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「安全と安心」は自分で広げていくもの。

非日常体験がしたくて、奥多摩で初めてのキャニオニングに行ってきた。ウェットスーツを着て川を滑り台的を楽しむアクティビティというイメージはまぁ間違ってはいなかったのだけど、実際に行ってみたら想像の10倍くらいハードなアドベンチャーだった。

例えば、90度の角度の岩をロープをつかっておりるというクライミング的なもの。

最初は5mくらいの岩をおりて、途中で「バンザイ」して背中向きのまま川にダイブ。上から見るとほぉって感じだったけど実際にやろうと思うとすぐには手を離せなかった。が、なんとか成功。

そして次に18mの断崖絶壁へ。「今からここをおりるよ」と言われて冗談かと思ったら本気だった。岩が直角すぎて下が見えない。超こわい。

私の2人前の20代と思われる女子がロープで降りていって見えなくなると「キャー!!!」という悲鳴が聞こえてきた。これはやばいやつなんじゃないかと思っているうちに自分の順番がやってくる。

低い岩で練習したときのことを思い出して、足幅を広げて一歩づつ、足が直角の岩に対して90度になるようにロープをゆるめて降りていく。距離が長いこともあって、やっていくうちにロープをゆるめることがこわくないとわかってきて体重をロープに預けられるようになってくる。

お、けっこういい感じかもなんて思っていたら岩がえぐれていて途中でロープでは降りられなくなった。下からスタッフの人が「足を岩から離して〜!」と叫んでいる。足を岩から離す、つまりロープに捕まっているだけの状態になる。

おそるおそる足を離してロープに体重すべてを預けると今度は「ロープから手を離して〜!バンザーイ!」…!?そこは水面から10mくらいの場所。

これ手離すとどうなるんだろう。アウトドア初心者にはロープの仕組みもいまいちわからない。とはいえここにずっといるわけにもいかない。覚悟を決めてそうっと手を離したら、1mくらい落下した。

ジェットコースターとかと比べ物にならないくらいやばい…。そこから何回か落下を繰り返して、ジップスライダーの要領で最後はドボン!という衝撃とともに川に着水。

そこそこの高さから川に落ちてこわいはずなのに、水の中にたどりついてめちゃくちゃホッとするという不思議な体験だった。

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私が所属しているコルクラボでは「コミュニティの安全と安心」ということが何度も語られていて、大切にされているように思う。

おもしろいのは「安全安心を確保する」という言い方をすること。つまり安全安心は人からもらうものではなくて、自分で確保するもの、という考え方だ。

もちろんコミュニティ運営の中で安全安心をどうつくっていくか?ということは話し合われるのだけど、各個人が安全安心を確保するためにどんな仕組みやサポートが必要なのか?ということがベースになっているように思う。

じゃあどうしたら安全安心を確保することができるんだろう?

安全安心を確保するということは、どこまでが安全か、なにが安心でないのかを確認する作業だ。その確認作業がコルクラボでよく言われる「聖なる一歩」なのだと思う。

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「ロープで岩を降りる」というのは、とてもこわかった。

もしロープが途中で切れたり抜けたりしたら死ぬかも。途中でミスったら落ちるかも。(安全がない)
最後まで無事に着けるんだろうか?手を離して本当に大丈夫なんだろうか?(安心がない)

というような状況の中でまずは「安全」を確保する。

自分の前にやってる人がやって大丈夫そう。
ロープを引っ張ってみて簡単には切れたり抜けたりしなそう。
降り始めてロープに体重を少し預けてみる、いっぱい預けてみる。
手元のロープの緩め方を少しづつ大きくしてみる。

小さくやってみる→大丈夫そう→もう少しやってみる→大丈夫そう、その確認の繰り返しで確保する安全が大きくなっていく。

大丈夫そう、が大きくなってくるロープに体重を預けてスムーズにすこし大胆に降りることができるようになってくる。

じゃあ「安心」は?

佐渡島さんは著書『WE ARE LONELY BUT NOT ALONE』の中で、安心とはイメージできることと言っている。

ロープで岩を降りるというのは初めてで、絶壁すぎて前の人がどんな風に降りていくのかも見えないから、イメージができない。だからこわい。

そのときわたしがイメージできたのは、練習のときにおりた5mの壁を降りたときのこと。5mと18mは全然違って、安心して降りるためのイメージとしては全然足りなくて100%安心ではないけど、ゼロよりはマシ。そのちいさなイメージでなんとか降りることができた。

18mの岩をロープで降りることでわたしが得たのは、無茶だし危険だと思っていたことが実は安全だと確認できたことと、そして18mの岩を降りるイメージ。

もう一度やることになったら、今回よりずっと安全と安心が確保できているからもっと簡単に岩を降りることができる。今回はすっごくドキドキしながら降りたけど、次はもっと楽しめるかもしれない。

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安全と安心を確保しようと踏み出す一歩は、こわいしドキドキする。そのこわさやドキドキが大きいほど、きっと安全や安心も大きくなる。

安全も安心も、そのこわくてドキドキした先に得られるもので。

だからこそその一歩は「聖なる一歩」だし、聖なる一歩がドキドキだけで終わらないように、また次の一歩を踏み出したくなるように、コミュニティの中で誰かが一歩を踏み出したときにそれを承認し合うのがコルクラボの「聖なる一歩」という文化なんだと思う。

なにかをやりたいけど不安だったりこわかったり、そんな風に安全や安心を感じられないときには、

①どんな安全がないと感じているのか(なにがこわいのか)
②現時点でどんなイメージを持っているか(もっていないのか)
をまず自分で把握する。

そして、ドキドキしながらでもできそうなことを見つけて一歩踏み出してみる。その繰り返しの中で、安全も安心も少しづつ広がっていくのだと思う。


「聖なる一歩」という言葉の生みの親、まさまさのnoteも読んでみてね。

最後に、わたしがキャニオニングに行きたいって言ってたら一緒に行くよって言ってpolcaまで立ち上げてくれたまさまさ。polcaしてくれたみなさんのおかげで満喫できました。改めて感謝!


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