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ウロボロスの鱗

 地下街のすみっこにあるトンマをどうにかしたような名前の中国料理屋で、おれは昼飯を食っていた。ソーシャルなディスタンスのために四人がけの席に通された連れのないおれは、皿うどんみたいなソーシャル堅揚げ麺にソーシャル麻婆豆腐をぶちまけたような食い物と格闘していた。象を去勢するような辛さだ。ろくなことのない日々への鬱憤や苛立ちを麻婆で焼き払うように流し込んでいると、向かいの席に男が乱暴に腰をおろした。仕立ての良さそうなスーツを着てハットとしか言いようのない帽子をかぶり、坊主頭みたいなひげをはやしてギラつく目をした爺さんだった。

「おい、もっと静かに座れ」

 言っちまってからおまえは誰だとかそういうことを言ったほうが良かったような気がした。

「元気そうだな」

 爺さんは紙やすりみたいな声で言うと、テーブルに斜めに乗り出して伏せた右手をおれの前へ出した。しわだらけの手が離れるとUSBメモリがあった。

「仕事だ」

「誰かと間違ってるぞ」

 おれはなかなか口の中へ入っていかない堅揚げ麺をばきばき噛み砕きながら言った。

「おまえの腕は信頼してる。それをしまえ」

 爺さんは顔の半分だけを動かして器用ににやつきながら顎でテーブルの上のUSBメモリを指した。おれは言われるままにそいつをポケットに突っ込んだ。爺さんは乗り出してきてマスクもしていない顔をおれに近づけた。おれはきっちり爺さんが近づいた分だけ退いた。ソーシャルディスタンスだ。

「用心しろ。楽な仕事ではない」

「人違いだって言ってるだろ」

 おれがポケットに手を入れると爺さんは手でそれを制した。

「人違いじゃない。それを食い終えたらまっすぐ家に帰ってそのデータを見ろ」

 爺さんは食いかけの皿をおぞましそうに見ながら千円札をテーブルに叩きつけて立ち上がった。

「その飯代は持ってやる。早く食ってまっすぐ帰れ」

 おれは爺さんの背中を見送ったあと店員を呼んでビールを注文した。

[続く](800字)

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