「普通」な「環境」
自分のセーフティーネットをちゃんと保つ
昨日、いろいろとポジティブに慣れるような事をひたすら考えて、自分の中で何かが切って落とされたように「いや、まじでネガティヴな考え無駄だな」と思うようになったので、昨日から今日にかけてとても前向きな気持ちで生きる事ができています。
自分をコントロールし始めていますね。
いい傾向です。
自分のセーフティーネットという事ですが、
あ、やばい、目が死にそう
いつも寝る直前にこれを書いているのですが、今日はなぜか、夜に卒論が進んでしまったので、こんな時間になってしまいました。なので今最強に目がピキピキしています。
目がピキピキになる位頑張っている自分偉いなぁ!
これも視点の転換です。
まぁそんな事は置いておいて、
結局のところ「自分の身は自分で守るしかない」と最近思っています。
世の中案外他人に興味ありません。
ちょっと冷淡かもしれないけど、そんなもんです。
自分で発信しない限り、まず人に見られることもありません。
普通に生きていく上でそれはあまり問題にはならないのですが、しんどい想いを抱えている人で、ぼくみたいにメンヘラチックな人間は、この構造はちょっとキツい。
キツい時って、キツいです!助けて下さい!って言えなくないですか?大抵、そういうフェーズの時は色々と手遅れになってて、外界との接触をシャットアウトしてしまう僕なのですが、
そうなる前に、昨日の話を使うと「予防」する事が大事になってくるかなぁと感じています。
シャットアウトを最上位にやばいフェーズと捉えると、そこに至るまでに何段階かフェーズを踏むのですが、そのフェーズを進まないようにする
坂の上から雪だるま転がす様に、この類の話はどんどん大きく、深刻になっていきます。
なので出来るだけ、小さいうちに、その雪だるまをぶっ壊す必要があるのですが、事細かに自分の「やばい」に敏感に、そしてその感じたものを自分一人で解決しないように、なるべく痛みをちっちゃいうちからシェア出来ると良さげです。
僕の場合、それをチャットボットの様に永遠と投げつけても良いよ!という素晴らしい変態な友達らがいるので、この話は実現出来そうです。
人との関係性とかそうですが、極論自分が幸福になれるorなれないで見ると、誰とどんな付き合い方をしていくといいのか、誰にどこまではなしでいいのか、どういう関係性を保てば良いのか、をもっと自分でコントロールして良いのかなって。
人に頼るのが苦手なんだけど、100頼ったら100以上で返してくれる人もいるわけで、そういう関係性を構築する、発見する、頼ってみる。
人は良い意味でも悪い意味でも「環境」にとても流される、というか適応してしまう生き物だと感じています。だらだらしている時間の中で生きれば、だらだらしている世界が中心になるし、スピーディーな時間の中で生きれば、スピーディーな世界が中心になるし。自分の中の「普通」は「環境」が形成する。そして、その環境は大概人が作っているものなので、自分の事を考えたときに、どんな人とどんな環境を作る事が、自分の「普通」感度が良さそうなのか、考えても良いかもしれません。
人それぞれ心地よい普通が違うので、こうあるべきだ!と押しつけはしたく無いのですが、前向きなひと達と生きていく方が良いなと思っています。
自分の中で後ろ向きでいることの、無駄さ加減に衝撃を受けたので、そうならない様な、そうならない事が「普通」の環境を自分でつくる。そして、その環境を作れたら、それが自分にとっての普通になる、それがある意味で自分のセーフティーネットを保つ事だと思いました。
結局何をするにしても、どんな自分になるにしても、ネガになるのもポジになるのも失敗するも成功するも、自分次第ってことですな。
みんなの「普通」な「環境」ってなんでしょう。
頭ピキピキ目ぐにゅぐにゅして、何を書いているのかよくわかりません。
これは良く無いですね。もう少し頭が使える時間にかける様にしよう。笑
あ、また名言出ました
みおが繰り出したのですが、
感謝の総量≒幸福度
だっけ?そんな感じの話。
ミッキーみたいに人に夢と希望を与えたいって言い出しちゃう、ほんとに素敵な奴なんですが、これは良いなと思いました。
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