんな続いて出てきた。
「これ見とかないといきなり自分らの番だと何していいかわからないからね。見といたほうがいい。サウンドチェックの最初がベテランのバンドなのはありがたい」
鼓道が言うと、集まっていた出演者たちはみんな頷いた。
「キックからください」
PAさんがPAブースから言うとステージ上のスピーカーから声がした。その指示に従ってドラマーがバスドラムを一定のリズムで踏む。PAさんが何か操作するとステージから聞こえてくる音が変化した。
「ああやってドラムの一つ一つの出音を調整していくんだよ。つまり客席に聞かせる音を作ってく、ってこと」
鼓道が説明すると、空楽の横にいた璃安が頷いた。
「次、スネアください」
ドラムのサウンドチェックはこんな調子でドラムセットのパーツそれぞれに対して行われた。ある程度調整したところで「じゃ、全体で」と指示が飛び、ドラマーは8ビートのリズムを叩いた。ドラムの調整が終わるとベースのチェックが始まった。ベーシストがいくつかのフレーズを弾く。PAさんから「他に音色ありますか?」と質問が飛び、ベーシストは「歪みがあります」と言って足元のエフェクターを踏んでまたフレーズを演奏した。図太く歪んだベースの音が響いた。ベースを一通り確認し、次はベーシストがコーラスを歌うためのマイクの調整になった。
「あ、あ、あー」
ベーシストがマイクに向かってハミングのような声を出す。
「オーケーです。次ギターお願いします」
PAさんの声が響き、ギタリストが音を出す。PAさんが「一番レベル上がる音ください」と言うと、ギタリストは足元のペダルボードを踏んでやまびこ効果のかかったディストーションサウンドを鳴らした。
「あれは一番音量が大きくなる音色を鳴らしてくれ、っていう意味だね。一番デカい音が来たときに音が割れたりしないように調整しておくというわけ。あと、ギターとかベースは基本ステージ上のアンプの音量は控えめにしといたほうが、客席に届く音がよくなりやすいよ。ステージのアンプの音がデカすぎるとそれが客席に届いちゃって、PAさんの方で調整できる範囲が減っちゃうんだよね。だからステージ上は控えめにしといてPAさんにバランス取ってもらった方がお客さんに届く音は良くなる」
鼓道の説明を聞いて瑠海がしきりに頷いていた。
ギターのサウンドチェックが終わり、ボーカルの番が来た。国士夢想のボーカルは楽器を持たずに歌うようで、ステージに手ぶらで立っていた。
「ヘイ、ヘイ、ヘイ」
ボーカリストはけっこうな強さで声を出した。
「あーあーあー」
続いて長い音で高い音から低い音と行ったり来たりした。
「オーケーです。じゃ曲でください」
PAさんが言うと、ボーカリストが「一曲目のサビから行きます」と言ってドラムのカウントが入り、全パートの音が同時に放たれた。ベーシストがコーラスを歌ってハーモニーを聞かせていた。十六小節ほど演奏して音がやみ、ボーカリストが「ボーカルにもう少しベース返してください」と言った。
「ステージ上には演奏者が聞くためのモニタースピーカーがあるんだよ。それぞれ自分の近くのモニターから出てる音を聴いて演奏するから、自分が演奏するときに聞きたい音が返ってくるように注文して調整してもらうんだ。あれは自分の演奏に直接かかわってくるところだから、聴きたい音が聞こえにくかったらちゃんと遠慮せずに言わないといけない」
鼓道の補足を聞いて空楽は深く頷いた。
「このバンド、すごいかっこいいね」
琴那が空楽に肩を寄せながら言った。
「うん。わたしもそう思う。難しいことしてない感じなのにすごくまとまってて、なんて言えばいいのかわからないけど、ちゃんとバンドしてる音だよね。一体感ていうか」
「じゃもう一回」とステージから聞こえ、ドラムのカウントからさっきと同じ曲の同じ部分が演奏され、今度は八小節で止まった。ボーカリストが「オッケーです。ありがとうございます」と言った。PAさんが「じゃ他よければこれで行きます」と言うと、ボーカリストが「本番よろしくお願いします」と言って頭を下げ、他のメンバーも口々に「お願いします」と言ってから楽器を片付け始めた。
