シン・エヴァンゲリオン感想(ネタバレあり)

興奮して眠れないので、自分を落ち着かせるために日記みたいな感じで書いたもの。

シン・エヴァンゲリオンが公開された。
初日の夜、人の入りはまばら。
上下左右を空席に囲まれた快適なポジション。
ここは田舎だと再確認できる。
後から来る客を眺めながら「いやエヴァ、初日、一人で見にくるだろ」と内心何回もツッコんだ。
予告が流れている間もずっと喋ってる女2人がいてムカついたけど始まったら黙ったので許した。

懐かしい無気力シンジ、その描写の丁寧さに泣きそうになる。
意地を張って断食をする気持ちはよく分かる。
何もしたくない、死にたくもないし、未遂を起こすのも嫌。
そうなると断食は最高の選択になる。
何もしないだけでゆるやかな餓死という希望と、いつでも戻れる心の安心感が得られる。
結局耐えきれず食べてしまうことが自己嫌悪を続けるエネルギーにもなる。

そんな状態を諦めさせるのは時間と正論なんだろう。
復帰後のシンジにかけるケンスケのあからさまでありきたりなみんな辛いんだという言葉が刺さる。

ニアサードも悪いことばかりじゃなかったというセリフは稚拙すぎると分かっているけど、これまでのエヴァンゲリオンの作品の流れを重ねてしまう。
全部必要だったし、全部見たからシンがこんなに昂らせてくれた。

中学生の時にエヴァを知って、友達とレンタルして見まくった日々。
僕は綾波レイが好きで友達は惣流アスカラングレーが好きだったからニコイチのグッズを買っては分けたこと。
序の時はシンジくんくらい無気力だったし、劇場に観には行かなかった。
破は軽い気持ちで観に行ってまた引き込まれた。
Qは有象無象のように観た後なんだよこれって言った。
それからシンの公開までに何回か見直したし、色んな考察なんかも見た。
全部必要だった。

庵野監督には本当にありがとうと言いたい。
嘘偽りなく終わらせてくれてこんなに嬉しいことはない。
どうせまた謎が残るんじゃないかなんて邪推は無意味だった。
あれこれこじ付けてわくわくさせてくれた外部考察も真正面から弾き飛ばした。
シン・エヴァンゲリオンを解説するコンテンツは多く出るかもしれない。
また自分とエヴァとの繋がりを何かしら表現したくなるのも分かる。
これもそうだし。
でも、考察に関しては一気に減るだろうと思う。
本気で終わらせるんだという意識は、徹底した疑問の解消によって伝わってくる。
長年やったその遊びはもう終わりだよと作り手は大人になり、観客も大人になってそれを受け入れる。
長い年月をかけたシリーズだからこそ出来る自然な意思の疎通。
何も隠さないから分かりやすい、だから自分で考えられる。
裏の意味を探る必要のないストレートな楽しみ方。
演出で魅せ、アクションで興奮させて、セリフでしっかりと伝えてくる。
そんな真っ直ぐな作品だった。

虚構の世界に本気になる現実のみんなが丸くなり、大人になり、少しのやさしさを持ってエヴァンゲリオンは綺麗に終わった。
僕は上映前のしょうもないオタク意識を恥じた。
一人で観てもいいし、カップルで観てもいいし、これが初めてのエヴァンゲリオンでもいいと思った。
何にいらついていたのかもわからないし、そんなことはどうでも良くなった。
姿勢を何度も正す人間を理解できたし、おそらく我慢の限界を越えトイレのために出入りする人間に同情すら覚えた。

「終わった」と声に出さず何度も呟きながら、僕はエンドロールを見た。
この後に追加の映像は流れないと確信していた。
作品内で全ては終わりだという信頼感が結ばれていた。
誰一人席は立たなかった。
その上で念入りに教えてくれる終劇の二文字が最後までやさしかった。

本当にありがとう庵野監督。
シン・エヴァンゲリオンを完成させてくれてありがとう。
これまでエヴァンゲリオンを楽しんできて本当に良かった。
心からそう思った。
これで終わり。
最高の失恋をありがとう。

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