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【思い出エッセイ】夏のゲームセンターでの出会い

中学生の時に、有名なアーケードゲームの1つである『太鼓の達人』というリズムゲームを始めた。

『太鼓の達人』はシンプルなゲームシステムから、小さい子にも人気である一方、そのシンプルさの割に奥が深く、それゆえの中毒性もあり、中学と高校の私の数年間において私の一番の趣味として君臨していた。

特に高校のときは、同じ高校内だけでなく他の高校の生徒とも『太鼓の達人』を通じて繋がるようになり、ゲームを通じて輪が広がっていく感覚を、私はあのとき初めて得たのだった。

その輪の広がりの1つが、高校生のときのある夏休み、最寄りのゲームセンターで、”彼”と仲良くなったという出来事である。

そのゲームセンターは少し小さなゲームセンターで、休みの日でもそこまで人は多くなく、『太鼓の達人』は誰もプレイしていないことの方が多かった。

それをいいことに、その夏はそこに通い、ほぼ独占状態で『太鼓の達人』をプレイしていた。

しかし、そういう日ばかりが続くわけもない。

ある日、先客がいた。
その先客は見たところ、当時の私と同い年くらいに見えた。

そのゲームセンターは『太鼓の達人』の筐体が2つ横並びで置いてあり、彼がプレイしている隣の筐体で私もプレイを始めた。


私達2人だけがずっとプレイし続け、恐らく1時間弱経った頃だっただろうか、突然彼が「”ばいでた”(太鼓の達人のオプション)すごいっすね!」と声をかけてきた。

お互い隣同士でずっとプレイしてるので、お互いがどんな曲をプレイしているのかはどうしても聞こえてきてしまう。

私はプレイしながら、彼の腕前は私より上だと思っていたので、「いや、そちらこそよく〇〇(ある曲の名前)とかできますね笑」と言葉を返した。


そこから話が盛り上がるのはもはや確定事項で、ひとしきり『太鼓の達人』について語り、その後、互いのプライベートの話に入っていった。

聞くところによれば、彼は私の1つ下の学年だった。

年も近く、同じ趣味を持つ者同士。
話すことはいくらでもあり、すぐに打ち解け、その日に連絡先を交換した。

そこからは、2人で『太鼓の達人』をプレイしに遊びに行くのはもちろん、互いの高校の友達も混ざって、皆で楽しくゲームをプレイしに行ったりもした。

そのようにせっかく仲良くなったのだが、私はそこから1年くらいで『太鼓の達人』から距離をおいた。

理由は正直よく覚えていないが、上達しない自分に飽きたのかもしれない。
私は努力が大嫌いで、譜面研究もしないタイプだったので、実力の頭打ちを突破する方法を持ち合わせていなかった。

『太鼓の達人』から距離を置くと、『太鼓の達人』で繋がっていた人たちとの関係も一気に希薄なものとなった。

休みの日に一緒に遊びに行くことはおろか、連絡すらも全く取らないようになった。

”趣味で繋がる”とはこういうことなのだろうと思う。
趣味は仲良くなるきっかけであることには間違いないが、結局その後の関係は個々の相性次第という当たり前の事実を身を以て経験した。

最寄りのゲームセンターで出会った”彼”とも結局、連絡を取らなくなり、そのまま私は高校を卒業した。

高校卒業時には、彼のことは完全に頭から消えていた。
彼の連絡先は、その時にはもう持っていなかったし、関わる機会などもあるはずが無かった。

しかし、驚くべきことに大学生になってから、奇跡的に彼と再会を果たすことになる。

地元に帰ったある冬の日、電車内で急に「あ!△△さんじゃないですか!」と声をかけられた。

私は、話しかけてきた人が誰なのか思い出せず、言葉に詰まっていたのだが、彼が「覚えてません……?太鼓の……」と言った瞬間、全てが一気に思い出された。

あの”彼”だったのだ。

私はすぐ次の駅で降りたので、ほんの少ししか会話ができなかった。
その中で唯一覚えている会話が、「最近、太鼓やってます?笑」に対して私が「いやー久しくやってないな笑」と返したものであった。

私が電車から降りる時、彼は私にどんな言葉をかけたのだろうか。
「また一緒にゲーセン行きましょう」ではないだろう。

お互いにもう一生会わないであろうことは分かっていたはずである。


そして実際、彼に会うことは一生叶わなくなった。


彼が後に、自ら命を絶ったからである。


大学生の時に同じ高校の友人から聞いた事実であった。
悲しいよりも驚きが先に来た。

自ら命を絶った原因についてあれこれ言う者もいたが、そんなものは勝手な憶測でしかなく、しょうもない話だと思った。


彼と出会ったゲームセンターは今もある。
そのゲームセンターに行くと、時々彼のことを思い出す。
私に声をかけてくれた彼は、もういない。

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