「こうやってサウンドチェックして、PAさんはそれぞれのバンドのセッティングを書き込んだり、機材に記憶させたりしていくんだよ。それで本番のときはそのバンド用のセッティングにして音を出す。だいたいは今日みたいに逆リハって言って本番の出演順をさかさまにしてサウンドチェックするか、または二番目の出演者から順番にやって最後に一番最初に出るバンドをやるか、どっちにしても最初に出るバンドのサウンドチェックを最後にやって、そのセッティングのまま本番を迎える、っていうのが一般的だね」
鼓道は今日の出演者全員に向けて説明した。
「ありがとうございます。教えてもらって助かりました」
瑠海は鼓道に例を言って頭を下げた。
「おれもそんな経験値高いわけじゃないけどさ。はじめてのときマジでなにしていいかわかんなかったから、教えられること教えとこうと思って」
その後のサウンドチェックは国士夢想の時よりもあっさりした内容で、基本的なセッティングは国士夢想で確認したものをベースにするようだった。雫は空楽にはよくわからない機材をいくつか持ち込み、それを駆使して踊れそうなビートを鳴らした。音量が変わらないスタイルらしく、サウンドチェックは音量の確認としゃべるためのマイクの確認だけであっという間に終わった。雫の次が空楽たちSTUNNUTSで、楽器ごとの音の確認をした後、ワンコーラス分ぐらいを演奏した。いつもの練習とは音の聞こえ方がまったく違ったけれど、足元のスピーカーから六弦のベースと瑠海のギターが聞こえ、背中には琴那のドラムが届いていた。空楽はこの音の中でなら存分に歌えると感じて、特に何も注文はしなかった。六弦が自分のモニターにハイハットを返してくれと言ったぐらいでSTUNNUTSのサウンドチェックは終わった。
その次はLiianこと璃安で、空楽は今回最年少の出演者である璃安に興味があって、撤収もそこそこにステージを見つめた。璃安は空楽が持っているのと似た形で青緑色をしたギターを提げてステージに現れた。PAさんが「バッキング流すのでワンコーラスぐらいやってみてください」と言い、伴奏の音が流れた。ドラムのフィルインの後で入ってきたギターの音を聴いて、空楽ははじめ、その音がどこから来たのかわからなかった。大人っぽいシャッフルビートの曲で、ギターもまっすぐなロックサウンドではなく、少しジャリっとしたブルース風の音で気だるさを引きずって響いていた。璃安が歌い出すとその場にいた全員が度肝を抜かれた。独特の世界を持った大人っぽい歌いまわしで、声にも深みがあった。出てくる音と本人の外見があまりにもかけ離れていて、見ていて脳の処理が追い付かない感じがした。璃安はある程度歌って演奏を止め、「大丈夫です」と言った。演奏したのはわずかな時間だったけれど、そこに居合わせた全員が、璃安の存在に惹き込まれていた。
「あの子何者?」
瑠海が空楽の耳元で言った。
「中三だって言ってた」
「どういう生き方してきたら中三でああいうことになるんだろ」
「艶っぽいというかなんというか、よくわからないけど大人の色気ってああいう感じなんじゃないかって気がした」
璃安がステージから下がり、次はロシアンルーレットの面々がステージに上った。PAさんが「ドラムからお願いします」と言い、ドラマーの鼓道が重い8ビートを叩き始めた。その圧倒的な迫力に空楽たちは釘付けになった。空楽は、六弦が良く鳴ると評した琴那のドラムもかなりの音量だと思っていたけれど、鼓道の音はそんなレベルとは比較にならなかった。シンプルなフィルインがものすごい太さで鳴り響き、シンバルも円盤の隅々まで振動しきっているような鳴り方をした。ドラムに続き、ギター、ベース、ボーカルのチェックが終わり、ワンコーラス分の演奏が始まった。曲はシンプルなロックだったけれど、迫力が段違いだった。ギターもベースも身体の内側まで響くような音だった。図太いサウンドの上に高音で声量のあるボーカルが乗り、強いコントラストで調和していた。
「すごすぎる。龍が嶺の軽音こんなのがいるのか」
琴那が半分放心したみたいな顔で言った。
サウンドチェック最後は、本番ステージのトップを切るMerryこと芽里だった。芽里は学祭でバンドで演奏した曲を、伴奏を流してギターを弾きながら歌うというスタイルでやるようだった。サウンドチェックはあくまで音の確認なので、芽里の魅力はまったく発揮されない。淡々と演奏されるとそれほど強い印象を受けないことに、空楽はむしろ驚いた。芽里が本番でどういう魅力を発揮するのかを学祭で目の当たりにしていた空楽は、今日も本番になれば芽里はものすごい力で観客を引っ張るだろうと確信していた。同時に、サウンドチェックですでにすごいパワーを見せたロシアンルーレットや璃安が本番でどういうことになるのかを想像すると、自分たちが一番弱いのではないかという気がした。
「おれたちは今回デビュー戦だからね。初ステージだから。自分たちの今のベストを出そう」
本番を待つ間、口数の減った空楽と琴那を見て六弦が言った。
「おれたち、十分悪くないよ。ただ、他の出演者が思いのほか強いね。さすがに、学祭のようなわけにはいかないんだな。でも方向性も別にかぶってるわけじゃないしさ。そんなに自信無くさなくていいと思うよ」
*
本番はリハーサルの逆順で行われた。昼から気温も上がり、行き交う人々も祭りのどこかで配られているのだろう同じ団扇を振っていた。トップの芽里は例のあのあざとく愛らしいパフォーマンスで歩いている人々の足を止め、確実にファンを獲得していた。バンド形式ではないことで視線は芽里一人に集まり、ステージを見上げている誰もが芽里の一挙手一投足に注目していた。芽里は学祭のときに演奏したうちの二曲を演奏し、曲間のMCで普段のネット上での活動について宣伝した。空楽は芽里のステージを見て、今日バンドで出なかったこともちゃんと計算されていたのではないかと思った。
続いて龍が嶺高校の軽音部に所属するロシアンルーレットがステージに登場した。琴那はステージ袖にいる空楽たちから離れ、客席スペースの中央、ステージの正面に行った。体格の良いベースの敏志とドラムの鼓道によるリズム隊が重量感のあるリズムを叩き出し、そこに喜多楽の奏でるヘビーなギターが乗る。この大変な音圧を持った演奏の上で、実菜のハイトーンボーカルが伸びる。ロシアンルーレットが放つ音は個々の演奏が荒削りであるにも関わらず、それが絶妙なバランスで釣り合って個性になっていた。お祭りの野外ステージという状況でありながら、足を止めた通りすがりの人たちが腕を振り上げて彼らの音楽を楽しんでいた。
ロシアンルーレットの熱気が去り、ステージには広いつばのある帽子をかぶり、黒っぽいドレスに身を包んだ璃安が現れた。中三の彼女はとても小柄な印象だったはずなのに、ステージに立っているのはスタイルの良いモデルのような女性に見えた。R&B 風のゆったりとバウンスしたビートが流れ、モデルのようにさえ見える璃安が気だるそうに大人っぽいギターを奏でると、興味なさげに通り過ぎようとしていた人までもが足を止めてステージを見た。夏祭りの音楽ステージにはまったく似つかわしくない、もっとおしゃれなバーみたいなところでお酒を飲みながら聴くような音楽だった。イントロで人々の興味を惹きつけた璃安がマイクスタンドに近寄り、大きな帽子からまだ幼さの残る顔を覗かせて歌い始めた。円熟した雰囲気さえ感じさせるそのハスキーな歌声は一瞬にして一帯の空気を染め、そこは夏祭りの音楽ステージなどではなく、璃安の世界になった。どの出演者もステージで素晴らしいパフォーマンスをしていたけれど、一帯の空気まで変えてしまったのは璃安だけだった。幅広い年齢層が足を止め、璃安の歌に、その声が作り出す現実からはみ出したような世界に魅了されていた。美濃澤璃安。空楽はその名前をもう忘れることはないだろうと思った。アーティストというのはこういうもので、空楽のやっていることはまだまったくアートになっていないのだと思わされた。目指すべき場所がそもそも全然違ったのだということを、空楽は思い知った。この小さな町で音楽活動をしていけば、璃安とはこの先も付き合っていくことになるだろう。ともに切磋琢磨できるようなレベルにまずはなりたいと、空楽は強く思った。高校一年生の自分たちが、高校一年生にしてはすごいと言ってもらえるだろう、天才的だと言ってもらえるだろうと思っていた。でも夏祭りの音楽ステージなどという狭い世界でさえ、自分たちよりもはるかに優れた同世代や、年下まで出てくるのだ。空楽は今までの自分の世界の狭さを痛感した。
璃安がその音楽とあまりにもギャップのある、普通の中学生としてのMCをして観客をどよめかせ、二曲目を演奏し始めたところで空楽たちSTUNNUTSのメンバーはステージ袖に集まった。
「みんな気持ちは大丈夫かい?」
六弦が言った。
「大丈夫。ここまで来たら開き直ったよ」
空楽が答えた。
「まずはやれることをやろう。あとで反省しなきゃならないことはたくさんあるけど、今全力を出さなければ反省する資格もない」
琴那が空楽も見たことが無いような厳しい表情で言った。
「あたしはむしろ良かったと思ってる。ここで周りにたいしたのが出てこなくてあたしたちが圧倒的だったら、きっとあたしたちは今より上に行けない。あたしたちは今日水槽から池に出たカエル。まだこの外に、もっと大きな海があるよ」
瑠海の言葉に全員が頷いた。
「年齢も経験も関係ない。すごいものをやってる人はみんな先輩だと思って、胸を借りるつもりで行こう」
六弦はそう言って仲間たちの輪の真ん中へ右手を差し出した。空楽がその上に自分の右手を重ねると、琴那と瑠海も続いた。六弦が空楽と目を合わせて頷く。空楽は深く息を吸い込んでから口を開いた。
「高校に入学したとき、わたしはバンドをやるのが夢だった。こんなすごいメンバーが集まって、わたしの夢は思ったより大きくかなった。でもここはゴールなんかじゃない。まだスタートラインにたどり着いただけ。行こう。この先の景色を見に」
空楽が一人一人を見回しながら思いを伝えると、四人は重ねた手を空に掲げて「おー」と声を出した。
STUNNUTSの演奏は上出来だった。たった二曲をじっくりと仕上げてきただけのことはあり、どこにも綻びのない演奏を見せた。はじめての人前でのライブで、二曲ともこのために用意してきたオリジナル曲。そんな状態でも琴那と六弦のリズム隊はまったく走ったりモタッたりすることなく、安心感があった。猛練習の成果か空楽のバッキングギターも切れの良いリズムを刻み、いかなる時も動じない瑠海は観客がいようといまいと何も変わらない平常運転の演奏を見せた。慣れ親しんだ音に支えられて、空楽はのびのびと歌うことができた。客席にはメンバーの両親を始め、六弦と一緒にジャズをやっていたおじさんたちや、澤木の姿もあった。特ににジャズのおじさんたちはまだお昼だというのにもうだいぶ赤い顔をして上機嫌だった。曲間のMCではバンドの紹介をしたけれど、他に言うべきことがなにもなかった。他の出演者はネット上での活動について宣伝していたけれど、STUNNUTSはまだネット上での楽曲配信どころか、ソーシャルメディアのアカウントさえ用意していなかった。空楽が「なにもかもこれからです」と言うと、客席は知り合いのおじさん連を中心に盛り上がった。
STUNNUTSが演目を終えてステージからはけると、次は雫の出番だった。雫はMS.CHAOSと書かれた横断幕状のものをテーブルにかけてそこに機材を乗せ、DJブースみたいに見せていた。
「わずかな時間だけど、ここをダンスホールにするんで、皆さん踊ってってください」
雫が挨拶をすると、見上げていた観客の中から「え? 女の子?」という声が上がった。雫はヘッドホンを頭にかぶらずに肩と耳の間に挟み、並べた機械に触れた。うねるようなエフェクトのかかったドラムのビートが流れ、雫はリズムに合わせて体を揺らしながら少しずつ音を足していった。時折ギターの細かいフレーズがトンネルの中を走り抜けていくような音で左から右へ飛び去ったり、突然低音がごっそり無くなってまた戻ったりした。同じビートが鳴り続けているので聞いていると自然に身体が動き、見ている人たちも大部分が体を揺らしてビートに身を任せていた。途中、ギターのカッティングの音が、DJがレコードをこすって出すスクラッチ音のように使われたところで、空楽はそのカッティングが自分の演奏であることに気づいた。雫はSTUNNUTSの練習に顔を出すといつもポータブルレコーダーで練習の音を録音していた。雫が録音したものをみんなで聞いて反省点を見つけたりもしたのだけれど、雫はそれを自分の音楽に使うと言っていた。空楽はそれがどういう意味なのか、今はじめて理解した。しばらくして雫はエンディング風のキメを入れて曲を終えた。
「このまま持ち時間分全部このビートのままで行くのももったいないのでこの辺で一度終わって、次はちょっと違う、もう少しヒップホップっぽい感じにしてみようと思います。ちなみに、今日使っている音源はほとんど全部、一つ前に出たSTUNNUTSというバンドの演奏です。ロックの音を使ってヒップホップを作るとどんな感じになるのか、ぜひ楽しんでってください」
雫はそんなMCを挟んで、MCの間おろしていたヘッドフォンを再び肩と耳の間に挟んで演奏をスタートした。一曲目よりも幾分ゆったりしたテンポで、微妙に跳ねたリズムのビートが流れ始める。STUNNUTSはこういうビートの曲をやったことはなく、空楽はこれがどうやって作られたものなのかを想像した。具体的な方法はわからなかったけれど、琴那の演奏したドラムの音を細切れにし、それを並べてまったく違うビートを作り出せばこういうことができそうではあった。雫は音を重ねながら基本になるパターンを組み立て、それを繰り返しながらエフェクトをかけたり、別の音を重ねたりして変化を出していた。
ステージ前の最前列の部分で、高校生風の女子二人組が客席の方を向いて踊り始めた。雫はそれを見ながらダンスに合わせて音に変化をつけた。ダンスの二人は同じ振り付けを息の合った踊りで見せていた。おそらく普段別の曲で練習している振り付けをここに当てはめているのだろう。空楽はこれが予定外の出来事だとわかっていたけれど、他の観客は最初から予定されていた演出だと思ったかもしれない。そのぐらい、音とダンスは調和していた。雫は持ち時間の残りを見ながら大きな音の変化をつけた。ダンスの二人がステージの方を向いて雫と目を合わせ、見事に決めポーズを入れてパフォーマンスは終わった。客席から拍手が上がった。
「踊ってくれた二人にも拍手をお願いします。どこの誰かも知らない二人なんで、これから友達になろうと思います。今日はありがとうございました。またどこかで」
雫はそう言って頭を下げた後、客席に向かって手を振った。
雫が撤収し、いよいよ最後のバンド、国士夢想が登場した。ドラマーが少しだけ音を出して止め、ボーカリストが挨拶をした。
「みなさーん。覚えてますか。二年ぶりに帰ってきました。国士夢想です。二年しか経ってないんですが、二年前一緒に出たようなバンドは全然いなくなっていて、今回若い人ばっかりです。誰か一人でもおれらのことを覚えててくれた人がいたら嬉しいし、そうじゃない人に、今日覚えて帰ってもらえたらと思ってます。じゃいっちょ、盛り上がっていきましょう」
ボーカリストが叫び気味にあいさつを終えると、すかさずドラムのカウントが入って曲がスタートした。国士夢想の曲は耳に残りやすいメロディで覚えやすく、一番と二番のサビが同じ歌詞になっているなど、一番を聞いたら二番ではもう歌える、というぐらいにわかりやすかった。演奏はさすがにまとまりが良く、ベーシストがコーラスを歌ってハモるのがとても印象的だった。空楽は国士夢想の演奏をとてもうまいと感じたけれど、どこがどのようにうまいのか説明できなかった。一人一人を比べると、たぶんこのベーシストよりも六弦のほうが難しいことを弾けるだろうし、このドラマーよりも琴那の方がかっちりしたリズムを刻めるだろう。国士夢想にはギターが一人しかおらず、このギターもごくシンプルな演奏しかしていないため、瑠海のほうがはるかに高い演奏力を持っているだろう。そこまで揃っていてもなぜか、空楽はSTUNNUTSよりも国士夢想の演奏のほうがうまいと感じた。楽器がうまいというのはどういう状態なのだろうか。バンドとしてうまいというのは、どういう状態なのだろうか。今の空楽にはまだ、納得できる説明は見つけられそうになかった。
国士夢想の演奏が終わり、音楽ステージの演目がすべて終わったことがアナウンスされて留まっていた人の波は散り散りにはけていった。STUNNUTSの応援に来てくれていた人たちもそれぞれメンバーに声をかけて去っていった。出演者はそれぞれの荷物を片付け始めた。空楽が早々に片づけを終えて興味本位でPAブースの機材を眺めていると、ケーブルを外して巻いていた人が話しかけてきた。本番でPAを担当していたタイヴァスの灰谷店長だった。
「おつかれさん。君の歌、とても良かったよ」
空楽は驚いて「あ、はい。ありがとうございます」と答えた。
「あれ、曲とか詞は誰が書いてるの?」
「わたしです」
「詞も曲も? 二曲とも?」
「はい」
「そうか。なるほどね。君、ソロでやったほうがデビューしやすいかもよ」
空楽は言われたことを理解するのに時間がかかった。
「え?」
「詞も曲も君が書いてて、君が歌ってるわけでしょ。今のまま行くとデビューするにしても君のソロでいいんじゃないって話になると思う」
「えっと、うちのバンド、良くないですか? むしろわたし以外のメンバー、みんなうまいと思うんですけど」
「うん。うまいのはうまいね、たしかに。高校生にしては上出来だと思う。だけどさ、うまいバンドが必要ならスタジオミュージシャン雇えばいいわけよ。もっとずっとうまいから。それでレコーディングもライブもうまいやつ呼んでくればいいからさ、ソロアーティストでいいって話になるじゃない?」
空楽はまったく想像していなかったことを言われて言葉が出なかった。
「まあはっきり言っちゃえばさ、君のバンド、君の歌で持ってるようなもんじゃん」
「わたしの、歌で?」
空楽は完全に混乱していた。自分がもっとも未熟で仲間の足を引っ張っていると思っていたのに、むしろ自分の歌で持っていると言われるなど、理解できる範囲から外れた話だった。
「このあとみんなにも説明するけどさ、秋にライブイベントをやる予定なんだよ。デモテープ審査して本戦に出るアーティストを決めるんだけど、ぜひ応募してきて」
「それは、ソロでっていう意味ですか?」
「いや別にバンドでもいいよ。ただ、そっからデビューに向けてとかいう話になったときに、今みたいな状態だとバンドはいらないねって話になると思うよっていうだけ」
「そんな」
「まあこういう世界はシビアだからさ。バンドでやってたら一人だけデビューすることになってほかのメンバーは切られたとかいう話は多いのよ。意外かもしれないけど、デビューを目指すっていう意味で言えば楽器がうまいことはなんのプラスにもならないってことは知っといた方がいいかもね。君のバンドは今のところうまいだけなんだよな」
空楽は灰谷の言葉を聞いて、国士夢想の演奏を見ながら空楽自信が感じていたことの正体がわかった気がした。自分たちの方がうまい気がするのになぜ完全に負けているように見えるのか。演奏のうまさとバンドとしての良さはまったく別だからなのかもしれない。
出演者たちは片づけを終えると控えのテントに集合し、タイヴァスの店長、灰谷からの挨拶と、十月に行われるというライブイベントの告知を聞いて解散となった。ライブイベントではタイヴァスのスタッフが推したいと思うアーティストに賞を出し、全国のライブハウスが連携して未来のメジャーアーティストを発掘するコンテストイベントへの参加を目指して推していく。イベント出場権をかけて事前にデモ音源審査があるので詳しい募集要項は後日タイヴァスのWebサイトで発表されるものを確認するように、という話だった。灰谷によると、一応事前音源審査があるけれど、これはライブをできるだけの実力がないような人をふるいにかけるためのもので、実際のところ今日出てるレベルの人たちが音源審査で落ちることはないとのことだった。
空楽たちはもちろんそのイベントに参加したいという意思を確認しあい、後日改めて反省会をやろうという約束をしてそれぞれ帰宅した。
一人になった帰り路でも、家での入浴中も、布団に入ってからも、空楽はずっと灰谷に言われたことを考え続けていた。「うまいだけ」という言葉がどこか自分の奥の方に刺さって抜けない棘のようにしくしくと疼いていた。
《つづく》
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